竹林を背にした武家の供養塔
田原家五重塔は、大分県杵築市大田沓掛にある石造五重塔で、昭和29年(1954年)3月20日に国の重要文化財に指定された。
総高は411センチ。石材は角閃安山岩。低い山裾に立ち、背後には孟宗竹の竹林、前面には細長く続く田圃が広がる。覆屋も柵も受付もない。近くを桂川が流れ、道路をはさんだ向かいの小山が沓掛城址である。
名称は五重塔だが、奈良や京都の木造五重塔とは系統が異なる。石造の層塔で、軸部と屋根をそれぞれ別石で刻み、順に積み上げて構成する。鎌倉から南北朝にかけての九州では層塔が数多くつくられており、本塔はそのなかでも大型に属する。
伝承は、この塔を沓掛城主田原直平の供養塔とする。田原氏は豊後国主大友氏の最初の分家にあたり、中世を通じて国東半島の中央部に勢力を張った。直平は足利尊氏の西下に際して大友氏に従い戦功を挙げ、のちに府内万寿寺の悟庵師を招いて宝陀寺を建立したと伝えられる。彼が守った城の跡は、塔から目の届く距離にある。
刻銘の年号をめぐって
昭和43年(1968年)、この塔は解体修理を受けた。このとき石材から延元4年(1339年)の銘が見つかった。杵築市と大分県の資料は、いずれもこの銘を根拠に年代を記している。
延元は南朝の年号である。1339年の日本には二つの朝廷と二つの暦が並立しており、同じ年は北朝方では暦応2年と呼ばれた。延元を選んで刻むことは中立的な行為ではない。願主の立場、少なくとも石工が従うべき権威の所在が、そこに表れている。
資料を突き合わせる際に注意したい点がひとつある。文化庁のデータベースは年代欄に延文4年(1359年)と記す一方、同じ記録の構造欄には「延元四年の刻銘がある」と明記している。延文と延元は一字違いで、年代にすると二十年の開きがある。杵築市の指定文化財一覧、大分県の資料、おおいた文化財ずかんはいずれも延元4年(1339年)を採る。文化庁側の年代欄は現在も修正されていない。
指定が評価しているのは、在銘であることに加えて、造形の完成度と均衡である。基礎は三重に積み上げられ、側面は四面とも三区に分けられて、それぞれに格狭間が彫られる。格狭間は輪郭を弓なりに刳り抜いた装飾枠で、石塔の基礎に用いられる定型のひとつである。各重の屋根は照屋根で、軒裏には一重の垂木型がくっきりと刻まれる。軒の出は少なく、両端でよく反り上がる。この反りが、塔全体の輪郭に浮き上がるような張りを与えている。
第五重の屋根の上、本来なら相輪が立つ位置は、ほとんど失われている。文化庁の記載も「露盤以上を欠く」と端的である。完成時には最上部に宝珠が載っていたと伝える説明もある。欠失は事実として受け止めるほかないが、その結果として、この塔は細く先細るのではなく、空に対して唐突に断ち切られた輪郭を持つことになった。
訪ねる前に知っておきたいこと
拝観料はなく、開閉の時間もない。屋外に立ち、杵築市が管理しており、いつでも見ることができる。撮影に制限はない。ただし彫刻のある基礎の石には登らないでいただきたい。
到達には少し注意が要る。県道31号が旧大田村の集落を貫いており、田原小学校の近くに「田原家五重塔」の案内板が立つ。ここで曲がって橋を渡ると、正面の山裾に塔がある。県道上には手前の案内が出ていないという訪問者の報告があるので、塔そのものより小学校を目印にしたほうが確実である。
塔の右手には五輪塔が二基と、壊れた石燈籠が置かれている。大きいほうの五輪塔は形が整い、保存状態も良い。塔を見上げていると見落としやすい。同じ大田地区には、県指定史跡の田原家丸山墓地もある。
周辺には、同じ昭和29年3月20日に指定された国指定の石造物が二基ある。大田小野の財前家宝塔(元応3年=1321年銘)と、大田石丸の宝塔(元徳2年=1330年銘)である。層塔である五重塔と、台座を持つ宝塔とを続けて見ると、14世紀の石工が狭い範囲でどれほど形式を使い分けていたかがわかる。県道31号沿いの白鬚田原神社では、毎年10月17日と18日にどぶろく祭が行われ、氏子が醸したどぶろくが神前に供えられる。
Q&A
- 田原家五重塔は自由に見学できますか。拝観料や見学時間はありますか。
- 屋外の開けた場所に立っており、囲いも受付もありません。拝観料は不要で、見学時間の定めもなく、いつでも見ることができます。管理は杵築市です。撮影の制限はありませんが、彫刻のある基礎に登らないようご注意ください。
- 田原家五重塔はいつ建てられたのですか。
- 昭和43年(1968年)の解体修理の際、石材から延元4年(1339年)の銘が発見されました。杵築市と大分県はこの銘を根拠に年代を記しています。なお文化庁データベースは年代欄に1359年を記しつつ、同じ記録内で延元四年の刻銘に触れています。
- 田原家五重塔は誰の供養塔と伝えられていますか。
- 沓掛城主であった田原直平の供養塔と伝えられています。田原氏は豊後大友氏の最初の分家で、中世の国東半島で有力な武家でした。この人物比定は刻銘そのものではなく地域の伝承にもとづくものです。
- 田原家五重塔の高さと石材を教えてください。
- 総高は411センチ、石材は角閃安山岩です。第五重の屋根より上、露盤を含む相輪部分は失われているため、建立当初はさらに高かったことになります。
- 田原家五重塔へのアクセス方法は。
- 車での訪問が現実的です。杵築市大田を通る県道31号を進み、田原小学校近くの案内板で曲がって橋を渡ると、沓掛城址の向かいの山裾に塔があります。直接向かう公共交通機関はありません。
基本情報
| 名称 | 田原家五重塔(たわらけごじゅうのとう) |
|---|---|
| 所在地 | 大分県杵築市大田沓掛2102番地 |
| 指定区分 | 重要文化財(建造物)/指定番号第1285号 |
| 指定年 | 昭和29年(1954年)3月20日 |
| 員数 | 1基 |
| 寸法 | 総高411センチ。石材は角閃安山岩。露盤以上の相輪を欠く |
| 所有者 | 個人所有、管理団体は杵築市 |
| 公開状況 | 屋外に常時公開。拝観料なし、見学時間の定めなし |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)— 田原家五重塔
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/3604
- 文化遺産オンライン — 田原家五重塔
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/148801
- おおいた文化財ずかん — 田原家五重塔
- https://oita-digitalzukan.jp/cultural_property/田原家五重塔/
- 杵築市 — 杵築市指定文化財一覧
- https://www.city.kitsuki.lg.jp/soshiki/7/bunka/bunkazai/bunkazai/1822.html
- 大分県 おおいたデジタルアーカイブ — 田原家五重塔
- https://www.pref.oita.jp/site/archive/200675.html
最終更新日: 2026.08.20