座敷二間と、深い軒の下の土縁
保阪家住宅離れは、新潟県上越市大字戸野目にある明治42年(1909年)建築の木造平屋建の建物で、昭和24年(1949年)に増築を経て、令和6年(2024年)3月6日に国の登録有形文化財に登録された。登録番号は15-0589。地元では別の名でも呼ばれる。県内屈指の大地主・保阪家の客間、怡顔邸(怡顔亭とも表記される)である。
同じ日に、同じ敷地内の主屋・温室・道具蔵も登録されている。4件の登録、ひとつの屋敷、同一の日付。これらを合わせて、かつて広大な農地経営の中枢として機能した屋敷の、残された核をなしている。
離れは主屋の西に位置し、渡廊下で接続する。文化庁の国指定文化財等データベースによれば、平屋建寄棟造桟瓦葺の南北棟で、建築面積131平方メートル。平面は2間続きの座敷とし、北に納戸を角屋で延ばす。南西には縁を矩折れに廻らし、南東に便所を付す。北側の座敷には床と押入を備える。
土縁――建物が雪と接する場所
登録の記述がとりわけ書き留めているのが土縁だ。縁を介した西側に、深い軒の下へ張り出す土間の縁である。公式の解説はこれを「敷地景観をつくる」と評価している。動線空間に対する評価としては、かなり踏み込んだ言い方だ。
それだけの理由はある。上越は世界でも有数の多雪地帯で、深い軒をもつ土間の縁はいくつもの問題を同時に片づける。障子に雪をかけない。畳に上がる前に濡れた履物を脱ぐ場所になる。暖房を要さないまま建物の広がりを外へ延ばす。そして雪が外壁に迫る季節には、そこが庭を眺める部屋になる。この建物の内部を書き留めたある文章は、障子越しの景色と、内側から見えるものの計算された構図に触れている。
昭和24年の増築は、ぼかさず事実として記しておきたい。登録有形文化財は、手の入っていないことを要件としない。平成8年(1996年)に始まったこの制度は、使える建物を使いながら残すためのもので、竣工から40年後に一部が加えられた建物は、従来の指定制度がむしろ取りこぼしやすい類型である。この違いは押さえておく価値がある。国宝・重要文化財は国が指定し、厳しい規制のもとに置かれる。一方で登録は届出制で、規制よりも税制優遇や修理費補助を主たる手段とする。
屋敷を支えた一族
保阪の名は太閤検地の検地帳にみえる。ルーツは現在の上越市三和区大東で、約四百数十年前には祖が在住していたと推定されている。戸野目に移り住んだ初代は徳右衛門。高田藩領から元禄のころに移り、川の舟運を利用した米穀商を営んだのち、本拠をこの地に移した。
上越市の記録はその後の規模を書き留めている。土地保有高644町歩、天保末期には入立米(小作取分を除いて地主に渡る米)が12,000石。弘化4年(1847年)の大地震、水害、天候不順による凶作続きで高田榊原藩の財政が窮乏したとき、当主は大肝煎として多額の冥加金を拠出した。領民への救米や金子の支給は30回に及んだという。
8代当主の保阪貞吉については、上越を訪れる人が誰の発案かを知らないまま目にしているものがある。高田城の外堀に蓮を植え、明治維新後の高田藩士の生活を支えるために栽培・販売したのが貞吉である。屋敷から数キロの高田城址公園に広がる蓮は、この事業に由来し、規模において国内有数のものとなっている。
戦後の農地解放は、その土地保有を解体した。残ったのは建物と庭、そして9代当主・潤治が収集した美術品と古文書だった。屋敷は現在12代目の当主が管理し、個人所有のままである。
公開は年に二度の週末
ここは現に人の住む個人の邸宅であり、一年の大半は非公開である。見学の機会は、NPO法人上越名家ネットワークが運営する一斉公開を通じて開かれる。市内の歴史的旧家4邸、保阪邸のほか瀧本邸・白田邸・林富永邸を、春と秋の各1週末にまとめて公開する催しだ。2026年春の公開は5月9日・10日の2日間、10時から16時まで、維持協力金は各邸500円だった。公開は例年5月と11月に行われている。この日程以外でも、事前申込による団体見学は受け付けられており、夏に庭園・温室・道具蔵の特別公開が別途行われたこともある。
日程と料金は年によって変動しているので、訪問前に最新情報を確認してほしい。撮影については、近年の公開ではむしろ推奨されており、2026年の一斉公開では各邸内にフォトスポットが設営された。ただし生活の場であり、当日の家人の案内が優先する。
