小野道風筆三体白氏詩巻とは

小野道風(894〜966)の遺墨のなかで、楷書を確認できる作品は一点しか残っていない。それがこの「三体白氏詩巻(さんたいはくししかん)」である。昭和30年(1955)6月22日に国宝に指定され、現在は大阪府泉北郡忠岡町の正木美術館が所蔵する。紙本墨書の巻子本一巻、縦約30.6センチ、全長約239.6センチ。八枚の紙を継いで仕立てられている。

内容は、唐の詩人白居易(白楽天、772〜846)の詩文集『白氏文集』巻第五十三から選んだ詩六首。これを楷書・行書・草書の三つの書体で二首ずつ書き分けており、「三体」の名はここに由来する。楷書が十二行、行書が十六行、草書が十八行、あわせて四十六行。一巻のうちに同じ筆者による三様の表現が並ぶという、書の歴史のなかでも類例の少ない構成をもつ。

巻に署名はない。それでも道風の真筆と認められてきたのは、『屏風土代』『玉泉帖』(ともに宮内庁三の丸尚蔵館)と同筆と判断されているためである。

道風と和様の書

平安時代の貴族にとって、書の手本はまず中国にあった。なかでも四世紀の書聖・王羲之の書風は絶対的な規範であり、道風もその学習から出発している。存命中から「王羲之の生まれ変わり」と評されたと伝わるほどの技量だったが、道風の歴史的な意義は模倣の巧みさにはない。中国風の鋭い線を、丸みと潤いのある柔らかな線へと変えていき、後に「和様」と呼ばれる日本独自の書風の基礎を築いた点にある。

藤原佐理(944〜998)、藤原行成(972〜1027)とあわせて「三跡」と称され、道風の書は「野跡(やせき)」の名で尊ばれた。佐理が和様を発展させ、行成が大成したとすれば、道風はその出発点に立つ人物である。

花札の十一月札、傘を差した人物が柳に飛びつく蛙を見つめる図柄。あの人物が道風である。何度も枝に挑む蛙の姿に発奮したという逸話は後世の伝承で史実とは言いがたいが、努力の人としての道風像が広く親しまれてきたことを示す好例だろう。

一方の白居易は、平安貴族にもっとも愛読された詩人だった。平明で音調のよい詩句は朗詠に適し、『源氏物語』にもその詩句が織り込まれている。白詩を書写することは、文学の教養と書の鍛錬を兼ねた営みだった。三跡のうち道風と行成の二人が白居易の詩を揮毫した巻物を残しており、その両方が正木美術館に伝わっている。

国宝指定の理由と価値

第一の価値は、先に述べたとおり道風唯一の楷書を含むことにある。和様の書の創始者が、もっとも規律の厳しい書体をどう書いたか。それを実物で確かめられる資料は、この一巻をおいてほかにない。

第二に、三体を一巻に並べた構成そのものが比較研究の素材として一級である。同じ筆者、同じ詩人の作、同じ紙の上で、楷書の端正、行書のなめらかさ、草書の闊達がどう変化するか。書体の崩れ方、筆の連続のさせ方を、筆者自身が示した見本帳のように読み解くことができる。字形が終始整っていることから、習書の手本として書かれたのではないかとする見方もあるが、これは推測の域を出ない。

線質にも注目したい。唐代の楷書がもつ構築的な厳しさに対し、この巻の楷書は転折や収筆に柔らかな丸みを帯びる。正木美術館の解説も、三体それぞれに見られる柔らかなタッチの線質を、和様の創始者としての道風の特質と位置づけている。

伝来については、江戸初期の大名茶人・小堀遠州の手を経て大坂の豪商・鴻池家に入ったとする資料がある。経路の詳細は資料によって異なるものの、鴻池家に伝わったことは確かで、戦後の経済混乱で同家の蔵から出たところを、収集家の正木孝之が買い取った。

鑑賞の見どころ

巻物は右から左へ読む。まず巻頭の楷書から眺めたい。一字一字が独立して据わりながら、横画の終わりがわずかに持ち上がり、はねの先が硬くならない。印刷物の均質さとは別物の、呼吸する線である。

行書に入ると、点画が省略され、字と字のあいだに連続の気配が生まれる。草書では筆の動きがさらに速度を増し、数字がひと続きの運筆でつながる箇所もある。

この移り変わり自体が最大の見せ場である。

紙の継ぎ目を目で追うのも一興だろう。八紙を継いだ約2.4メートルの紙面を、左手で巻きを送りながら右手で書き進めた制作の現場を想像すると、千年前の書の営みが急に近くなる。

注意したいのは公開時期である。平安時代の紙本作品の常として常設展示はされておらず、正木美術館は春と秋を中心とする展覧会の会期中のみ開館し、会期外は閉館する。この巻が展示されるのは展覧会の内容に応じた限られた期間なので、訪問前に美術館公式サイトで展示情報の確認が欠かせない。

