小野川の埋もれた森:阿蘇火山最大の噴火が刻んだ地層

大分県日田市の北部、小野川の河床に約4,091平方メートルの保護区がある。川底の地層には、変形して炭化した古い樹木が大量に閉じ込められている。これらは長い年月をかけて静かに堆積したものではない。およそ9万年前、阿蘇火山の最大規模の噴火によって発生した阿蘇4火砕流が、生きた森林を一瞬になぎ倒し、そのまま高温の堆積物に取り込んだ結果である。

文化庁は2011年(平成23年)9月21日、この地を国の天然記念物に指定した。指定基準は二つ。岩石・鉱物・化石の産出状態に関するものと、火山活動による現象に関するものである。これまでに13種類の樹種が同定されており、現在の日本列島では絶滅した植物の花粉も堆積物中から検出されている。

阿蘇4火砕流とは何か

九州中央部の阿蘇火山は、世界有数のカルデラ火山として知られる。約27万年前から9万年前にかけて、阿蘇は4回の巨大噴火を起こし、それぞれの火砕流堆積物は阿蘇1から阿蘇4と呼ばれて区別されている。最後で最大のものが阿蘇4で、放出された高温の火山灰・軽石・ガスが地表を覆い尽くす火砕流となり、四方に流れ下った。

この火砕流の到達距離は驚くべき規模である。北部九州を横断した本体は関門海峡を越え、現在の山口県萩市にまで達した。火山灰はさらに遠くまで運ばれ、1000キロ以上離れた北海道東部にも識別可能な地層として降下している。小野川の現場は、推定される噴火源からおよそ40キロメートルの位置にあり、破壊力が直接及んだ範囲に含まれる。

地層に刻まれた記録

小野川の露頭を読み解いた研究によれば、現地の地層は下位から上位へ向かってO-Ⅰ~O-Ⅴの五層に区分される。最下層のO-Ⅰは噴火以前の河床礫で、生きた森林が立っていた当時の地表面そのものにあたる。その上のO-Ⅱが阿蘇4火砕流堆積物の本体で、さらにa~eの五つに細分されている。O-Ⅲは火山泥流(ラハール)の堆積物、O-Ⅳは巨礫を含む土石流堆積物、O-Ⅴは現在の小野川の河床礫である。

埋没樹木群はO-Ⅱ-d層の上部に集中して見つかった。現時点の解釈はおおむね次のとおりである。火砕流の先頭を走る薄く高速な火砕サージが先に到達し、進路上の森林を破壊する。続いて火砕流本体が押し寄せ、堆積物の組成は下から上へと火山灰主体から軽石主体に変化する。樹木は本体堆積物の最上部に集まり、周囲の熱で炭化が進行した。火山ガスが抜けると細粒の火山灰が流出し、軽石や岩片などの粗粒部分が残された。その後、火山泥流と土石流が地表をさらに改変し、ようやく今日の小野川が現在の流路を定めることになる。

13種の樹種と消えた気候

同定された樹種は13に及ぶ。針葉樹が約6割を占め、トウヒ属(マツ科)、ヒノキ科、スギなどが中心となる。残りはブナやカエデなどの広葉樹である。最大級の試料は長さ約4メートル、根元径1.5メートルのマツで、現在は日田市が一部を保存処理して保管している。

この樹種構成からは、当時の気候の輪郭が浮かび上がる。研究者は、平均気温が現在より5~6度ほど低かったと推定している。森林の様相は、現在の屋久島の標高1,100メートル以上の植生に近かったと考えられる。花粉分析からは、もう一つ印象的な手がかりが得られた。日本列島では絶滅したフウ属(リクイダンバル)の花粉が、堆積物中に保存されていたのである。

樹木の最外年輪の状態からは、噴火の発生時期も絞り込まれている。樹木の生育が止まっている時期に当たることから、阿蘇4噴火は晩秋から晩春の間に起きたと推定される。この結論は、佐賀県の八藤遺跡から得られた分析結果とも整合する。

小野川と八藤:同じ噴火、異なる保存状態

小野川は、この種の発見としては日本で二例目にあたる。一例目は佐賀県上峰町の八藤遺跡で、1993年に水田の基盤工事中に偶然発見され、2004年に国の天然記念物に指定された(正式名称は「八藤丘陵の阿蘇4火砕流堆積物及び埋没林」)。両者は同じ噴火を記録しているが、保存の状態は対照的である。

