校庭に取り残された戦うための櫓
岡山城西丸西手櫓は、岡山県岡山市北区丸の内の岡山城西の丸跡に建つ桃山時代の二重二階の隅櫓で、昭和8年(1933年)1月23日に国の重要文化財に指定された。地元では単に西手櫓と呼ばれることが多い。
岡山城で二十世紀を越えた櫓は二棟。烏城公園の中で再建天守と並び、来訪者を集めるのが月見櫓である。もう一棟がこの西手櫓で、二棟のうちでは古く、装飾を欠き、そして戦うためにできている。
建立年代には振れ幅がある。国指定文化財等データベースは年代を文禄3年から慶長2年(1594年から1597年)、すなわち宇喜多秀家が築城を仕上げていく時期に置く。これに対し岡山市教育委員会文化財課は別の読みを示す。西の丸は慶長8年(1603年)、幼少の池田忠継が岡山藩主となり、兄の池田利隆が代わって岡山城に入った際に整備された曲輪であり、西手櫓もその時に建てられたとみられる、というものである。史跡「岡山城跡」の解説も、忠継の入封にともなう西ノ丸の修築に触れる。どちらの読みをとっても慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦から十年以内の建築となり、月見櫓より古い点は変わらない。
開口部を絞り、迎撃に振る
平面は素直な長方形である。東西五間で約10.4メートル、南北三間で約7.3メートル、高さは10.6メートル。一階と二階で平面規模が変わらず、壁がまっすぐ立ち上がる。天守のように上へすぼまっていく輪郭とは対照的で、地に踏ん張ったような姿になる。
外観は総白壁の漆喰造り。軒の裏まで塗り込められ、外側には木部が現れない。最上層の屋根は入母屋造り、下層の西面には唐破風が掛かる。大棟には一対の鯱が載り、随所の鬼瓦には池田家の家紋である揚羽蝶が意匠化されている。全体としては荘重な基調にまとまる。
岡山市はこの造りを、関ヶ原合戦直後の軍事的緊張が高い時期にふさわしい実戦本位のものと説明する。壁の開口部をできるだけ小さく取りながら、迎撃だけは効果的にできるようにしてある、という理屈だ。一階の西面には、壁から張り出した石落としが二か所。下方に開く射撃口で、内部から見ると棚のように見える部分がそれにあたる。その間に格子窓が二つ。二階は西・南・北の三面に堅牢な格子付きの出窓を設けて視界を確保する。一階の内部は土間で、天井板を張らず梁材が剥き出しのまま。二階の西・南・北は板張りの廊下となっていて、守備兵が窓の間を素早く移動できる。
ところが二階の東側、城内に向いた部屋だけが例外になる。畳を敷いていた形跡があり、床の間と押入れを備え、窓は広く、障子と雨戸が入る。岡山市は、西の丸にあった御殿との一体的な利用を図るなかで内部が改装された結果と読んでいる。
櫓の下にあったもの、いま建つ場所
この櫓が担っていたのは、岡山城中心部の西端を守る役割である。いま櫓の足元に広がるのは市街地と電車通りだが、当時そこにあったのは水を湛えた堀だった。一階の石落としの蓋を開ければ、水面が真下に見えたことになる。
背後の曲輪は、長く軍事空間であり続けたわけではない。西の丸には広大な御殿が営まれ、寛文12年(1672年)に隠居した池田光政をはじめ、歴代の隠居藩主や藩主の家族がここに住んだ。櫓の東に残る池は、その御殿に付属した庭園の名残とみられている。
見学には少し段取りが要る。西の丸跡は明治20年(1887年)開校、平成13年(2001年)閉校の岡山市立内山下小学校の敷地となり、周囲には割石積みの高石垣が今も残る。校門は通常閉ざされ、一般の立ち入りはできない。したがって見学は敷地の外からとなる。狙い目は西面である。電車通り沿いにあった建物が取り壊されたことで、格子窓を備えた白い西壁が歩道からはっきり見えるようになった。最寄りはJR岡山駅から路面電車で約5分の「城下」電停。同じ電停から東へ徒歩10分ほどで月見櫓と天守に着くので、二棟の重要文化財を半日で回れる。
月見櫓で毎年11月に行われているような定期的な内部公開は、この櫓では実施されていない。内部の見学を希望する場合は、事前に岡山市教育委員会文化財課へ問い合わせるのが確実である。
Q&A
- 岡山城西丸西手櫓の内部は見学できますか。
- 内部は一般公開されておらず、月見櫓のような年次の公開行事もありません。旧岡山市立内山下小学校の敷地内に建ち、校門は通常閉鎖されているため、見学は敷地の外からとなります。
- 岡山城西丸西手櫓へのアクセス方法を教えてください。
- 所在地は岡山市北区丸の内、岡山城本丸の西側にあたる西の丸跡です。JR岡山駅から路面電車で約5分の「城下」電停で下車し、すぐの距離にあります。電車通りから西面の外観を眺めることができます。
- 岡山城西丸西手櫓はいつ建てられたのですか。
- 国指定文化財等データベースは桃山時代、文禄3年から慶長2年(1594年から1597年)としています。一方で岡山市は、西の丸が整備された慶長8年(1603年)頃の建築とみています。両者には十年ほどの開きがありますが、いずれにせよ月見櫓より古い建物です。
- 岡山城西丸西手櫓と月見櫓はどう違うのですか。
- 西手櫓は年代が古く、実戦本位の造りです。開口部を絞り、一階は土間で梁が剥き出し、二階の三面は板張りの廊下になっています。1620年代の月見櫓が城内側に縁側と障子を並べた居住性の高い顔を見せるのとは対照的で、西手櫓で座敷になっているのは二階東側の一室だけです。
- 岡山城西丸西手櫓は当時のままの建物ですか。
- 現存建築です。明治の廃城処分と、天守を焼いた昭和20年(1945年)6月29日の岡山空襲を免れ、岡山城に残る二棟の現存櫓の一つとなっています。ただし江戸時代に内部の改装を受けており、二階東側の部屋が座敷に改められています。
- 岡山城西丸西手櫓にある石落としとは何ですか。
- 壁から張り出し、下方に開く射撃口です。建物の壁面に沿って射撃したり石を落としたりするための施設で、西手櫓では一階の西面に二か所設けられています。内側からは棚のように見え、蓋板を開けると、かつてはその真下に内堀が広がっていました。
基本情報
| 名称 | 岡山城西丸西手櫓(おかやまじょうにしのまるにしてやぐら) |
|---|---|
| 所在地 | 岡山県岡山市北区丸の内 |
| 指定区分 | 重要文化財(建造物)/近世以前・城郭 |
| 指定年 | 昭和8年(1933年)1月23日 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 二重二階隅櫓、本瓦葺。東西約10.4メートル(柱間五間)、南北約7.3メートル(柱間三間)、高さ約10.6メートル |
| 所有者 | 国指定文化財等データベースに所有者名の記載なし。管理団体は岡山市 |
| 公開状況 | 内部非公開。旧内山下小学校敷地外の公道から西面の外観を見学可能 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)岡山城西丸西手櫓
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/2999
- 岡山市 重要文化財(建造物)岡山城西手櫓
- https://www.city.okayama.jp/kurashi/0000004957.html
- 文化遺産オンライン 岡山城西丸西手櫓
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/187146
- 文化遺産オンライン 岡山城跡
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/202586
- 岡山県 国指定文化財一覧(その5)重要文化財(建造物)
- https://www.pref.okayama.jp/page/detail-50626.html
- 岡山城公式ウェブサイト 利用案内
- https://okayama-castle.jp/guide/
最終更新日: 2026.08.06