文政11年、屋敷で最も古い一棟

古畑家住宅東一の蔵は、大阪府高槻市大字中畑小字清谷にある文政11年(1828年)建立の土蔵造2階建で、平成20年(2008年)7月8日に国の登録有形文化財(建造物)となった。

桁行4.0メートル、梁間3.8メートル、建築面積15平方メートル。古畑家住宅として一括登録された8棟のうち最も古く、大正期の主屋よりおよそ90年さかのぼる。

敷地東辺の中央、通りに面して建つ。

外壁は白漆喰仕上げとし、腰に竪板を張る。地面からの跳ね返りや物の当たりで漆喰が傷むのを、板が受け止める構えである。漆喰は軒まわりまで塗り込められ、外部に木部を露出させない。防火を第一義とする土蔵造の作法がそのまま形になっている。

置屋根と、東辺に並ぶ蔵

屋根は切妻造桟瓦葺の置屋根とする。土蔵の壁体に小屋組を組み込まず、別に軽い架構を仕立てて完成した箱の上から被せる形式である。壁と屋根のあいだを空気が通り、雨水が土壁に回り込まない。土は湿りが抜けなければ強度を落とすから、この一手間が蔵の寿命を左右する。葺き替えの際も、蔵の躯体に手を入れずに屋根だけを扱える。

本件の登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」。同じ敷地の離れが該当した「造形の規範となっているもの」とは別項である。この差は小さくない。審査が何を見ていたかを示している。

見ていたのは並びである。

敷地東辺には蔵が列をなす。東一の蔵に隣接する東二の蔵は建築面積25平方メートル、江戸末期(1830年から1867年の間)の建立で、白漆喰、腰竪板張、置屋根という意匠を共有する。通りから見れば、二棟は個別の付属屋というより一続きの壁面として目に映る。基準が評価しているのは、個々の蔵の出来ではなく、この連続した漆喰の面が村道沿いにつくる屋敷景観のほうである。

登録番号は27-0487。決定は平成20年7月8日、官報告示は同月23日、第60回登録にあたる。

丹波国から大阪府へ、動かぬまま

文政11年当時、この地は大阪府ではない。中畑村は丹波国桑田郡に属し、江戸期の大半を丹波亀山藩領として過ごしたとされる。明治22年(1889年)、桑田郡が南北に分割されるのと同時に、中畑・田能・出灰・杉生・二料の五か村が合併して南桑田郡樫田村が成立した。京都府である。

京都府はこの村を69年間抱えた。標高およそ350メートルの盆地状の地形で、水は南へ流れ、道路もバス路線も郡の中心である亀岡側ではなく高槻側を向いていた。昭和33年(1958年)4月1日、樫田村は高槻市に編入された。府県の枠を越える合併は、これが全国で最初の例である。

蔵は移築されていない。丹波国、京都府、大阪府と、周囲の枠組みだけが三度書き換えられ、建物は土を突き固めた場所にとどまり続けた。

古畑家住宅は個人所有の住宅として現在も使われており、内部は非公開。8棟のいずれについても公開に関する案内は出されていない。外から確認できるのは、敷地東辺の道路に面して東一の蔵と東二の蔵が並ぶ景観である。居住者の生活空間に接した場所であることを前提に見たい。JR高槻駅から高槻市営バスでおよそ40分、山道を登る。便数は多くないため、時刻の確認をすすめたい。

Q&A

Q古畑家住宅東一の蔵は見学できますか。
A内部は見学できません。現に居住されている個人所有の住宅の一部であり、公開日や拝観料、見学申込の制度は設けられていません。敷地東辺の道路からは、隣接する東二の蔵と並ぶ外観を望むことができます。居住空間に面した場所ですので、静かに見るのが適切です。
Q古畑家住宅東一の蔵はいつ建てられましたか。
A文政11年(1828年)の建立です。古畑家住宅として登録された8棟のなかで最も古く、大正期建立の主屋よりおよそ90年さかのぼります。土蔵造2階建、桁行4.0メートル、梁間3.8メートル、建築面積15平方メートルという小規模な蔵です。
Q古畑家住宅東一の蔵はなぜ登録されたのですか。
A登録基準のうち「国土の歴史的景観に寄与しているもの」に該当したためです。単独の造形が評価されたというより、敷地東辺に並ぶ蔵の列の一員として、白漆喰、腰竪板張、置屋根という統一的な意匠が屋敷景観を形づくっている点が認められました。同じ敷地の離れが該当した「造形の規範となっているもの」とは別の基準です。
Q古畑家住宅東一の蔵の置屋根とは何ですか。
A土蔵の壁体に小屋組を組み込まず、別に仕立てた軽い屋根架構を上から被せる形式です。壁と屋根のあいだに隙間が生まれ、雨水が土壁に回りません。土壁は湿気に弱いため、この構造が蔵の耐久性を支えます。屋根の葺き替えも躯体を傷めずに行えます。本件は切妻造桟瓦葺です。
Q古畑家住宅東一の蔵はもとから大阪府にあったのですか。
A建立当時は大阪府ではありませんでした。移築もされていません。文政11年の中畑村は丹波国桑田郡に属し、明治22年(1889年)からは京都府南桑田郡樫田村の一部となり、昭和33年(1958年)4月1日の高槻市編入によって大阪府に移りました。府県境を越えた市町村合併としては全国初の事例です。

基本情報

名称古畑家住宅東一の蔵(こばたけじゅうたくひがしいちのくら)
所在地大阪府高槻市大字中畑小字清谷23
指定区分登録有形文化財(建造物) 登録番号27-0487 登録基準「国土の歴史的景観に寄与しているもの」
指定年平成20年(2008年)7月8日登録/同年7月23日告示(第60回)
員数1棟
寸法桁行4.0メートル、梁間3.8メートル、建築面積15平方メートル 土蔵造2階建、切妻造桟瓦葺の置屋根
所有者個人
公開状況非公開(居住中の個人住宅。道路から東二の蔵と並ぶ外観のみ望見可能)

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース 古畑家住宅東一の蔵
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00007258
文化庁 国指定文化財等データベース 古畑家住宅主屋
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00007256
文化遺産オンライン 古畑家住宅主屋
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/143018
高槻市 指定登録文化財一覧表
https://www.city.takatsuki.osaka.jp/site/history/4535.html
高槻市 歴史アラカルト「霊場を結ぶ交差点 樫田」
https://www.city.takatsuki.osaka.jp/site/history/138613.html

最終更新日: 2026.08.20