旧崇元寺第一門及び石牆とは
旧崇元寺第一門及び石牆(きゅうそうげんじだいいちもんおよびせきしょう)は、沖縄県那覇市泊一丁目にある室町時代後期、1527年以前に築かれた石造の門と石垣で、昭和47年(1972年)5月15日に重要文化財に指定された。地元では「崇元寺石門」の名でも親しまれている。
崇元寺は臨済宗の寺で、山号を霊徳山という。正廟に琉球の歴代国王の位牌を祀ったことから、琉球王国の国廟と呼ばれた。中国から冊封使が来ると、首里城で新国王を任命する儀式に先立ち、亡き先王を祀る「諭祭(ゆさい)」がこの寺で営まれた。首里と那覇港のほぼ中間という立地も、使節を迎える場としてふさわしかったのだろう。
境内の建物は沖縄戦ですべて焼け、旧崇元寺第一門及び石牆だけが残った。いま石牆に囲まれた内側は崇元寺公園になっている。
三連アーチの門と左右の石牆
文化庁のデータベースは、旧崇元寺第一門及び石牆の形式を「石造三連アーチ門、左右石牆延長66.3m、各脇門一所を含む」と記す。正面中央に3つのアーチを並べた第一門を置き、その両側に延びる石牆にそれぞれ単アーチの脇門(左掖門・右掖門)を1か所ずつ開く構成である。那覇市の解説によれば、石材は切石積みで、門から左右へ連なる石垣が全体として凸形の平面をつくる。
那覇市の資料によると、かつての境内は約1,230坪あり、東・北・西の三方を石牆が囲んでいた。第一門を入って10段の石段を上ると、第二門にあたる前堂があり、中庭を隔てて正廟が建っていた。いま残る三連アーチの門と石牆は、この伽藍の南の正面を区切っていた部分にあたる。
附として、門の前に立つ下馬碑1基と、下馬碑の残欠1個も指定に含まれる。下馬碑は、ここから先は馬を下りて進むよう定めた石碑で、碑銘には嘉靖6年(1527年)の年紀がある。那覇市によれば、戦前は石牆の南側の角に東西1基ずつ置かれていたが、沖縄戦で損壊を免れたのは東側の碑だった。
重要文化財に指定された理由
文化庁の解説は、旧崇元寺第一門及び石牆について、意匠と構造は簡素ながら重厚さがあり、門と石牆を組み合わせたこの種の遺構は他に例を見ないとし、沖縄地方特有の石造建造物を代表するものと評価している。那覇市も、三連アーチの石造門は県内でほかに例がないと説明する。
創建年には諸説がある。文化庁の解説は1470年頃に創立されたと伝えるとし、那覇市は宣徳年間(1426〜1435年)説と成化年間(1465〜1487年)説を挙げたうえで、下馬碑の年紀から1527年までには整備されたと推定している。データベースの年代「嘉靖6年(明)以前」は、この碑銘に拠ったものと読める。
戦前、崇元寺の正廟と石門は昭和8年(1933年)に旧法のもとで国宝に指定されていた。1945年の沖縄戦で正廟が焼失し、門も被災したが、戦後まもなく修復される。文化庁は修理を1952年とし、那覇市の略年表は崇元寺石門修復期成会(会長は志喜屋孝信)による修復を1951年としている。このとき前面の道路との関係で、西側の石牆が3メートルほど内側(北側)へ移されたと那覇市は記録する。その後、1955年に琉球政府の指定を受け、沖縄の本土復帰の日にあたる1972年5月15日に重要文化財となった。
旧崇元寺第一門及び石牆の見どころ
まず通りの向かい側から、旧崇元寺第一門及び石牆の全体を眺めたい。中央の三連アーチと、左右へ延びる石牆、その端に開く小さな脇門までを一度に視野に入れると、門と塀を一体に設計した意図がよくわかる。
門をくぐると、アーチの厚みが体で感じられる。内側から振り返ると、外側とは違って公園の木々越しに石の重なりが見え、目地の通り方を追いやすい。那覇市の略年表によれば、1981年に第一門と両掖門の門扉の修理、左掖門より東の石牆の積み直しと東側石牆の新設が、1982年には西側石牆の増設と東側下馬碑の移設が行われた。いま見る石牆には、1951年頃の戦後修復とこの昭和50年代の工事で手を入れた部分が含まれている。
門の東側に立つ下馬碑も見落とせない。旧崇元寺第一門及び石牆とともに戦火をくぐった、数少ない王国時代の石造物である。
石牆の内側の地下には崇元寺の建物の基壇が良好に残ることが、1982年と2021年の発掘調査で確かめられた。この崇元寺跡は令和7年(2025年)9月に国の史跡に指定されたと那覇市は伝えており、公園には遺構のジオラマも置かれている。石門の奥にかつてどのような伽藍があったかを想像する手がかりになる。
