三笠山春日神社とは
三笠山春日神社は、大分県豊後高田市草地にある大同4年(809年)創建と伝わる神社で、境内と御旅所に残る社殿や鳥居など13件が平成23年(2011年)10月28日に国の登録有形文化財に登録された。一般には春日神社と呼ばれ、鎮座地の字名をとって三笠山春日神社と名のる。祭神は武甕槌命・経津主命・天児屋根命・姫大神の春日四神である。
社伝によると、大同4年、この山に雷光のような霊光が幾夜も続いた。正体を確かめに出向いた兵部卿の前に、白鹿に乗った白髪の翁が楢の大木の下から現れ、「三笠山に住む翁である」と告げて南東へ飛び去ったという。奈良の春日大明神の示現と受けとめた兵部卿が宮殿を建てて四神を祀り、山を三笠山と呼び、楢を御神木と定めたのが始まりとされる。豊後高田市の観光案内は、当社を大分県最古の春日社として紹介している。
焼失と再建をくり返した社殿の歩み
中世の三笠山春日神社は大友氏の崇敬を受けた。社伝は、建久7年(1196年)に大友能直が豊前・豊後の守護となってから神田の寄進が続き、承元2年(1208年)に獅子形一対と翁面が奉納されたと記す。建長5年(1253年)には下川面に御旅所を構え、建長7年(1255年)に最初の神幸が行われたと伝わる。
大きな断絶は16世紀に訪れた。天文19年(1550年)に家督を継いだ大友宗麟の代に、四殿並立の本殿を含む境内内外の社殿がことごとく焼け、神領も没収されて神幸は途絶えた。天正5年(1577年)、村の氏子が力を合わせて旧地に宝殿一宇を再建し、四柱をひとつの社殿に合わせて祀った。いまの本殿が四神を同座させる三間社であるのは、この再建の形を受け継いでいるからである。
近世には慶長9年(1604年)に神殿・拝殿・神楽殿・社門などが建てられ、寛永9年(1632年)にも造替があったと社伝は伝える。寛文9年(1669年)以降は島原藩の飛地となり、安政元年(1855年)に神幸祭が旧に復した。明治6年(1873年)に郷社に列し、明治40年(1907年)には奈良の春日大社と同じ「三笠山」の地名を用いることが大分県知事から認められている。平成14年(2002年)には氏子崇敬者による平成の大改修が行われ、拝殿ほか3棟の屋根の葺き替え、神輿蔵と尾園の神幸殿の建て替えなどが実施された。
13件の登録と、評価された「揃い」
登録の対象は、平成の大改修で建て替えた神輿蔵と神幸殿を除く三笠山と尾園御旅所の木造建物11件に、参道鳥居と西参道鳥居の2基を加えた13件である。登録番号は44-0183から44-0195まで連番で振られた。建てられた年代は、享保5年(1720年)の参道鳥居から昭和27年(1952年)の余興舞台まで、およそ230年の幅をもつ。
- 江戸時代:参道鳥居(1720年)、鐘楼(1830年)、神楽殿(1835年)、神門(1845年)、摂社八坂神社と西門(江戸後期)、本殿(江戸末期)
- 明治時代:摂社厳島神社(明治期)、申殿(1905年)
- 大正・昭和時代:拝殿(1921年)、籠り屋(1927年)、西参道鳥居(1934年)、余興舞台(1952年)
登録に先立つ調査は平成22年(2010年)10月、熊本大学大学院の日本建築史研究室(伊東龍一教授)が行い、報告書は平成23年(2011年)1月にまとめられて文化庁へ提出された。報告書が重く見たのは、一棟ごとの古さより社殿の組み合わせである。拝殿・申殿・本殿を南北一直線に並べ、西に石段と西門を設ける配置は、この地方の中心である宇佐神宮の建物配置と共通する。本殿の左右に摂社を置いて三つの社殿を横に並べる形は、宇佐神宮と関係の深い柞原八幡宮が神殿の左右に西宝殿・東宝殿を建てる形式に通じる。
宇佐から国東半島にかけては、本殿・申殿と、「回廊」とも呼ばれる横長の拝殿をもつ神社が少なくない。そのなかで三笠山春日神社は、中心の社殿だけでなく神門や鐘楼などの付属建物まで、修理を重ねながら一式で残している。登録で評価されたのはこの点である。
境内の配置と歩く順序
境内は三笠山の深い社叢に包まれ、南から北へまっすぐな参道が通る。南端の参道鳥居をくぐって進むと、左右に袖塀をのばした四脚門の神門が行く手を区切る。神門を抜けると参道の左手(西)に鐘楼、右手(東)に神楽殿が向かい合い、神楽殿の北には橋掛でつながる籠り屋が控える。
