沖縄本島西海岸、標高90mに残る舌状台地のグスク

山田城跡(やまだぐすくあと)は、沖縄本島中部の西海岸、恩納村字山田にある琉球石灰岩台地上の城跡である。台地は東西の幅がわずか約30m、南北方向に約160mと細長く伸びた舌状の形をしており、標高は90m余り。城はこの台地の地形に沿って築かれた平山城形式のグスクであった。

1986年から1988年にかけて恩納村教育委員会が実施した発掘調査では、14世紀から15世紀初頭にかけての中国産陶磁器、銭貨、武具、そして遊具と見られる小型の遺物などが出土している。これらの遺物が示す年代は、ちょうど琉球の三山時代から統一期に重なる。

2008年(平成20年)4月1日、山田城跡は国の史跡に指定された。沖縄県内では32か所目の国指定史跡である。

三山時代、中山と北山の境に置かれた城

山田城を理解するには、城が築かれた時代の琉球の勢力図を思い浮かべる必要がある。14世紀末から1429年の統一まで、沖縄本島は北山・中山・南山の三つの勢力が並立する三山時代にあった。北山は今帰仁城を本拠に本島北部を、中山は首里を中心に中部を、南山は南部を治めていた。

山田城が立つ位置は、ちょうど中山勢力圏の北端、北山との境界線上にあたる。城跡から北を望めば本部半島と北山の本拠・今帰仁城の方角が見渡せ、海沿いに南北を結ぶ街道(後に「歴史の道・国頭方西海道」と呼ばれる道筋)が眼下を通る。境界の守りと街道の監視。この二つを同時に担う位置に、山田城は築かれている。

護佐丸最初の居城という伝承

山田城の名が広く知られているのは、琉球統一の立役者となった按司・護佐丸(ごさまる)の最初の居城であったと伝わるためである。地元の系譜資料によれば、護佐丸は1390年に山田城を本拠とする按司家に生まれ、幼少期をこの台地の上で過ごしたとされる。先祖は石川市(現うるま市)の伊波城主・伊波按司の家系に連なるとされ、曾祖父は今帰仁城の按司であったが政変で逐われ、その子(護佐丸の祖父)が中山に身を寄せ、恩納の地を与えられて山田に城を構えた、というのが伝承の筋道である。

1416年、護佐丸20代半ばのとき、中山王・尚巴志(しょうはし)が北山王・攀安知(はんあんち)の討伐に兵を挙げた。護佐丸はこの軍に加わり、今帰仁城を攻めて北山を滅ぼす。北上していった軍勢が眺めたであろう海岸線は、彼が育った台地から毎日のように見ていた風景の延長線上にあったはずだ。

北山討伐後、護佐丸は読谷山地域の按司として封ぜられ、新たな本拠を読谷の丘陵地に築いた。これが世界遺産・座喜味城である。山田から座喜味までは西へおよそ8km。伝承では、護佐丸はこのとき山田城の石垣を取り壊し、人夫の手から手へと石を渡して座喜味まで運んだとされる。距離と地形からして文字通りに受け取るのは難しいが、座喜味の精緻な石積と山田の素朴な野面積みを比べると、両者の技術の隔たりは確かに大きく、伝承には何らかの背景があったのかもしれない。

国の史跡に指定された理由

世界遺産の座喜味城跡や中城城跡と比べれば、山田城跡に残る遺構は控えめである。台地の縁に沿って断片的に残る石積、内郭のおおまかな輪郭、そして後述する先祖墓と墓碑。それでも文化庁が国の史跡に指定したのは、二つの理由が結びついているからだ。

一つは歴史的な意味である。山田城は、護佐丸の活動の記録上の出発点にあたる。座喜味城を築き、後に中城城に転封されてその防衛にあたった彼の経歴は、すべてこの台地から始まっている。山田を欠いた琉球史は、その最初の章を欠いていることになる。

もう一つは、石積の技法そのものの史料的価値である。山田に残るのは野面積(のづらづみ)―琉球石積三様式のうち最も古い段階に属する、整形しない石を積み上げる手法―の壁である。次の段階にあたる相方積(あいかたづみ。多角形の石を組み合わせる)や布積(ぬのづみ。整形した石を布のように整然と積む)は、15世紀の座喜味城や中城城で完成形を見る。山田城跡は、この技術的な発展の最初の段階を地上に残している。

現地に残るもの — 石積と先祖墓碑

現在の山田城跡は、大半が亜熱帯の樹林に呑み込まれている。それでも台地の東西の崖縁に沿って歩くと、野面積の石積が断片的に姿を現す。低い基礎部分が地面から数段、雑木の間に顔を出すような残り方で、内郭の輪郭はかろうじてたどることができる。

現地で最も明瞭な遺物は、主郭の西側崖地にある。岩肌に穿たれた洞穴墓があり、これが護佐丸先祖代々の墓と伝わる。墓の傍らには「護佐丸先祖墓碑」と呼ばれる石碑が立つ。建立は清の乾隆5年、西暦1740年。山田城跡で唯一、年代と銘文が明確に読み取れる文字資料であり、按司家の系譜を後世に伝える役割を担っている。

崖の縁に立てば、視線は北へと開ける。本部半島の山並みが海越しに見え、かつての北山の領域がそこに横たわっている。1416年の北山討伐の際、護佐丸とその軍勢が向かった方角は、この視界の先である。

