主屋の北東に建つ東西棟の小屋

榎並家住宅小屋(えなみけじゅうたくこや)は、新潟県新潟市江南区砂岡二丁目にある江戸末期の付属屋で、令和7年(2025年)8月6日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。

茅葺の主屋から見て北東に位置し、棟を東西に通して南面する。木造平屋建、屋根は切妻造のセメント瓦葺、建築面積は80平方メートル。正面には吹放ちの土間が設けられ、前庭との間に壁がない。

この種の小屋が国の登録に至る例は多くない。車庫や既製品の物置が必要になったとき、屋敷のなかで真っ先に取り壊されるのが付属屋だからである。文化庁が記録したのは、旧家が日々の道具や物資をどう仕分けていたかを今も読み取れる建物で、主屋と同じ日に、同じ登録基準で、登録番号15-0602として登録された。

二棟は一括して調査された。ただし単体で見るなら、雄弁なのは小屋のほうである。

布団室、書庫、炭小屋という三つの区画

当初の建築部分は、東から順に布団室、書庫、炭小屋の三室に区画されている。

いずれも越後の低地で暮らすうえでの具体的な事情に対応している。冬に湿気の上がる住まいから寝具を離しておく必要があり、日中は居室の床面積も空けたい。だから布団は別棟の専用室に納めた。炭は囲炉裏と火鉢を雪の季節じゅう支える燃料で、乾いた場所に、しかも茅葺屋根から離して置く必要がある。三つのうち家の性格を最も示すのは書庫だろう。文書のために壁で囲った一室を割く農家は、記録を残し、土地を持ち、その書類をまた使うことを前提にしていた家である。

三室の前を通る吹放ちの土間は、それらをつなぐ作業面にあたる。屋根はあるが壁はない。農作業の濡れ仕事に屋根をかけながら、湿気を溜め込まない。雪国では、この半屋外の空間が担う役割は小さくない。

年代と後の手入れ

文化庁は当初部分を江戸末期、西暦でおよそ1830年から1868年の間とし、昭和前期の改修を記載する。さらに当初部の西端には、昭和30年代(1955年から1964年)にコンクリートブロック造の道具入が増築された。

この増築部分の扱いは考えさせられる。日本の登録制度は、建物を想像上の「創建時の姿」へ戻すことを求めない。ここで適用された登録基準の第一号「国土の歴史的景観に寄与しているもの」は、使われ続けた建物が積み重ねてきた手入れごと評価する。コンクリートブロックの壁もセメント瓦も、傷ではなく記録の一部であり、公式の解説文はそれらを隠さず書き込んでいる。

文化庁が保管する写真には、南西からの外観に加えて、炭小屋の天井裏を西から撮ったものが含まれる。炭を置く部屋の上部をわざわざ撮影しているのは珍しく、調査者の関心が小さな区画の上に架かる小屋組にも向いていたことをうかがわせる。

増改築を重ねた付属屋を、どう見るか

訪ねる前に把握しておきたいことがある。榎並家住宅は個人の住まいで、新潟市の一覧でも所有者・管理者は「個人」と記載されている。公開はなく、拝観料も駐車場も受付もない。小屋は主屋の背後、北東に建つため、公道から見える範囲はごく限られる。

砂岡を訪れる場合は道路上にとどまり、敷地に近づかず、カメラを屋敷の内側へ向けないでほしい。登録されたからといって、住人が見物を求めたわけではない。

遠目にも味わえるのは、二棟の関係である。主屋の広い寄棟茅葺があり、その奥に、より低く平たい灰色の切妻が控える。越後平野の古い屋敷は、おおむねこの構成をとってきた。住まいから付属屋へと屋根が格を下げていく序列である。そこまで読み取れる形で残る屋敷構えは、今では数えるほどしかない。

アクセスと周辺

鉄道の最寄りはJR信越本線の亀田駅で、新潟駅から二駅。砂岡二丁目は駅の南東およそ2キロにあたり、徒歩なら30分ほど、駅前からタクシーを使う手もある。

同種の土蔵や付属屋を内部から見たい場合は、同じ江南区の沢海、南東へ約5キロの北方文化博物館がよい。伊藤家の邸宅を公開する施設で、主屋・大広間ほか26棟が登録有形文化財となっており、蔵の類も含まれる。開館時間は事前に確認を。

小屋の理屈がいちばんよくわかるのは寒い時期である。地面に雪が積もれば、壁のない土間に屋根だけを架けた意味も、炭を別棟の乾いた区画に置いた意味も、説明を要しない。

Q&A

Q榎並家住宅小屋は何に使われていた建物ですか。
A収納のための付属屋です。当初部分は東から布団室、書庫、炭小屋の三室に区画され、寝具、文書、燃料の炭をそれぞれ納めていました。西端には昭和30年代にコンクリートブロック造の道具入が増築されています。
Q榎並家住宅小屋は見学できますか。
Aできません。個人所有の住宅の一部で、公開日も拝観料の設定も駐車場もありません。小屋は主屋の背後(北東)に建つため、公道から見える範囲もごく限られます。敷地内には立ち入らないでください。
Q榎並家住宅小屋はいつ建てられ、いつ登録されましたか。
A文化庁のデータベースは当初部分を江戸末期(西暦およそ1830年から1868年)とし、昭和前期の改修と昭和30年代の増築を記載しています。登録有形文化財への登録は令和7年(2025年)8月6日、登録番号は15-0602です。
Q榎並家住宅小屋のような付属屋が、なぜ文化財に登録されたのですか。
A旧家の生活のありようを読み取れる建物だからです。適用された登録基準は第一号「国土の歴史的景観に寄与しているもの」で、主屋とあわせて屋敷構えを構成し、収納の仕組みを残している点が評価されました。
Q榎並家住宅小屋へのアクセスを教えてください。
AJR信越本線の亀田駅から南東へ約2キロ、徒歩30分ほどの砂岡二丁目に所在します。新潟駅からは亀田駅まで二駅です。見学者用の駐車場はなく、外観の一部を公道から眺めるにとどめてください。
Q榎並家住宅小屋と主屋は別々に登録されているのですか。
A別件です。小屋が登録番号15-0602、主屋が15-0601で、それぞれ1棟として登録されています。いずれも第110回登録にあたり、令和7年8月6日に同時に登録原簿へ記載されました。

基本情報

名称榎並家住宅小屋(えなみけじゅうたくこや)
所在地新潟県新潟市江南区砂岡二丁目3808
指定区分登録有形文化財(建造物)/登録番号 15-0602/登録基準1 国土の歴史的景観に寄与しているもの
指定年令和7年(2025年)8月6日登録 第110回登録
員数1棟
寸法木造一部コンクリートブロック造平屋建、瓦葺、建築面積80平方メートル
所有者個人
公開状況非公開(公道から見える範囲は限定的)

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース 榎並家住宅小屋
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00015425
文化庁 国指定文化財等データベース 榎並家住宅主屋
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00015424
新潟県 文化課 登録有形文化財(建造物)に関する告示が出されました
https://www.pref.niigata.lg.jp/site/bunka/tourokutoushin250821.html
新潟県 今回登録の物件概要(PDF)
https://www.pref.niigata.lg.jp/uploaded/attachment/438007.pdf
新潟市 市内の国登録文化財一覧
https://www.city.niigata.lg.jp/kanko/bunka/rekishi/bunkazai/ichiran/touroku.html
文化庁 登録有形文化財(建造物)
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/yukei_kenzobutsu/toroku_yukei.html
文化遺産オンライン 新潟県・新潟市江南区
https://online.bunka.go.jp/heritages/region/15/15104

最終更新日: 2026.08.11