獏・獅子・麒麟が据わる江戸末期の四脚門

妙壽寺中門は、大分県豊後高田市金谷町の浄土真宗本願寺派・妙壽寺の境内に建つ江戸時代末期の四脚門で、平成30年(2018年)3月27日に国の登録有形文化財に登録された。

本堂の東方、堂と市道を結ぶ軸線上に位置する。間口は4.5メートル、左右に袖塀を伴い、屋根は入母屋造の本瓦葺。形式は四脚門で、棟を受ける本柱二本を円柱とし、前後に立つ控柱四本は角柱とする。

控柱をつなぐのは虹梁形頭貫。文字どおり虹梁のゆるやかな反りを与えた頭貫である。その上に出組の組物を置き、あいだの蟇股には菊花を彫る。組物の背後、支輪と呼ぶ湾曲した板には地紋彫を一面に施す。多くの門が無地で済ませる面である。

彫り手が最も遊んだのは木鼻だろう。本柱から突き出すのは獏。象に似た鼻をもち、悪夢を食うと伝えられる霊獣である。袖柱側には獅子と麒麟が付く。麒麟は中国由来の瑞獣で、聖王の世に現れるとされた。小ぶりな門に三種の獣を並べるのは、明らかに意図した誇示である。

門をくぐるとき、上を見てほしい。天井は鏡天井。格子で割らない一枚板張りの平天井である。外側の彫刻の密度のあとでは、この無地が息を詰めたように効く。

年代の根拠と、登録という制度

文化庁のデータベースは年代を江戸末期とし、西暦では1830年から1868年の幅を与えている。改修は昭和前期。豊後高田市はこの昭和期の工事を門扉部分の改修と特定している。年代の判断は彫刻に拠っている。この門には紀年銘が見つかっていないため、木鼻や蟇股の意匠を年代の判明した他例と照合して推定するほかない。その結果が江戸末期、すなわち寺社建築の彫刻装飾が最も濃密になった最後の世代である。

登録と指定は別の制度で、この区別は押さえておく価値がある。国宝や重要文化財は「指定」されたもので、所有者は現状変更のたびに許可を要する。登録有形文化財は「登録」されたもので、平成8年(1996年)に始まったこの枠組みは、築およそ50年以上の広範な建物を届出制で守る。使いながら手を入れる自由が所有者に残る点が指定との最大の違いになる。妙壽寺中門は第89回登録、登録番号44-228、登録基準の二「造形の規範となっているもの」による。

評価文は規模の大きさと意匠の壮麗さを挙げる。規模は実際に論点である。間口4.5メートルの四脚門は一か寺の門としては相当に大きく、通りに面する表門である山門は3.5メートルと一回り小さい。妙壽寺が金をかけたのは、外ではなく内側の門だった。

参道の順に歩く

妙壽寺の門は、一基ずつ見るより順番に通ったほうが理解しやすい。北東の市道側から入ると、最初に立つのが山門である。江戸中期、間口3.5メートル、装飾は控えめで、市の解説は古式をよくとどめると評する。次に中門。大きく、新しく、彫刻に覆われている。本堂が現れるのはその先で、本堂は明治35年(1902年)頃の建築である。

この軸線を歩くと、時代の並びが期待と逆になる。参道の突き当たりに建つものが軸線上で最も新しく、そこへ至るまでにくぐる門のほうが本堂より一世紀以上古い。

日本の寺院境内はたいていこうして層を成す。堂は焼け、傷み、そのたび前より費用をかけて建て替えられる。門や鐘楼は維持が軽く、風雨への露出も少ないぶん、静かに堂を見送っていく。

南側にはさらに2棟の登録建造物が控える。境内で最も古い18世紀前期とみられる経蔵は、内部に八角形の輪蔵を納める。鐘楼の建立は宝暦11年(1761年)で、これは天井裏に残された墨書によって裏づけられている。5棟はいずれも平成30年3月27日付の同時登録で、これにより豊後高田市内の登録有形文化財は23件となった。