正木美術館と創設者・正木孝之

正木美術館は昭和43年(1968)11月、日本でもっとも面積の小さい町である忠岡町に開館した。創設者の正木孝之(1895〜1985)は泉州の旧家に生まれ、工務所や映画館の経営で財を成した人物である。戦後、預金封鎖などの経済事情から旧財閥家や豪商の家伝の美術品が次々と手放されるなか、孝之は鴻池家から出た名品の取得に乗り出した。このとき購入したのが、道風の三体白氏詩巻、行成の白氏詩巻、そして大燈国師の墨蹟であり、いずれも後に国宝の指定を受けている。

泉州の一民間人が散逸の危機にあった名品を買い支え、晩年には収集品と土地建物のすべてを寄附して財団を設立した。日本の文化財保護の歴史のなかでも特筆すべき事例といえる。収蔵品は現在、国宝3件、重要文化財13件を含む約1300点。中世禅林の墨蹟と水墨画、茶道具に厚みのあるコレクションである。

三跡のうち二人の白氏詩巻、すなわち和様の創始者・道風と大成者・行成の手になる白居易詩の巻物を同じ館で所蔵する例はほかにない。展示が重なる機会には、和様の書の出発点と到達点を見比べるという、この館でしか得られない経験ができる。

展示館の隣には、孝之が昭和24年(1949)に自邸として建てた正木記念邸が残る。茶室「滴凍庵」を備えた数寄屋造りの邸宅で、平成26年(2014)に国の登録有形文化財となった。展覧会会期中の土日祝には内部の一部を見学できる。

周辺情報とアクセス

美術館へは南海本線忠岡駅から徒歩約15分。難波からは普通・準急で30分前後である。隣の泉大津駅からタクシーを使えば約7分で着く。車の場合は阪神高速湾岸線の助松出口(大阪方面から)または岸和田北出口(和歌山方面から)が最寄りだが、駐車場は限られており、公共交通機関の利用が推奨されている。

泉州の沿岸部には見ごたえのある文化施設が点在する。和泉市久保惣記念美術館は青磁鳳凰耳花生「万声」など国宝2件を所蔵し、大阪府立弥生文化博物館は弥生時代の大規模集落・池上曽根遺跡に隣接する。南海線を北へ向かえば、千利休を生んだ堺の町も近い。正木孝之の収集を育んだ泉州の茶の湯の土壌を、あわせて歩いてみるのも面白い。

関西国際空港からも鉄道一本圏内にあり、関西旅程の最初か最後に組み込みやすい立地である。ただし繰り返しになるが、開館は展覧会会期中のみ。日程は展示スケジュールに合わせて組みたい。

Q&A

Q三体白氏詩巻はいつでも見られますか?
Aいいえ。正木美術館は春・秋を中心とする展覧会の会期中のみ開館し、本作品は展覧会の内容に応じて期間限定で展示されます。訪問前に美術館公式サイトで展示の有無と会期をご確認ください。
Q「三体」とはどういう意味ですか?
A楷書・行書・草書という三つの書体のことです。白居易の詩六首を各書体で二首ずつ、計四十六行にわたって書き分けているため、この名で呼ばれています。
Qなぜ書道史上それほど重要なのですか?
A和様の書の基礎を築いた小野道風の遺品のうち、楷書を確認できる唯一の作品だからです。また『屏風土代』『玉泉帖』と並ぶ道風の基準作として、他の伝称作品の真贋を判断する物差しの役割も果たしています。
Q大阪市内からのアクセス方法は?
A南海本線で難波駅から忠岡駅まで約30分、駅から徒歩約15分です。泉大津駅からタクシーで約7分という行き方もあります。
Q正木美術館にはほかにどんな作品がありますか?
A藤原行成筆の白氏詩巻と大燈国師墨蹟という国宝2件のほか、重要文化財13件を含む約1300点を収蔵しています。中世禅林の水墨画や墨蹟、茶道具が中心です。隣接する登録有形文化財・正木記念邸も会期中の土日祝に一部公開されます。

基本情報

名称小野道風筆三体白氏詩巻(おののみちかぜひつさんたいはくししかん)
指定区分国宝(書跡・典籍) 昭和30年(1955)6月22日指定
員数1巻(紙本墨書、八紙継ぎ)
時代平安時代(10世紀)
寸法縦約30.6センチ、全長約239.6センチ(縦を33.6センチとする資料もある)
内容白居易『白氏文集』巻第五十三の詩六首を楷・行・草の三体で各二首ずつ、計四十六行
所有者公益財団法人正木美術館
所在地大阪府泉北郡忠岡町忠岡中2-9-26
公開状況常設展示なし。展覧会会期中に期間限定で公開
アクセス南海本線忠岡駅から徒歩約15分、泉大津駅からタクシー約7分

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁) 小野道風筆三体白氏詩巻
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/733
公益財団法人正木美術館 公式サイト 美術館概要
https://masaki-art-museum.jp/about/
公益財団法人正木美術館 公式サイト アクセス
https://masaki-art-museum.jp/access/
コトバンク 三体白氏詩巻(精選版 日本国語大辞典)
https://kotobank.jp/word/三体白氏詩巻-2044299

最終更新日: 2026.06.10