正面には横に長い拝殿が構え、その奥の一段高い敷地に申殿と本殿が続く。本殿の左右には摂社厳島神社(西)と摂社八坂神社(東)が並ぶ。拝殿の西には赤く塗られた西門が開き、そこから西へ延びる西参道の入口に西参道鳥居が立つ。西門の南にある神輿蔵は建て替え後の建物で、登録には含まれていない。
13件のうち余興舞台だけは境内の外にある。三笠山から1キロメートルほど離れた尾園の御旅所で、秋季大祭のあいだ神輿が一夜を過ごす神幸殿と同じ敷地に建っている。
一年の祭り
元日は午前0時の太鼓の打ち初めに続いて歳旦祭が行われ、境内では福くじや縁起物の授与がある。新年の奉射祭では「鬼」と墨書した大的を逆さに吊るし、宮司と総代がそれぞれ3本ずつ矢を放つ。射られた鬼的は拝殿に掲げられる。龍神祭の朝には氏子地域を流れる広瀬川の河口で潮を汲み、神前に供えたのち境内にまいて、その年の雨が過不足なく降るよう祈る。
日照りの年にだけ行われた臨時の大潮汲み神事は、昭和6年(1931年)を最後に途絶えていたが、平成21年(2009年)の御鎮座千二百年祭で78年ぶりに再現された。文政8年(1825年)の神事を描いた「春日神社潮汲神事絵巻」一巻が当社に伝わる。
当社がもっとも大切にする祭典は春日祭で、新入生を迎える勧学祭と庄内神楽があわせて行われる。秋季大祭は10月第3日曜日のしめおろしに始まり、第4土曜日に神輿が尾園の御旅所へ下って一泊し、翌日曜日に三笠山へ戻る。
参拝と交通
三笠山春日神社の最寄り駅はJR日豊本線の宇佐駅で、道のりで約9キロメートル、車でおよそ15分かかる。車の場合は国道213号から呉崎公民館を過ぎて広瀬川を渡り、右折して2.2キロメートルほど進む。豊後高田市街の昭和ロマン蔵からは車で約10分である。
境内への立ち入りは自由で、拝観料はかからない。社殿の内部は通常は公開されていないが、当社に伝わる春日大神の神像は毎年元日から3日間拝殿に移され、初詣の参拝者が間近に拝むことができる。余興舞台のある尾園の御旅所は境内から離れているので、あわせて訪ねるなら移動の時間を見込んでおきたい。問い合わせは社務所(電話0978-24-2529)へ。
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース 春日神社本殿
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00009084
- 文化庁 国指定文化財等データベース 春日神社余興舞台
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00009094
- 文化遺産オンライン 春日神社本殿
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/174334
- 三笠山 春日神社 由緒
- https://www.mikasayama-kasuga.com/history.html
- 三笠山 春日神社 有形文化財
- https://www.mikasayama-kasuga.com/bunkazai.html
- 三笠山 春日神社 恒例祭
- https://www.mikasayama-kasuga.com/koureisai.html
- 三笠山 春日神社 境内寸描
- https://www.mikasayama-kasuga.com/treasure.html
- 昭和の町・豊後高田市公式観光サイト 三笠山 春日神社
- https://www.city.bungotakada.oita.jp/site/showanomachi/1236.html
- iナビおおいた 春日神社
- https://i-oita.net/bungotakada/spot/1966/
最終更新日: 2026.09.26
基本情報
| 名称 | 三笠山春日神社 |
|---|---|
| 所在地 | 大分県豊後高田市草地字三笠山5206 |
| 所有者 | 宗教法人春日神社 |
| 指定 | 登録有形文化財 13件 |
| 座標 | 33.57685, 131.46782 |