天願川を望む岩塊に築かれた山城

うるま市安慶名の市街地を少し外れると、闘牛場の屋根越しに、こんもりと盛り上がった緑の丘が見えてくる。標高はおよそ48メートル余り。だが近づくと、その丘そのものが石でできていることに気づく。隆起した珊瑚性石灰岩の崖が幾重にもめぐり、その隙間や尾根筋に、十五世紀ごろの石工が積んだ石垣が連なっている。これが安慶名城、別名 大川グスクである。北側を流れる天願川を地元で「大川」と呼ぶことから、この別称が定着した。1972年(昭和47年)5月15日、沖縄が日本に復帰したその日付で、国の史跡に指定されている。

現在、城跡を含む一帯は安慶名中央公園として整備されている。駐車場から園内を進むと安慶名闘牛場の建物があり、その奥から、岩肌に取り付くように石段がのびている。

三代にわたる安慶名按司の拠点

築城年代について、文化庁の文化遺産オンラインは「明確ではない」と記す。三山分立時代の安慶名按司の居城と伝わるものの、本格的な発掘調査は実施されておらず、確定的な年代測定値は出されていない。沖縄県内の他のグスクの調査からは、グスク時代の本格的な開始が12世紀後半から13世紀初頭であることが知られており、安慶名城もその頃に原型があり、現存する石垣群は15世紀ごろのものと推定されている。

地元の伝承では、ここを治めた一族は「安慶名大川按司」と呼ばれる。伊覇按司(伊波按司)の五男に発するという系譜が口承で伝わるが、史料上の裏付けは限定的である。一世が具志川・天願・屋良・喜屋武などの周辺の城に息子たちを配したという伝えもあり、沖縄本島中部の東海岸を三代にわたって押さえた有力按司であったことは諸資料が共通して述べる。

水のない山城、1526年の落城

三世の代に、安慶名は中央集権化を進める尚真王の招集に応じなかった。1526年、王府軍はついに安慶名城を攻める。だが天願川と切り立った岩塊に守られた城は容易には落ちず、長期戦に持ち込まれた。王府軍は城内に水源がないことを突き止め、外部からの水の補給路を断ち、最終的に攻略にいたったと記録される。

地元には、防衛側が城内の馬に米を浴びせて「水浴び」のように見せ、水攻めを撹乱しようとしたという伝承も残る。事実関係は確かめようがないが、水攻めで落城した点は諸文献に共通する。三代およそ七十年にわたる安慶名按司の独立的な統治は、ここで幕を閉じた。

沖縄県内で唯一現存する「輪郭式」

沖縄のグスクの多くは、稜線に沿って郭が直線上に並ぶ連郭式や、斜面に階段状に郭を配する梯郭式をとる。これに対して安慶名城は、岩山の中心部に主郭(本丸・二の丸)を置き、その周囲を外郭の石垣が輪のように取り囲む「輪郭式」と呼ばれる構造をもつ。文化庁の解説によれば、これは現存する沖縄のグスクのなかで唯一の例で、自然の河川と岩塊を最大限に活用した堅固な城という点も含めて、1972年の史跡指定の中心的な根拠とされている。

石垣の積み方そのものにも特徴がある。露出した石灰岩の岩盤を覆い隠さず、岩の裂け目や凹凸に石を組み込んでいくため、城壁が山肌から半ば生え出てきたかのように見える区間がある。最も高い箇所で約10メートル。標高五十メートルに満たない丘にしては、相応の威圧感がある。

本丸の「いべ」と東のアザナ

石段を登ると、まず外郭の広場に出る。その一角には安慶名按司一族のものと伝わる按司墓があり、毎年清明祭(シーミー)の時期には子孫が集まると地元の資料に記される。さらに石段を進むと、自然の岩塊を切り通すように外郭の城門が開き、ここを抜けて内郭に入る。

内郭は左手に本丸、右手に二の丸が広がる。本丸の一角には、沖縄のグスクに共通して見られる聖域「いべ」が置かれている。社殿はなく、石と供え物の静かな空間そのものが祈りの場である。立ち入らないよう案内表示があるので、距離を保って観たい。北東側の一段高くなった部分は「アザナ」(物見台)と呼ばれ、天願川沿いの低地と、晴れた日には金武湾の方角を望むことができる。

城跡内は人の手が入りすぎていない。岩の段差、ぐらつく石、樹根、雨後の滑りやすさには注意が必要で、運動靴で訪れたい。沖縄県内同様、ハブの生息域でもあるため、案内された経路から外れないようにする。

周辺の見どころ

城跡の真下にある安慶名闘牛場は、沖縄の闘牛(ウシオーラセー)が定期的に開催される会場のひとつである。開催日程はうるま市観光振興課やうるま市観光物産協会のサイトで告知される。城跡と公園、そして闘牛場が地続きで隣り合うため、午前中に城跡を歩いて午後に試合を観るといった組み合わせも難しくない。

うるま市内には、世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」に含まれる勝連城跡もある。安慶名から車で15分ほどの距離で、阿麻和利の居城として知られる。さらに東へ向かえば、海中道路を経て平安座島、浜比嘉島、宮城島、伊計島へとつながり、橋で渡れる離島と古琉球の城跡を一日でめぐる行程が組める。

Q&A

Q入場料はかかりますか?
A無料です。城跡を含む安慶名中央公園全体が自由に出入りできる公園として整備されています。闘牛場脇の駐車場も無料で利用できます。
Q所要時間はどのくらい見ておけばよいですか?
A外郭・内郭をひととおり歩いて30〜60分ほどが目安です。公園内の散策や闘牛場の見学も含めるなら、もう少し余裕を見ておくとよいでしょう。
Q那覇からのアクセスは?
A那覇市街から車で約60分(沖縄自動車道・沖縄北ICで降り、一般道で約30分)。公共交通機関での直通は限られ、旧安慶名バス停から徒歩約10分が目安です。
Q道は険しいですか?
A距離は短いものの、自然の岩を生かした石段や不揃いの段差があり、雨後はとくに滑りやすくなります。運動靴での訪問が安心です。ベビーカーや車椅子で内郭まで上がるのは難しい構造です。
Q世界遺産には含まれていますか?
A含まれていません。安慶名城跡は国の史跡ですが、2000年に登録された世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成資産には入っていません。同じうるま市内では勝連城跡がこの世界遺産に含まれています。

基本情報

名称安慶名城跡(あげなじょうあと)。別称:大川グスク・大川城
所在地沖縄県うるま市安慶名(亀甲原)
指定区分国指定史跡(1972年5月15日指定)
指定基準二.都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡
立地・規模珊瑚性石灰岩の独立丘陵(標高約48.73メートル)。城壁の最高所は約10メートル
城郭の形態輪郭式(沖縄県内で現存する唯一の例)
築城年代14世紀頃と伝わる(本格的な発掘調査は未実施で確定はしていない)。現存する石垣は15世紀頃のものと推定される
アクセス那覇市街から車で約60分(沖縄自動車道・沖縄北ICから一般道で約30分)
料金・時間入場無料・終日開放
駐車場安慶名中央公園内に無料駐車場あり

参考文献

国指定文化財等データベース「安慶名城跡」(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/3020
文化遺産オンライン「安慶名城跡」
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/203186
うるま市「国指定の文化財」
https://www.city.uruma.lg.jp/bunka/2399.html
うるま市観光物産協会「うるまいろ:史跡」
https://uruma-ru.jp/see/first-ryukyu-gods/

最終更新日: 2026.05.18