旧崇元寺第一門及び石牆の見学方法とアクセス
旧崇元寺第一門及び石牆は道路に面しており、門の内側の崇元寺公園も含めて、いつでも無料で見学できる。屋外の文化財なので、通常の撮影にとくに制限は案内されていない。石積みに登ったり、植物や落書きで傷めたりしないよう注意したい。
旅行案内によれば、沖縄都市モノレール(ゆいレール)の美栄橋駅または牧志駅から歩いて10分ほど。路線バスなら「崇元寺前」の停留所が門の目の前にある。専用の駐車場はないので、車の場合は周辺の時間貸し駐車場を使うことになる。
那覇市は、旧教会の敷地を活用した崇元寺跡のガイダンス施設を整備中で、2027年の供用開始を予定している。
Q&A
- 旧崇元寺第一門及び石牆とはどのような文化財ですか?
- 琉球王国の国廟だった崇元寺の正面に築かれた、三連アーチの石造門と左右の石垣です。1527年以前の築造とされ、昭和47年(1972年)に重要文化財に指定されました。
- 旧崇元寺第一門及び石牆はなぜ重要文化財なのですか?
- 門と石牆を組み合わせた遺構として他に例がなく、沖縄特有の石造建造物を代表するものと文化庁が評価しているためです。
- 旧崇元寺第一門及び石牆は戦争で壊れなかったのですか?
- 沖縄戦で被災しましたが、戦後まもなく修復されました。修理の年は文化庁が1952年、那覇市が1951年としています。寺の建物はすべて焼失しました。
- 旧崇元寺第一門及び石牆の見学時間や料金は?
- 道路に面した屋外の文化財で、門の内側の公園を含めていつでも無料で見学できます。門をくぐることもできます。
- 旧崇元寺第一門及び石牆への行き方と駐車場は?
- ゆいレールの美栄橋駅か牧志駅から徒歩10分ほどで、バス停「崇元寺前」が門の前にあります。専用駐車場はありません。
基本情報
| 名称 | 旧崇元寺第一門及び石牆 |
|---|---|
| 所在地 | 沖縄県那覇市泊一丁目9の1 |
| 指定区分 | 重要文化財(建造物) |
| 指定年 | 昭和47年(1972年)5月15日指定 |
| 員数 | 1棟(附 下馬碑1基、下馬碑残欠1個) |
| 寸法 | 石造三連アーチ門、左右石牆延長66.3m、各脇門1所を含む |
| 所有者 | 那覇市(1992年に尚家から寄贈。文化庁データベースは空欄) |
| 公開状況 | 常時見学自由(無料) |
参考文献
- 国指定文化財等データベース 旧崇元寺第一門及び石牆(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/3646
- 文化遺産オンライン 旧崇元寺第一門及び石牆(文化庁)
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/191483
- 崇元寺跡について・崇元寺近代略年表(那覇市)
- https://www.city.naha.okinawa.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/007/292/sougennjiryakunennpyou.pdf
- (仮称)崇元寺跡ガイダンス施設名称募集(那覇市)
- https://www.city.naha.okinawa.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/012/136/sougenji.gaiyou.pdf
- (6月24日)「崇元寺跡」の文化財指定(那覇市長記者会見)
- https://www.city.naha.okinawa.jp/mayor/kaiken/1007264/1007292.html
- 令和7年第9回教育委員会会議 報告事項(沖縄県教育委員会)
- https://www.pref.okinawa.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/032/472/r070717_houkoku2.pdf
- 崇元寺跡保存整備事業(那覇市)
- https://www.city.naha.okinawa.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/007/292/sougennjijigyousetumei.pdf
最終更新日: 2026.10.03