八藤は噴火源から約70キロメートル離れ、樹木は生育時の位置を保ったままの「現地性化石」として残る。樹齢700~800年、長さ22メートルに達する巨木も含まれ、樹幹の断面は原形を留めている。一方、噴火源から40キロメートルの小野川では、樹木は火砕流に巻き上げられて大きく変形した「異地性化石」となっている。同じ火砕流の振る舞いを発生源からの距離別に比較できる点で、この二つの天然記念物は火山学にとって貴重な対の記録となっている。

周辺地域と訪問

小野川の現地は、調査後に堆積物の保護のため再び埋め戻されている。河川敷に解説施設や見学設備はなく、訪問にあたっては日田市文化財保護課(電話:0973-24-7171)への事前確認が望ましい。指定地は日田市鈴連町、市街地から北へ向かう山あいの地区に位置する。

小野川流域そのものは、ゆっくり訪れる価値のある一帯である。少し上流には、水力を使う伝統的な土の精製と窯場の景観が今も残る小鹿田焼の里がある。同じ谷沿いには小野民芸村ことといの里という河畔の公園もあり、日田市街の豆田町だけを訪れる旅人が見落としがちな日田北部の自然に触れられる地区である。

日田の街そのものも、滞在する価値は十分にある。江戸時代の天領としての面影を残し、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている豆田町、三隈川を行き来する屋形船、天ヶ瀬温泉や奥日田温泉の湯宿などが、いずれもJR日田駅から無理なく行ける範囲にある。日田駅は博多駅から特急「ゆふいんの森」「ゆふ」で約2時間である。

Q&A

Q小野川の現地で埋没樹木を見ることはできますか。
A現地は調査後に保護のため再び埋め戻されており、見学はできません。日田市が一部を保存処理して保管しており、企画展などで公開される場合があります。最新の情報は日田市文化財保護課にお問い合わせください。
Q八藤遺跡との違いは何ですか。
Aいずれも約9万年前の阿蘇4火砕流を記録した堆積物ですが、噴火源からの距離が異なります。八藤(佐賀県上峰町)は約70キロメートルの位置にあり、樹木が立っていた位置のまま残る「現地性化石」です。小野川は約40キロメートルで、樹木は火砕流に巻き込まれて大きく変形した「異地性化石」となっています。
Q当時の気候はどのようなものでしたか。
A推定される平均気温は現在より5~6度ほど低く、森林の様相は現在の屋久島の標高1,100メートル以上の植生に近かったとされます。針葉樹が約6割を占め、花粉分析からは現在の日本では見られないフウ属の花粉も検出されています。
Q阿蘇4噴火はいつ起こったと推定されていますか。
A年代測定からおよそ9万年前と推定されています。さらに埋没樹木の最外年輪の状態から、樹木の生育が止まっている時期、すなわち晩秋から晩春のいずれかに発生したと推定されます。佐賀県の八藤遺跡からも整合する分析結果が得られています。
Q日田市内の指定地周辺へのアクセス方法を教えてください。
AJR久大本線の日田駅が地域の玄関口です。福岡の博多駅から特急で約2時間。指定地のある鈴連町は日田市街から北の山あいにあたり、公共バスの便は限られるため、自家用車またはタクシーでの移動が現実的です。市街地からは車で約40分です。

基本情報

名称小野川の阿蘇4火砕流堆積物及び埋没樹木群(おのがわのあそよんかさいりゅうたいせきぶつおよびまいぼつじゅもくぐん)
指定区分国指定天然記念物(2011年9月21日指定)
指定基準(一)岩石、鉱物及び化石の産出状態/(十)硫気孔及び火山活動によるもの
面積4,091.61平方メートル
所在地大分県日田市鈴連町
堆積物の年代約9万年前(阿蘇4火砕流)
アクセスJR久大本線「日田」駅から車で約40分。日田駅へは博多駅から特急「ゆふいんの森」「ゆふ」で約2時間
見学について現地は保護のため埋め戻されており、見学施設はありません。事前に日田市文化財保護課(電話:0973-24-7171)への確認が必要です。

参考文献

国指定文化財等データベース「小野川の阿蘇4火砕流堆積物及び埋没樹木群」(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/00003730
文化遺産オンライン「小野川の阿蘇4火砕流堆積物及び埋没樹木群」(文化庁)
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/207105
日田市観光協会「小野川阿蘇4火砕流埋没樹林群」
https://oidehita.com/archives/389
『天然記念物小野川の阿蘇4火砕流堆積物及び埋没樹木群 保存管理・活用構想』(日田市教育委員会、2012年)/全国遺跡報告総覧
https://sitereports.nabunken.go.jp/en/132235

最終更新日: 2026.05.27