本ノ木・田沢遺跡群──旧石器から縄文へ、日本列島の大転換を刻む川辺の遺跡
新潟県の雪深い山あい、信濃川と清津川が出合う場所に、日本の先史時代を語るうえで欠かせない遺跡群が静かに眠っています。本ノ木遺跡・田沢遺跡・壬(じん)遺跡の三遺跡からなる「本ノ木・田沢遺跡群」は、約15,000年前から12,500年前という、旧石器時代の終わりから縄文時代の幕開けへと向かう劇的な転換期に、人々が大きな環境変化にどのように適応していったかを生々しく伝える重要な遺跡群です。2019年(令和元年)10月16日には国の史跡に指定されました。
二つの川が出合う場所
本ノ木・田沢遺跡群は、日本一の長流である信濃川と、柱状節理の断崖で知られる清津川との合流点付近に位置しています。本ノ木遺跡は清津川の左岸、津南町に所在し、川を挟んだ対岸の十日町市に田沢遺跡と壬遺跡が並んで残されています。三遺跡は数百メートルから数キロの近距離にまとまり、ひとつながりの考古学的景観をかたちづくっています。
立地は決して偶然ではありません。二つの川が出合う場所には、サケなど遡上する魚が大量に集まり、河岸段丘は飲料水と移動経路を同時に提供しました。氷期の終わりに新しい暮らしの形を模索していた人々にとって、この合流点は食料の宝庫であり、道具づくりの工房であり、おそらくは集まりの場でもあったのです。
戦後考古学の論争を生んだ遺跡
第二次世界大戦後の日本考古学では、「縄文時代はいつから始まったのか」「旧石器時代との境界はどこにあるのか」という根本的な問いが議論されていました。1950年代から60年代にかけて発掘調査が進められた本ノ木遺跡は、まさにその論争の中心舞台となった遺跡です。出土した石器群が旧石器時代の終末期に属するのか、それとも縄文時代草創期の入り口に位置づけられるのかをめぐる議論は、考古学の世界で「本ノ木論争」と呼ばれ、いまも草創期研究の出発点として参照され続けています。
その後の研究によって、遺跡の構造はかなり明らかになってきました。本ノ木遺跡には性格の異なる2地点が確認されています。A地点は、段丘形成当初の自然堤防状の微高地にあり、約15,000年前を遡るころに1,000点を超える槍先形尖頭器が製作された工房的な場所です。B地点では、12,700~12,500年前より前に信濃川対岸で発生した山体崩落の痕跡をはさんで、押圧縄文土器・剥片石器・磨製石斧などが遺棄された痕跡が見つかっており、まったく別の活動段階を示しています。
三遺跡が織りなす「草創期の編年」
この遺跡群がきわめて貴重なのは、三つの遺跡を組み合わせると、縄文時代草創期の土器・石器の変遷がほぼ連続的に読み取れる点にあります。田沢遺跡では、隆起線文土器・爪形文土器・押圧縄文土器という、縄文最初期を代表する土器群が主に出土しました。壬遺跡では、下層から無文土器、上層から隆起線文土器、円孔文土器、爪形文土器などが見つかり、本ノ木遺跡における二つの活動段階のあいだを埋める時期に位置づけられます。
このように、徒歩圏内にまとまった範囲のなかに、草創期土器のほぼ全段階が層位的に保存されている例は日本列島でもごく限られています。三遺跡を合わせて読むことで、縄文時代の幕開けがどのように展開していったのか、その大きな流れを一望することができるのです。
移動する狩人から、川辺で煮炊きする人々へ
出土した石器群は、技術上の大きな転換を物語っています。氷期の旧石器時代を特徴づけていたのは、細長い剥片を効率よく剥がしとる「石刃技法」で、これは草原や山地を広く移動して大型獣を追う暮らしによく適応した技術でした。本ノ木・田沢・壬の各遺跡では、この古い技術が衰退に向かう一方で、有舌尖頭器や木葉形尖頭器、そして石鏃といった、両面加工によって整えられた左右対称の石器群が登場します。
滞在場所の選び方にも変化が見えます。旧石器時代に一般的だった丘陵上ではなく、河川の合流点という低地にとどまるようになるのです。これはおそらく、河川での集中的な漁労を中心に据えた、新しい生業のかたちを示しています。世界最古級の土器を用いて魚を煮炊きすることで、栄養を効率的に取り出し、これまでより長く同じ場所にとどまることが可能になったと考えられます。本ノ木・田沢遺跡群は、その大きな転換の足跡を、土器片と石器のあいだから雄弁に伝えてくれます。
国の史跡に指定された理由
文化庁がこの遺跡群を国の史跡に指定したのは、晩氷期の急激な気候変動に対して、人類がどのように新しい環境に適応していったのかを、これほど明瞭に、そして良好な保存状態で示す遺跡が他にほとんどないからです。気候の温暖化、針葉樹林から落葉広葉樹林への植生の変化、海水準の上昇、利用できる動物相の入れ替わり──これらすべての圧力と、それに対する人々の応答が、信濃川と清津川の合流点という小さな範囲のなかに記録されています。
同時に、本ノ木遺跡そのものが、戦後の縄文時代起源論争の舞台となった「考古学史の現場」であることも評価されています。出土遺物のみならず、研究の歩みそのものが層位として積み重なった場所として、本遺跡群はかけがえのない価値を持っています。
訪れる際の見どころ
