南宋の名臣・周必大が編んだ欧陽脩の文集

南宋の慶元2年(1196年)の夏、宰相の任を退いていた周必大(1126〜1204)は、足かけ六年にわたって続けてきた仕事をひとまず終えた。北宋の文人・欧陽脩の著作を集め、本文を校訂し直したうえで、全153巻・別に附録5巻という大部の文集にまとめあげる作業である。版木は周必大自身の家塾で刻まれた。この国宝「宋刊本欧陽文忠公集(金沢文庫本)」は、そのとき版行された刊本の一組であり、海を渡って日本にもたらされ、鎌倉の近くにあった武家の文庫に長く収められてきた。

欧陽脩(1007〜1072)は、北宋を代表する人物の一人である。高官にのぼった政治家であり、『新唐書』『新五代史』の編纂に携わった歴史家であり、また唐宋八大家に数えられる詩人・文章家でもあった。没後、朝廷から「文忠」の諡(おくりな)を贈られたため、その文集は『欧陽文忠公集』と称される。天理図書館が所蔵する本書は、原本のうち39冊を、ほぼ完全な姿で今に残している。

一冊の刊本が国宝とされた理由

宋代は中国の木版印刷が大きく花開いた時代であった。この時期に刻まれた版本は、のちに「宋版」と呼ばれて尊ばれ、丁寧な校訂と、均整のとれた美しい字様で知られる。交易や、両国を往来する僧によって、その少なからぬ数が日本へ渡った。なかでも周必大による欧陽脩の文集は特別な位置を占める。後世の刊本が拠るべき本文の基準となり、清の『四庫全書』の編者たちも、これを定本として扱ったからである。

この刊本を際立たせたのは、その編纂の方法であった。老学者の孫謙益、考証にすぐれた丁朝佐、郷貢進士の曾三異らが周必大のもとに加わり、古い諸本を広く集め、先人の文集と照らし合わせて異同を記し、字句を改めたり章の前後を入れ替えたりした箇所には注を付した。その姿勢は、朱熹が韓愈の文章を校勘した先例にならったものである。底本に欠けて他本に見える文章は、別に「拾遺」として一巻にまとめた。単なる覆刻ではなく、初期の本文批評の試みと呼ぶべき仕事であり、印刷の美しさとともに、こうした学問的な重みが、昭和27年(1952年)の国宝指定につながった。

年代については一言を要する。国指定文化財等データベースは本書を1196年のもとに記す。これは周必大の編集作業が完了した年にあたる。一方、天理図書館の展示目録は、この一組の実際の刷りを、やや下った嘉泰から開禧の頃、おおむね1201年から1207年に置いている。版木が資料の集まり次第で順次刻まれたため、刷りの時期に幅が生じたとみられる。いずれの年代も同じ刊本を指しており、本文の完成と、奈良に伝わる現物の摺印との間の隔たりを示すものである。

本書に向き合う

宋版の一冊は、ゆっくりと眺めるほどに見どころがある。文字は丁寧に書かれた版下から手で彫られ、紙面は密な本文の列と、ゆとりある余白とを釣り合わせている。後世のより詰め込まれた版本には、なかなか見られない調子である。来歴を知る者には、その内容にも静かな興趣がある。文集には欧陽脩の上奏文や歴史叙述、書簡、そして詩が収められ、なかには彼の作と伝わる「日本刀歌」も含まれる。中国の文人が日本刀を詠んだ詩を収めた中国の書物が、南宋に印刷され、やがて日本に渡って仏典のかたわらに架蔵された。幾重にも意味が折り重なった一品である。