訪問にあたっての実用情報

山田城跡は、観光地として整備された場所ではない。城本体には常設の案内板も解説員もなく、登城口を示す標識も控えめである。多くの訪問者は、国道58号沿いから「歴史の道・国頭方西海道」に入り、山田谷川(ヤーガ)の石矼(いしばし)と護佐丸先祖墓を経由して台地上を目指すルートを取る。出発点はルネッサンス リゾート オキナワの近辺にある。

訪問の前に押さえておきたい点をいくつか挙げておく。

  • 足元は琉球石灰岩の岩盤が露出し、木の根の張り出しや急な傾斜もある。サンダルや革靴は避け、歩きやすい靴で訪れたい。
  • 亜熱帯林の中を歩く道のりとなる。蚊が多いので、虫除けは必携。
  • 台地の一部は私有地に隣接する。近年の訪問記には立入が制限されている箇所もあるとの報告があるため、現地の表示や指示には従うこと。
  • 出土品の実物は恩納村博物館で見られる。先に博物館で予習しておくと、現地の控えめな遺構が読み解きやすくなる。
  • 歩きの所要時間は、登城口から先祖墓・石積を経て戻るルートで1時間ほど。博物館を組み合わせるなら半日を見込みたい。

周辺で訪ねたい場所

恩納村のこの一帯はリゾートホテル街でありながら、護佐丸ゆかりのグスクが集中する地域でもある。山田城跡から西へ8km、車で15分ほどの距離にあるのが世界遺産・座喜味城跡である。護佐丸が山田から拠点を移して築いた新城で、緩やかな曲線を描く布積の城壁は山田の野面積と並べて見たい遺構だ。同じ人物の手による城が、十年あまりの間にどれほど技術的に進歩したかを、自分の目で確かめることができる。

南へ車で数分のところには、伝統民家を移築した野外博物館・琉球村がある。北へ向かえば景勝地・万座毛、さらに足を延ばせば本部半島の今帰仁城跡へ。1416年に護佐丸が攻め落とした北山の本拠であり、山田城と地理的にも歴史的にも対をなす城である。護佐丸の足跡をたどる旅程としては、山田→座喜味→中城(東海岸への転封後の居城)→今帰仁、という順が分かりやすい。

Q&A

Q「グスク」とは何ですか?
A12世紀から16世紀ごろにかけて琉球諸島に築かれた城郭・祭祀空間の総称です。「城」と書いて「グスク」と読みます。日本本土の城郭とは構造が異なり、高所に琉球石灰岩を曲線的に積み上げた壁で囲まれた区画を持ち、御嶽(うたき)と呼ばれる聖域を内に含むものも多くあります。
Qなぜ山田城跡には石垣がほとんど残っていないのですか?
A護佐丸が1416年以降に座喜味城を築いた際、山田城の石を運んで再利用したという伝承があります。伝承どおりに人夫が手渡しで運んだのかどうかはともかく、山田に残るのは基礎部分の石積だけで、本来あったはずの上部の石材は失われています。
Q見学の所要時間はどれくらいですか?
Aルネッサンス リゾート前から歴史の道に入り、先祖墓と石積を見て戻ると、おおむね1時間ほどです。恩納村博物館で出土品の予習や復習を行う場合は、半日程度を見込んでおくとよいでしょう。
Q城の中まで自由に見学できますか?
A歴史の道と先祖墓のあたりまでは比較的アクセスしやすいですが、主郭付近は表示が乏しく、近年は私有地として立入が制限されている部分もあるとの口コミがあります。最新の状況は恩納村博物館または恩納村教育委員会に確認することをおすすめします。
Q護佐丸ゆかりの他のグスクと併せて訪ねたいのですが、おすすめの順は?
A護佐丸の足跡を年代順にたどるなら、山田城(最初の居城)→座喜味城(統一前後に築いた新城)→中城城(東海岸への転封後の最終居城)、と続くのが自然です。1416年に護佐丸が攻めた北山の本拠・今帰仁城を加えれば、彼の人生の主要舞台がほぼ網羅できます。座喜味城・中城城・今帰仁城はいずれも世界遺産です。

基本情報

名称山田城跡(やまだぐすくあと)
所在地〒904-0416 沖縄県国頭郡恩納村字山田
指定区分国指定史跡(2008年(平成20年)4月1日指定)
時代14世紀〜15世紀初頭(琉球の三山時代から統一期)
規模東西約30m × 南北約160m、標高約90m余りの琉球石灰岩台地上に立地
石積技法野面積(のづらづみ)。台地の東西の崖縁に断片的に残存
主な遺物護佐丸先祖墓碑(1740年・乾隆5年建立)、洞穴墓
発掘調査1986〜1988年、恩納村教育委員会による調査を実施
アクセス那覇から沖縄バス120系統で「山田」バス停下車、徒歩約14分。ルネッサンス リゾート オキナワ付近から歴史の道経由でアプローチ可
施設常設の案内施設・駐車場なし。出土品は恩納村博物館で展示

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁) — 山田城跡
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/00003594
文化遺産オンライン(文化庁/NII) — 山田城跡
https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/140374
ココイコ!恩納村 — 国指定史跡 山田城跡
https://www.vill.onna.okinawa.jp/cocoico/spot/detail.jsp?id__=530
恩納村公式サイト — 山田地区情報
http://www.vill.onna.okinawa.jp/about/activity/1484726565/1484729298/

最終更新日: 2026.05.18