はじめに

新潟県胎内市の静かな集落に佇む乙宝寺(おっぽうじ)の三重塔は、江戸時代初期に建立された純和様建築の傑作として、国の重要文化財に指定されています。老杉の林に囲まれた境内に凛と立つその姿は、装飾を排した簡素な美しさと荘重な均整美を兼ね備え、400年以上もの歳月を経てなお、訪れる人々の心を静かに打ちます。

乙宝寺そのものは、奈良時代の天平8年(736年)に聖武天皇の勅願により開山された、新潟県屈指の古刹です。お釈迦様の左眼を安置したという伝説、『今昔物語集』に収録された写経猿の説話、弘法大師ゆかりの湧水「どっこん水」など、豊かな伝説と深い歴史に彩られたこの寺院の中心に、村上城主の寄進による三重塔がそびえています。建築美と歴史ロマンが交差するこの地は、日本の文化遺産の奥深さを体感できる貴重なスポットです。

歴史的背景

乙宝寺は、天平8年(736年)に聖武天皇の勅願を受け、行基菩薩とインド僧の婆羅門僧正(ボーディセーナ)が北陸一帯の安穏を祈って開山したと伝えられています。婆羅門僧正は釈迦の左眼をこの地に安置し、右眼は中国の「甲寺」に納めたとされることから、当寺は「乙寺(きのとでら)」と名付けられました。

後白河天皇の時代に、左眼を納める金塔が寄進され、「宝」の一字が加えられて「乙宝寺」と改称されました。また、『今昔物語集』や『古今著聞集』に収められた「写経猿」の説話にちなみ、「猿供養寺」の別名でも知られています。

三重塔は、村上城主・村上周防守忠勝の発願寄進により、慶長19年(1614年)に起工し、元和6年(1620年)に竣工しました。落慶供養は村上城主・堀丹後守直奇の時代に執り行われました。棟梁は京都の小島近江守藤原吉正が務めています。塔頂の九輪には貞享年間(1684~1687年)の再興に関する刻銘が残されています。

近代に入り、大正12年(1923年)3月28日に特別保護建造物に指定され、昭和25年(1950年)8月29日に国指定重要文化財(建造物)に切り替え指定されました。昭和26年から28年にかけて解体修理が行われ、往時の姿に忠実に復元されています。

文化財指定の理由

乙宝寺三重塔が重要文化財に指定された背景には、江戸時代初期の純和様建築としての高い価値があります。同時代の多くの塔が禅宗様(唐様)や天竺様の装飾的要素を取り入れる中で、この塔は絵様彫刻などの装飾を一切排し、簡素でありながら荘重かつ均整のとれた美しい姿を実現しています。

高さ約24.2メートルの塔は柿葺(こけらぶき)の屋根を持ち、三層の各層が絶妙なバランスで積み重ねられています。歳月を重ねた木肌の自然な美しさは、周囲の老杉と見事に調和し、重要文化財としての風格を漂わせています。

新潟県内に現存する三重塔はこの塔と上越市の五智国分寺三重塔の2棟のみであり、地域的な希少性も高く評価されています。また、戦国時代から江戸初期にかけての村上藩主と越後の寺院との関係を示す歴史資料としても重要な価値を持っています。

建築の見どころ

三重塔の最大の魅力は、装飾に頼らない抑制された美しさにあります。精緻に計算された軒の出、細身の心柱、各層の巧みな比率配分など、すべての要素が構造的な調和を追求して設計されています。塔内には普賢菩薩が安置されています。

乙宝寺の境内は約2万5千坪(約8.3ヘクタール)の広さを有し、三重塔のほかにも多くの見どころがあります。

  • 大日堂(金堂):昭和58年(1983年)に再建された本堂で、本尊の胎蔵界大日如来を祀ります。地下には宝物殿があり、釈迦の左眼を納めた舎利塔や鎌倉時代の仏像、写経猿伝説の木皮経などが展示されています。
  • 弁天堂:参道脇の池の中の小島に建つ堂で、寛文8年(1668年)の再建。県指定文化財であり、堂内の壁板には桃山時代の特色を残す極彩色の竹林図が描かれています。
  • 六角堂:婆羅門僧正が釈迦の左眼を最初に納めたとされる場所です。
  • 仁王門:行基作とも伝えられる仁王像を安置する山門で、延享2年(1745年)に改修されました。奈良時代の金堂の古材が使用されていると伝えられています。
  • どっこん水(独鈷水):平安時代に空海(弘法大師)が独鈷杵で地面を突いたところ清水が湧き出したという伝説の霊水です。飯豊連峰の伏流水であり、1,200年以上経った現在も境内に豊富に湧き出し、地元住民の生活水として利用されています。
  • きのと桜(乙桜):花が咲くと同時に葉が茂る珍しい八重桜の一種で、胎内市の天然記念物に指定されています。乙宝寺にしかない固有の桜です。

桜の季節には三重塔がライトアップされ、金色に輝くように浮かび上がるその姿は、地域随一の幻想的な光景として知られています。

松尾芭蕉と文学的遺産

俳聖・松尾芭蕉は、元禄2年(1689年)の「奥の細道」紀行の途中に乙宝寺を訪れています。境内の観音堂へ続く石段の脇には、芭蕉がこの北の地で詠んだ句を刻んだ句碑が建てられており、旅の詩人が感じた越後の風景を今に伝えています。同行の河合曾良もまた旅日記にこの訪問を記録しており、乙宝寺の文学的価値をさらに高めています。