遺跡群そのものは保護の対象として整備された土地であり、大規模な野外展示施設ではありません。そのため、訪問は二段構えで楽しむのがおすすめです。まずは「TOPPAKU(とっぱく)」の愛称で親しまれる十日町市博物館を訪ねましょう。新潟県内で唯一の国宝である「新潟県笹山遺跡出土深鉢形土器」(火焔型土器を含む57点)が常設展示されており、本ノ木・田沢遺跡群に関する解説や関連資料も充実しています。縄文時代の幕開けから、火焔型土器に象徴される最盛期に至る、信濃川中流域の長い物語を一度に体感できる施設です。
博物館で予習を済ませたら、車で河川合流点付近まで足を延ばしてみてください。信濃川と清津川が出合う段丘の上に立ち、南には苗場山の稜線を望むその景色を眺めるとき、なぜここに人々が繰り返し集まったのか、その理由が肌で理解できるはずです。大規模な観光開発が及んでいない素朴な景観のなかに、太古からの時間が静かに流れています。
周辺の見どころ
遺跡群を育んだ同じ河川系は、いまもこの地域の顔となっています。本ノ木遺跡から少し上流に進めば、日本三大峡谷のひとつに数えられる清津峡があり、巨大な柱状節理の岩壁と急流が織りなす景観は国の名勝・天然記念物に指定されています。2018年に大地の芸術祭の作品としてリニューアルされた清津峡渓谷トンネル「Tunnel of Light」は、新潟を代表するアート空間として知られています。
本ノ木遺跡の所在する津南町は、苗場山麓ジオパークの一部にも認定されており、全国有数の規模を誇る河岸段丘の景観を望むことができます。秋には黄金色に染まる棚田、夏にはひまわり畑が彩りを添えます。十日町市内では、越後妻有地域に点在する大地の芸術祭の作品群を巡ることもでき、悠久の縄文世界と現代アートが響き合う旅が楽しめます。
Q&A
- 本ノ木・田沢遺跡群を実際に見学することはできますか。
- 遺跡そのものは保護地として保全されているため、大規模な見学施設は設けられていません。河川合流点付近の段丘を散策して景観を楽しみつつ、出土遺物や詳しい解説については十日町市博物館(TOPPAKU)を訪ねるのが定番のコースです。
- どのくらい古い時代の遺跡なのですか。
- 本ノ木遺跡A地点では約15,000年前を遡るころの活動が確認され、B地点は12,700~12,500年前より前の山体崩落をはさむ時期にあたります。田沢遺跡・壬遺跡はその間の時期を補完しており、縄文時代草創期のほぼ全期間を連続して追える稀有な遺跡群です。
- なぜそれほど重要視されているのですか。
- 旧石器時代の移動生活から、河川を生活基盤とする縄文的な暮らしへ──その大きな転換を、土器と石器の双方から段階的にたどれる点に大きな価値があります。これほどコンパクトな範囲に、これほど明瞭な変遷が保存されている例は日本列島でも限られています。
- 東京からのアクセスを教えてください。
- 東京駅から上越新幹線で越後湯沢駅まで約80分、そこからほくほく線または路線バスに乗り換えて十日町駅へ向かいます。十日町市博物館(TOPPAKU)は十日町駅西口から徒歩約10分。河川合流点付近へはレンタカーやタクシーの利用が便利です。
- いつ頃の季節に訪れるのがおすすめですか。
- 屋外の散策を楽しむなら、晩春から秋にかけてが最も快適です。十日町市・津南町は全国でも有数の豪雪地帯で、冬の景観も魅力的ですが、河岸段丘へのアクセスが難しくなる場合があります。博物館は月曜日(祝日の場合は翌平日)と年末年始を除き通年開館しています。
基本情報
| 指定区分 | 国指定史跡(2019年〔令和元年〕10月16日指定) |
|---|---|
| 遺跡構成 | 本ノ木遺跡、田沢遺跡、壬(じん)遺跡 |
| 時代 | 縄文時代草創期(約15,000~12,500年前) |
| 所在地 | 新潟県十日町市、中魚沼郡津南町 |
| 立地 | 信濃川と清津川の合流点付近の河岸段丘 |
| 主な出土遺物 | 槍先形尖頭器、有舌尖頭器、石鏃、磨製石斧、隆起線文土器、爪形文土器、押圧縄文土器、無文土器、円孔文土器など |
| 関連博物館 | 十日町市博物館(TOPPAKU) 〒948-0072 新潟県十日町市西本町1丁目448番地9 |
| 博物館開館時間 | 9:00~17:00(入館は16:30まで)/休館日:毎週月曜日(祝日の場合は翌平日)、12月28日~1月3日 |
| アクセス | JR十日町駅西口から博物館まで徒歩約10分。河川合流点付近は車・タクシー利用が便利 |
参考文献
- 十日町市「【国指定史跡】本ノ木・田沢遺跡群」
- https://www.city.tokamachi.lg.jp/soshiki/kyoikuiinkai_bunkasportsbu/bunkazaika/2/gyomu/1590979872180.html
- 十日町市博物館 TOPPAKU「本ノ木・田沢遺跡群」
- https://www.tokamachi-museum.jp/archives/bunka029/
- 十日町市博物館 TOPPAKU「縄文時代と火焔型土器のクニ」
- https://www.tokamachi-museum.jp/p-exhibition/p-ex01/
- 十日町市観光協会「国宝 火焔型土器」
- https://www.tokamachishikankou.jp/spot/kokuhoukaengatadoki/
- 新潟県「新潟県の文化財一覧」
- https://www.pref.niigata.lg.jp/sec/bunka/1211389257758.html
最終更新日: 2026.05.04