この一組は、日本での後半生についても語る材料となる。本書は金沢文庫の旧蔵にかかる。金沢文庫は、金沢流北条氏の北条実時が13世紀に創設した文庫で、実時は鎌倉幕府の要職を歴任し、政治・法制・農政・軍事・文学にわたる書物を集めた。文庫は横浜市金沢区にあたる金沢の別邸の脇に置かれ、隣接する菩提寺の称名寺がその管理にあたった。ここを通った書物には「金沢文庫」の蔵書印が捺され、これは日本で用いられた蔵書印として最も古いものとされる。元弘3年(1333年)に鎌倉幕府が滅ぶと、文庫は保護者を失い、その後の数百年のあいだに、足利・上杉・豊臣・徳川と、時の支配者によって蔵書が次々に持ち出され、しだいに散逸していった。本書がほぼ完本のかたちで残り、かつてのその中世の文庫まで来歴をたどれることこそ、価値の一端をなしている。

図書館とその周辺

本書を所蔵するのは学校法人天理大学で、奈良盆地の小都市・天理市にある附属天理図書館に収められている。奈良・大阪・京都のいずれからも訪ねやすい立地である。天理図書館は東アジアの稀覯本を収める日本有数の蔵書機関だが、その名品が常時公開されているわけではない。本書やこれに類する版本を見る最も確実な道は、近くの天理大学附属天理参考館や、東京にある天理ギャラリーで折々に開かれる特別展である。中国・日本の貴重書が、入れ替えで陳列される。

天理市は、東の山裾に沿って古い社や古墳の間を縫う古道「山の辺の道」の南端に位置し、由緒ある石上神宮も徒歩圏にある。本書の由来に心を惹かれた旅人は、北の横浜にも目を向けたい。称名寺の隣には神奈川県立金沢文庫が建ち、復元された浄土式庭園と阿字ヶ池は、鎌倉時代の面影を残す景観として知られる。同館では、旧文庫の典籍とその蔵書印をめぐる特別展が随時催されている。

Q&A

Q天理図書館でいつでも見られますか。
Aいいえ。傷みやすい国宝のため天理図書館の蔵書として保管され、公開は限られた機会のみです。主に天理大学附属天理参考館や東京の天理ギャラリーの特別展で展示されます。訪問前に開催中の展示を確認することが欠かせません。
Qこの本は日本で作られたのですか。
Aいいえ。南宋の中国で印刷されたもので、周必大が編んだ刊本にあたり、その編集はおよそ1196年に完成しました。のちに日本へ渡り、鎌倉近くの中世の文庫である金沢文庫に収められました。
Q欧陽脩とはどのような人物ですか。
A北宋を代表する人物(1007〜1072)です。高官にのぼった政治家であり、歴史家、詩人、文章家でもあり、唐宋八大家の一人に数えられます。文集の題名は、彼の諡である「文忠」に由来します。
Q金沢文庫とは何ですか。
A13世紀に北条実時が現在の横浜市金沢区に創設した文庫で、日本最古の武家文庫と紹介されることもあります。その蔵書印は、わが国で用いられた蔵書印として最も古いものとされています。
Q金沢文庫ゆかりの書物はどこで見られますか。
A横浜の称名寺に隣接する神奈川県立金沢文庫が関連資料を所蔵し、旧文庫をめぐる特別展を随時開いています。ただし本書そのものは、奈良の天理図書館にあります。

基本情報

名称宋刊本欧陽文忠公集(金沢文庫本)
指定区分国宝(書跡・典籍) 昭和27年(1952年)11月22日指定
年代南宋。データベースは1196年と記し、刷りは1201〜1207年頃とする見方もある
製作地中国(周必大の編定により、吉州〔江西〕で開版)
員数39冊
所有者学校法人天理大学
所在地奈良県天理市杣之内町1050 天理大学附属天理図書館
公開状況常設公開なし。特別展などで随時公開

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/678
天理図書館 天理ギャラリー展「中国古典名品展」
https://www.tcl.gr.jp/exh/exh-5578/
神奈川県立金沢文庫 文庫概要
https://www.planet.pref.kanagawa.jp/city/bunko/bunkogaiyou.html
称名寺と金沢文庫(横浜市金沢区)
https://www.city.yokohama.lg.jp/kanazawa/shokai/rekishi/ikizuku/shisan/shomyo-kanazawa.html

最終更新日: 2026.06.13