生前に自らのために建てられた塔
財前家宝塔(ざいぜんけほうとう)は、大分県杵築市大田小野1609番地に立つ石造宝塔で、元応3年(1321年)の造立、昭和29年(1954年)3月20日に国の重要文化財に指定された。国東半島に分布する国東塔の一種であり、総高2.97メートル、周囲に散在する百基あまりの石塔群のなかで最も大きい。
塔身に刻まれた長文の銘は、この塔の性格を決定づける。「敬白 奉造立石塔一基」と書き起こし、現世安穏、後世菩提、出離生苦、法界衆生と続く。これは逆修塔、すなわち生存中の発願者が自らの後生を祈って建てた塔であることを示す文言である。財前家の祖、財前美濃守の墓と伝わってきたが、石が語る文言は墓標という理解から離れている。
年紀は「元応第三祀歳次庚酉」。元応3年は西暦1321年にあたる。ただし1321年の干支は辛酉(かのととり)であり、刻まれた庚酉(かのえとり)とは合わない。石工の誤刻と解されている。文化庁のデータベースは石面の文字をそのまま翻刻して掲載しており、暦とのずれはそこに由来する。
国東塔という形式のなかで
一般の宝塔は、方形の基礎の上に円い塔身を直接載せる。国東塔はその間に台座を挟む。反花座を置くもの、蓮華座を置くもの、双方を重ねるものがあり、この一段が加わるだけで輪郭が変わる。塔身が地面から持ち上がり、全体が縦に伸びる。現存は約500基、その9割ほどが国東半島とその周辺に集中している。
財前家宝塔はその構成要素を明瞭に見せる。基礎側面は各面を二区に割り、それぞれに格狭間を彫る。須弥壇や仏具の台脚に用いられる、あの輪郭のくぼみである。その上に背の高い反花座が載る。この一段の高さが、寸法を測る前から塔を大きく見せている理由の大半を占める。
昭和29年の指定は、同じ杵築市大田地区の二基と同日に行われた。延元4年(1339年)銘の田原家五重塔と、元徳2年(1330年)銘の石丸の宝塔である。三基のなかで財前家宝塔を際立たせるのは、規模と、判読できる紀年銘と、造立の目的まで書き残した銘文の長さが揃っている点にある。鎌倉時代の在銘石造物はこの半島に少なくないが、なぜ建てたかまで刻んだ例となると数は限られる。
建立の背景にあるのは在地の勢力である。財前家は紀氏の血を引くと言われ、中世を通じて国東地方に影響力を持った。県が史跡として指定しているのは指定塔一基ではなく、この墓地全体である。
一基ではなく、丘全体を読む
重文の塔は基壇の上に立ち、両脇に二基の国東塔が並ぶ。三基が横一列に据えられている意味は、見比べることにある。台座の高さ、塔身のふくらみ、相輪の伸び方の違いは、単独で立つ塔をいくら眺めても見えてこない。
視野をもう一段広げたい。この墓地には計101基ほどの石塔・石碑が散在する。国東塔15基、宝篋印塔2基、五輪塔約70基、板碑14基。年代は鎌倉時代から南北朝時代に及ぶ。つまり一族の造塔がおよそ一世紀半にわたってどう変化したかが、足を動かさずに一望できる。国内でもそう多くない条件である。
実務的な注意は寺院を訪ねるときより重い。ここは今も一族につながる屋外の墓地で、杵築市の文化財一覧では所有者を個人とし、文化庁データベースの所有者名欄は空欄になっている。門も受付も開閉時刻もなく、尋ねる相手もいない。石塔の間の通路を外れない、石に触れない、声を落とす。一般の墓所で守るべきことがそのまま当てはまる。個人的な撮影を妨げる掲示はないが、格狭間の彫りは正午の光より、早朝か夕方の低く差し込む光のほうがはるかに読み取りやすい。
大田地区は半島中央の内陸にあり、かつて陸の孤島と評されたことがある。石造物がまとまって残った理由もそこにある。移動は自動車が現実的で、鉄道ならJR日豊本線の杵築駅が最寄り、大分空港は半島東岸にある。石造美術を軸に一日を組むなら、同じ大田地区の田原家五重塔と石丸の宝塔を合わせて回るのが効率がよい。
Q&A
- 財前家宝塔は見学できますか。拝観料は必要ですか。
- 見学できます。杵築市大田小野の丘の上にある屋外の墓地に立ち、門も受付も拝観料もありません。ただし現在も使われている一族の墓地ですので、通路を外れないなど相応の配慮が求められます。
- 財前家宝塔の大きさと形式を教えてください。
- 総高2.97メートルで、財前家墓地の石塔群のなかで最大です。形式は国東塔と呼ばれる石造宝塔で、方形の基礎と円い塔身の間に背の高い反花座を挟む点が特徴です。基礎側面は二区に分けて格狭間を彫っています。
- 財前家宝塔は墓標なのですか。
- 銘文は別の性格を示しています。現世安穏、後世菩提を願う文言から、生存中の発願者が自らの後生のために建てた逆修塔と理解されています。財前美濃守の墓と伝わってきましたが、刻まれた文言からは墓標とは考えにくいところです。
- 財前家宝塔の周辺には他に何がありますか。
- 同じ墓地に計101基ほどの石塔・石碑が散在します。国東塔15基、宝篋印塔2基、五輪塔約70基、板碑14基で、鎌倉時代から南北朝時代のものです。墓地全体が大分県指定史跡です。同じ大田地区には田原家五重塔と石丸の宝塔という二基の重要文化財もあります。
- 財前家宝塔の銘の干支が年号と合わないのはなぜですか。
- 銘は「元応第三祀歳次庚酉」とあり、元応3年は1321年ですが、1321年の干支は辛酉です。刻字の際の誤りと解されています。文化庁のデータベースは石面の表記をそのまま記載しているため、暦との食い違いが残ったかたちです。
基本情報
| 名称 | 財前家宝塔(ざいぜんけほうとう) |
|---|---|
| 所在地 | 大分県杵築市大田小野1609番地 |
| 指定区分 | 重要文化財(建造物)/指定番号 01286 |
| 指定年 | 昭和29年(1954年)3月20日 |
| 員数 | 1基 |
| 寸法 | 総高 2.97メートル |
| 構造及び形式 | 石造宝塔(国東塔)/「元応第三祀歳次庚酉」の刻銘がある |
| 年代 | 元応3年(1321年)/鎌倉後期 |
| 所有者 | 杵築市の文化財一覧では個人。文化庁データベースの所有者名欄は空欄 |
| 公開状況 | 屋外の墓地内に立ち常時見学可、拝観料なし、見学施設なし |
参考文献
- 財前家宝塔 — 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/3603
- 財前家宝塔 — 文化遺産オンライン
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/196260
- 杵築市指定文化財一覧 — 杵築市公式サイト
- https://www.city.kitsuki.lg.jp/soshiki/7/bunka/bunkazai/bunkazai/1822.html
- すばらしい国東塔や五輪塔が並ぶ財前家墓地 — 大分県公式サイト
- https://www.pref.oita.jp/site/archive/200253.html
最終更新日: 2026.08.20