訪ねるには少し支度がいる。豊後高田は昭和40年(1965年)に鉄道を失っており、最寄り駅はJR日豊本線の宇佐駅になる。駅を出て左手のバス乗り場から大交北部バスの豊後高田行き・伊美行き・大分空港行きに乗れば、約10分、250円で豊後高田バスターミナルに着く。7時から17時のあいだ1時間に1〜2本の運行。大分空港からはリムジンバス「ノースライナー」が同じターミナルまで乗り換えなしで約50分である。ターミナルから東へ徒歩5分ほど、昭和の町の商店街の際が妙壽寺の境内にあたる。

実用面を一点。妙壽寺は拝観料も公開時間も受付も設けていない門徒寺である。境内は開かれており、中門は外から見て撮る分に手続きはいらないが、それ以上のこと、たとえば本堂に上がる場合は事前に寺務所へ相談してほしい。登録5棟についての問い合わせは真玉庁舎の市文化財室が受けている。

Q&A

Q妙壽寺中門はどこにありますか。見学できますか。
A大分県豊後高田市金谷町598-1、市道と本堂を結ぶ参道上に建っています。豊後高田バスターミナルから東へ徒歩約5分。境内は開かれており、中門を外から見学・撮影する分に料金や手続きはいりません。受付はないため、本堂内部など門以外の見学は事前に寺へご相談ください。
Q妙壽寺中門はいつ建てられたのですか。
A文化庁の登録情報では江戸時代末期、西暦1830年から1868年の幅で示されています。昭和前期に門扉部分が改修されました。紀年銘は確認されておらず、年代は彫刻意匠からの推定です。
Q妙壽寺中門ではどこを見ればよいですか。
A木鼻の三獣が見どころです。本柱に獏、袖柱側に獅子と麒麟が付きます。蟇股には菊花を彫り、組物背後の支輪には地紋彫が一面に入ります。門の下に立って見上げると、天井は格子のない一枚板の鏡天井です。
Q妙壽寺中門はどんな形式の門で、どのくらいの大きさですか。
A四脚門です。間口4.5メートル、木造・瓦葺で左右に袖塀が付き、屋根は入母屋造の本瓦葺。本柱は円柱、控柱は角柱で、虹梁形頭貫で固めます。表門にあたる山門は間口3.5メートルで、中門より一回り小さくなります。
Q妙壽寺中門は指定文化財ですか、登録文化財ですか。
A登録です。平成30年(2018年)3月27日に登録有形文化財(建造物)となり、登録番号は44-228。登録制度は平成8年(1996年)に始まり、築約50年以上の建物を届出制で守ります。国宝・重要文化財の「指定」に伴う許可制とは別の枠組みです。

基本情報

名称妙壽寺中門(みょうじゅじちゅうもん)
所在地大分県豊後高田市金谷町598-1
指定区分登録有形文化財(建造物)/登録番号 44-228/登録基準(二)造形の規範となっているもの
指定年平成30年(2018年)3月27日登録(第89回)
員数1棟
寸法木造、瓦葺、間口4.5メートル、左右袖塀付/四脚門、入母屋造、本瓦葺
所有者宗教法人妙壽寺
公開状況現役寺院の開かれた境内に所在。門の外観見学・撮影は自由、拝観受付や公開時間の設定はなし

参考文献

国指定文化財等データベース「妙壽寺中門」(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00012265
妙壽寺本堂他4件の建造物が国登録有形文化財に登録されました!(豊後高田市)
https://www.city.bungotakada.oita.jp/site/bunkazai/2251.html
「宇佐駅から昭和の町(豊後高田市)」バスのご案内(豊後高田市公式観光サイト)
https://www.city.bungotakada.oita.jp/site/showanomachi/1438.html
豊後高田市へのアクセス(豊後高田市)
https://www.city.bungotakada.oita.jp/soshiki/2/1905.html

最終更新日: 2026.08.20