住所は戸野目488。えちごトキめき鉄道の高田駅から徒歩約30分。車なら北陸自動車道上越インターチェンジから約5分、上信越自動車道上越高田インターチェンジから約15分。7月から8月にかけては、貞吉の植えた蓮が咲く高田城址公園と組み合わせて回るとよい。
Q&A
- 上越市の保阪家住宅(保阪邸)は見学できますか。料金はいくらですか。
- 限られた日程のみ見学できます。個人所有の邸宅で通常は非公開です。NPO法人上越名家ネットワークが、市内の歴史的旧家4邸を春と秋の各1週末にまとめて公開しており、例年5月と11月に行われます。2026年春の公開は5月9日・10日の10時から16時、維持協力金は各邸500円でした。それ以外の時期も事前申込による団体見学は可能です。訪問前に最新日程を確認してください。
- 保阪家住宅離れの「土縁」とは何ですか。
- 土縁は土間仕上げの縁のことで、この建物では板の縁を介した西側、非常に深い軒の下に設けられています。文化庁の解説はこれを敷地景観をつくる要素として評価しています。多雪地では障子に雪をかけず、濡れた履物を脱ぐ場所となり、冬の間は庭を眺める場所にもなります。
- 保阪家住宅離れはいつ建てられ、どの種類の文化財ですか。
- 明治42年(1909年)の建築で、昭和24年(1949年)に増築されています。令和6年(2024年)3月6日、登録番号15-0589で登録有形文化財となりました。登録は重要文化財・国宝の指定より緩やかな枠組みで、所有者は大きな改変を許可申請ではなく届出で行い、税制優遇や修理費補助を受けられます。同じ敷地の主屋・温室・道具蔵も同日付で登録されています。
- 保阪家と高田城址公園の蓮にはどんな関係がありますか。
- 8代当主の保阪貞吉が高田城の外堀に蓮を植え、明治維新後の高田藩士の生活を支えるために栽培・販売したことが始まりです。高田城址公園の蓮はこの事業に由来し、規模において国内有数のものになりました。見ごろは7月から8月で、保阪邸からは数キロの距離です。
- 保阪家住宅へは高田駅からどう行けばよいですか。
- 住所は上越市戸野目488で、えちごトキめき鉄道の高田駅から徒歩約30分です。車なら北陸自動車道上越インターチェンジから約5分、上信越自動車道上越高田インターチェンジから約15分でアクセスできます。
基本データ
| 名称 | 保阪家住宅離れ(ほさかけじゅうたくはなれ)/通称 怡顔邸 |
|---|---|
| 所在地 | 新潟県上越市大字戸野目字寺畑489-1他(邸宅の住所表記は戸野目488) |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) 登録番号 15-0589 |
| 指定年 | 登録年月日・登録告示年月日ともに令和6年(2024年)3月6日 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 木造平屋建、瓦葺、建築面積131平方メートル。明治42年建築、昭和24年増築。寄棟造桟瓦葺の南北棟 |
| 所有者 | 個人 |
| 公開状況 | 通常非公開。NPO法人上越名家ネットワークによる春秋の一斉公開(例年5月・11月)時、および事前申込の団体見学時のみ公開 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「保阪家住宅離れ」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00014785
- 上越市「保阪邸(保阪家)」
- https://www.city.joetsu.niigata.jp/soshiki/chubu-machi/bunkaisanmeguri-hosakatei.html
- 上越市「上越市の登録有形文化財(建造物)一覧」(PDF)
- https://www.city.joetsu.niigata.jp/uploaded/attachment/273003.pdf
- 上越観光Navi「保阪邸」
- https://joetsukankonavi.jp/spot/detail.php?id=413
- 上越名家ネットワーク「保阪邸」
- https://joetsu-meika.com/hosaka-tei/
- 上越タイムス社「歴史的旧家巡り写真撮影」(2026年5月10日)
- https://j-times.jp/archives/136731
最終更新日: 2026.08.13