拝観のご案内

乙宝寺は年間を通じて参拝可能です。境内(三重塔・大日堂など)の拝観は無料です。宝物殿は大日堂地下にあり、有料での拝観となります。団体の場合は事前連絡により僧侶による説明を受けることもできます。

参拝時間:8:00~17:00(年末年始は延長あり)

宝物殿拝観料:大人300円/高校生以下200円(30名以上の団体割引あり:大人280円、高校生以下150円)

宝物殿拝観時間:9:00~16:00

御朱印:大日堂内の受付にて授与(300円)。越後三十三観音霊場第二十六番札所、越後薬師霊場第二十二番札所ほか。

アクセス

お車の場合:日本海東北自動車道「荒川胎内IC」から約1分(最寄りIC)。「中条IC」から約20分。無料駐車場完備。

電車の場合:JR羽越本線「平木田駅」から車で約10分(最寄り駅)。「中条駅」から車で約15分。

周辺情報

乙宝寺の周辺には、寺院参拝と合わせて楽しめるスポットが点在しています。

  • どっこん水:乙宝寺から徒歩約6分(約440m)の場所にある湧水スポット。飯豊山系の清冽な伏流水を汲むことができ、地元の方々にも親しまれています。
  • 乙まんじゅうや:乙宝寺門前にある享和4年(1804年)創業の老舗和菓子店。米糀を自然発酵させた生地で作る酒まんじゅうが名物で、揚げまんじゅうも絶品です。
  • 胎内高原ビール園:胎内の天然水で醸造される地ビールの工場見学とテイスティングが楽しめます。乙宝寺から車で約20分。
  • 奥胎内渓谷:飯豊連峰を源とする胎内川沿いの壮大な渓谷美が広がるスポット。特に秋の紅葉シーズンは圧巻の景色が楽しめます。
  • 胎内チューリップフェスティバル:毎年5月頃に開催される、色とりどりのチューリップが一面に咲き誇る春の風物詩です。

Q&A

Q乙宝寺三重塔の建築的な特徴は何ですか?
A江戸時代初期に建てられた純和様式の三重塔で、高さ約24.2メートル、柿葺(こけらぶき)の屋根が特徴です。絵様彫刻などの装飾を一切排し、簡素でありながら荘重かつ均整のとれた美しい姿が最大の魅力です。周囲の老杉との調和も見事で、国の重要文化財としての風格を漂わせています。
Qお釈迦様の左眼が納められているという伝説とは?
A寺伝によれば、天平8年(736年)の開山時に、インド僧の婆羅門僧正がお釈迦様の左眼をこの地に安置しました。右眼は中国の「甲寺」に納めたことから、当寺は「乙寺」と名付けられました。後白河天皇の時代に左眼を安置する金塔が寄進され、「宝」の字が加わり「乙宝寺」に改称されました。この聖遺物は大日堂地下の宝物殿で見学することができます。
Q拝観料はかかりますか?
A境内の散策や三重塔の外観見学は無料です。有料施設は宝物殿のみで、大人300円、高校生以下200円です。宝物殿は大日堂の地下にあり、御守授与処で受付をすると案内してもらえます。拝観時間は午前9時から午後4時までです。
Q「どっこん水」とは何ですか?
A弘法大師空海が巡錫中に独鈷杵(とっこしょ)で地面を突いたところ清水が湧き出したという伝説の霊水です。正式には「独鈷水(どっこすい)」ですが、次第に訛って「どっこん水」と呼ばれるようになりました。実際には飯豊連峰の伏流水で、1,200年以上経った現在も豊富に湧き出しており、地元では水道水の代わりとしても利用されています。
Qおすすめの訪問時期はいつですか?
A四季それぞれに魅力があります。春は乙宝寺固有の「きのと桜」の開花と三重塔のライトアップが幻想的です。夏は老杉の木陰が涼しく、緑深い境内で静寂を楽しめます。秋は紅葉が美しく、近くの奥胎内渓谷と合わせて楽しめます。冬は雪景色の中の荘厳な塔を拝むことができ、初詣では多くの参拝者で賑わいます。年間を通じて参拝可能です。

基本情報

名称 乙宝寺三重塔(おっぽうじさんじゅうのとう)
指定区分 国指定重要文化財(建造物)
指定年月日 大正12年(1923年)3月28日(特別保護建造物指定)/昭和25年(1950年)8月29日(重要文化財切替指定)
建立年 慶長19年(1614年)起工、元和6年(1620年)竣工
建築様式 純和様三重塔、柿葺(こけらぶき)
高さ 約24.2メートル
棟梁 小島近江守藤原吉正(京都)
発願者 村上城主 村上周防守忠勝
塔内安置仏 普賢菩薩
寺院名 如意山 乙宝寺(真言宗智山派)
開山 天平8年(736年)
所在地 〒959-2602 新潟県胎内市乙1112番地
電話番号 0254-46-2016
アクセス 日本海東北自動車道「荒川胎内IC」から車で約1分/JR羽越本線「平木田駅」から車で約10分
解体修理 昭和26年~28年(1951~1953年)実施、往時の姿に復元

参考文献

乙宝寺とは|真言宗 智山派 如意山 乙宝寺(公式サイト)
https://oppouji.info/oppouji.html
乙宝寺(公式トップページ)
https://oppouji.info/
乙寶寺 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%99%E5%AF%B6%E5%AF%BA
乙宝寺三重塔・弁天堂|にいがた観光ナビ
https://niigata-kankou.or.jp/spot/7280
乙宝寺|にいがた観光ナビ
https://niigata-kankou.or.jp/spot/7285
乙宝寺|じゃらんnet
https://www.jalan.net/kankou/spt_15227ag2132082700/

最終更新日: 2026.03.27