支谷に築かれた江戸時代の石積堰堤

内広砂留(うちひろすなどめ)は、広島県福山市神辺町西中条字トウトウ谷にある江戸時代後期の石積堰堤で、平成18年(2006年)8月3日に国の登録有形文化財に登録された。

砂留とは砂を留めるための堰堤である。近代の「砂防」という用語より古い言葉で、備後地方では福山藩が崩れやすい渓流に架けた石造の堰堤を指す。貯水施設ではない。水は堤を越え、また抜けていく。留めるのは、大雨のたびに山肌から流れ出る花崗岩の細粒だ。

内広砂留は堤高3.8メートル、堤長21メートル。堂々川の砂留群のなかでは小ぶりな部類に入る。下流にある堂々川六番砂留は堤高13メートル、堤長56メートルで、石積の砂防堰堤としては日本最大級とされる。内広砂留はその巨大な六番砂留よりさらに上流、堂々川本川に右岸側から合流する支谷、トウトウ谷と呼ばれる細い谷筋に位置する。

文化庁は平成18年に堂々川の砂留8基を一括して登録した。うち6基は本川筋に一番から六番までの番号を持つ。残る2基、内広砂留と鳶ヶ迫砂留は支谷を守っている。谷全体の約4キロメートルには五十基ほどの石積堰堤が残り、十五基前後が今も構造物として機能しているとされる。

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適用された登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」だが、内広砂留を谷の奥まで見に行く価値があるのは技術的な中身のほうだ。

すべて空石積である。モルタルも使わず、コンクリートの芯も入れず、花崗岩の塊を結びつけているのは自重と石面どうしの摩擦だけ。工学的には重力式に分類される。堆積した土砂の押しに対して、重いこと、そして荷重が石を引き離す向きではなく押し合わせる向きに働く形状であることによって抵抗する。

この小さな堰堤ひとつに、性格の異なる三つの石積技法が同居している。そこが専門家を呼び寄せる理由だ。

両袖部の壁体は乱積で築かれる。大きさの揃わない石を、水平の層を通さずに収まりのよい位置へ嵌めていく積み方だ。袖に沿って目線を走らせても、通しの横目地は現れない。隅部には算木積が用いられる。長辺と短辺を交互に見せながら積み上げ、直角部分を組み合わせる技法で、丸太小屋の角の組み方に似ている。城郭の石垣の隅にも同じ手法が使われた。理由も同じで、崩壊は必ず隅から始まる。

上部は谷積。石を斜めに据えて先端を下に向け、段状に積み上げる。斜めの面を流れ落ちる雨水は横へ逃げ、水平目地に真っ直ぐ打ち込むことがない。

もう一点、注目に値する納まりがある。両袖の壁体が、水通の面と揃わずに前方へ張り出しているのだ。水通から落ちた流れは、袖の石積から離れた位置に落ちる。無防備な空石積の壁が最初に洗掘されるのは、この袖の足元だからだ。十八世紀の職人が設計原理として書き残したわけではない。堰堤が壊れるのを見ながら身につけた形だ。

年代の幅もその長い経過を反映している。文化庁は当初の築造を江戸時代後期、1751年から1829年のあいだと位置づけ、明治期の1868年から1911年にかけての増築を記録する。この谷の砂留はほとんどが同じように修理と嵩上げを重ねている。必要だから維持されたのであって、誰かがこれを文化財とみなしたからではない。

谷を訪ねる

堂々川の砂留群は屋外の開けた場所にあり、時間の制限も入場料もなく、撮影の制約もない。ただし上流部はそれなりに険しい。

拠点になるのは堂々公園だ。六番砂留の背後に溜まった堆砂敷を利用して整備された公園で、刈り込まれた低木と樹林、延長344メートルほどの野面石の石組み水路が配され、谷のなかで駐車場と平坦な園路と案内表示がそろう唯一の区域である。山陽自動車道の福山東インターチェンジから車で約20分、JR福塩線神辺駅からタクシーで約15分。それより奥へは公共交通の便がない。

公園から歩いて上がると、正面に六番砂留が立ち上がる。およそ一割勾配で段状に積まれた花崗岩の壁だ。多くの見学者はここで折り返す。それで十分に見応えがある。

内広砂留まで行くには、六番砂留の上流で本川を離れ、右岸側の支谷に入ってかなり細い道をたどることになる。足場は不安定で、道標も連続していない。雨の後は沢筋が滑る。運動靴ではなく登山靴が要る。単独行は勧められない。谷の環境整備を続けている地元のボランティア団体「堂々川ホタル同好会」は、上流の砂留をきちんと見たい人にとって最初の相談先になりうる。

季節は二つ挙げておきたい。6月には沢沿いにホタルが飛ぶ。同じ団体が長年続けてきた環境整備の成果だ。9月下旬には土手が彼岸花で赤く染まる。白や黄色の品種もこの谷では育つ。夏には公園下流の浅瀬に子ども連れが集まるが、上流部は年間を通して静かなままだ。

Q&A

Q内広砂留とはどのような施設で、普通のダムとどう違うのですか。
A水を貯めるのではなく土砂を止めるための堰堤です。水は堤を越えて流れ、山肌から流出する花崗岩質の砂礫を堤内に留めます。堤高3.8メートル、堤長21メートル。モルタルを使わない空石積の花崗岩造で、現在も福山市の砂防施設として機能しています。
Q内広砂留は見学できますか。入場料や見学時間の制限はありますか。
A門も開館時間もない屋外の施設で、入場料は不要、撮影も自由です。ただし到達するには六番砂留の上流から支谷の未整備な道を登る必要があり、道標も連続していません。しっかりした靴が必要で、大雨の直後は避けてください。
Q内広砂留のある堂々川砂留群へのアクセス方法を教えてください。
A堂々公園が入口になります。山陽自動車道の福山東インターチェンジから車で約20分、JR福塩線神辺駅からタクシーで約15分です。公園の駐車場は無料。上流域まで乗り入れる路線バスはありません。
Q内広砂留はいつ、誰によって築かれたのですか。
A文化庁は当初の築造を江戸時代後期、1751年から1829年のあいだとし、1868年から1911年の明治期に増築があったと記録しています。堂々川の砂留群は、神辺の背後にある風化花崗岩の斜面から繰り返し土砂災害を受けた備後福山藩のもとで築かれました。
Q内広砂留と堂々川の谷を訪ねるのに適した季節はいつですか。
A沢沿いにホタルが飛ぶ6月と、土手が彼岸花で染まる9月下旬です。石積そのものを観察するなら冬が最も見やすく、落葉と下草の後退で積み方の層が露わになります。大雨の直後は避けたほうが安全です。

基本データ

名称内広砂留(うちひろすなどめ)
所在地広島県福山市神辺町西中条字トウトウ谷
指定区分登録有形文化財(建造物) 登録番号 34-0082
指定年平成18年(2006年)8月3日登録(同年8月24日告示)
員数1基
寸法重力式石造堰堤。堤長21メートル、堤高3.8メートル
所有者国(国土交通省)
公開状況屋外のため常時見学可・無料。上流部の経路は未整備

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁) — 内広砂留
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00005667
文化遺産オンライン — 内広砂留
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/152275
福山市 — 福山市の指定・登録・選定文化財 目次
https://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/soshiki/bunka/63787.html
福山市 — ふくやま文化財マップ
https://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/soshiki/bunka/179333.html
Dive! Hiroshima(広島県観光連盟) — 堂々川の砂留と堂々公園
https://dive-hiroshima.com/explore/1622/

最終更新日: 2026.08.08