薬の街・道修町に伝わる千年前の印刷本

大阪市中央区道修町。江戸時代から薬種商が軒を連ねてきたこの街の一角、武田薬品工業の旧本社ビル(1928年竣工)に、約千年前に刷られた漢籍が収められています。国宝「宋刊本史記集解(そうかんぼんしきしっかい)」、全11冊。司馬遷の『史記』に対する現存最古の注釈書を、中国・宋代の木版印刷で伝える稀覯本です。昭和27年(1952)11月22日、書跡・典籍の部で国宝に指定されました。

所有者は公益財団法人武田科学振興財団。同財団が運営する図書資料館「杏雨書屋(きょううしょおく)」が保管しています。北浜駅から徒歩4分、ビジネス街の只中にこれほどの典籍が眠っていることは、地元でも意外に知られていません。

『史記集解』とはどのような書物か

『史記』は前漢の司馬遷(前145頃〜前86頃)が著した全130巻の通史です。本紀・表・書・世家・列伝という紀伝体の構成は、以後の中国正史すべての規範となりました。

これほどの古典には、早くから注釈が施されてきました。その最古のものが、5世紀、南朝宋(劉宋)の学者・裴駰(はいいん)による『史記集解』です。裴駰は『三国志』の注で知られる裴松之の子。先行する諸学者の音義・地理・訓詁の説を集め、『史記』本文に織り込む形でまとめあげました。「集解」とは諸説を集めて解するという意味です。のちに唐代に成立した司馬貞『史記索隠』、張守節『史記正義』とあわせて「三家注」と総称され、今日の『史記』テキストの基礎となっています。三家注のうち最も早いのが、この集解です。

杏雨書屋本は、裴駰の集解本を宋代に木版印刷したもの。130巻の構成のうち、巻31〜39、44〜60、81〜101、109〜130を存する残本ですが、分量としてはかなりまとまった伝本です。

北宋刊か南宋刊か。指定理由と書誌学上の価値

文化庁の国指定文化財等データベースは本書の時代を「南宋」と記載しています。一方、所蔵元である杏雨書屋の展示解説は、より踏み込んだ考定を示しています。本書には校勘や刊行に関する記述がなく刊行年代を直接示す手がかりを欠くものの、清代の名高い蔵書楼・鉄琴銅剣楼の蔵書目録に著録された北宋刊本と、行款字数や欠筆がほぼ一致する。このことから、仁宗朝(1022〜63)以前の同種の北宋刊本と考えられている、というのです。両者の記載には開きがありますが、ここでは指定台帳の記述と所蔵者側の学術的見解の双方を併記しておきます。

『史記』の北宋刊本は現存例が極めて少なく、それ自体が本書の貴重さの核心です。宋代は木版印刷が飛躍的に発達した時代でした。なかでも北宋の刊本は後世の覆刻を経ていない初期印刷文化の証人であり、字様の端正さ、紙墨の質の高さは、実物を前にすると千年近い歳月を疑いたくなるほどです。

なお11冊の内訳には注意が要ります。10冊が北宋刊本で、残る1冊(巻50〜60)は南宋刻本によって補配されたもの。つまり指定された11冊は、近縁の二つの版本から構成されています。

竹添井井、富岡桃華、そして内藤湖南。伝来の系譜

本書の近代における伝来は、日本の漢学・東洋学の人脈そのものです。北宋刊本10冊は、明治の外交官にして漢学者・竹添光鴻(号は井井、1842〜1917)の旧蔵。補配の南宋刻本1冊は、富岡鉄斎の長男で京都の中国学者・富岡謙蔵(号は桃華、1873〜1918)の旧蔵と伝えられます。

これらを併せて所蔵したのが、京都帝国大学教授で京都支那学を代表する東洋史学者・内藤湖南(1866〜1934)でした。唐宋変革論で知られる湖南は無類の蔵書家でもあり、退官後は京都府相楽郡瓶原村(現・木津川市加茂町)の恭仁山荘に居を定め、数万冊の蔵書とともに晩年を過ごしました。湖南の没後、蔵書中とりわけ貴重な97点が「恭仁山荘善本」として六代武田長兵衞の手に渡り、のちに杏雨書屋へ入りました。杏雨書屋が所蔵する国宝3点、すなわち本書、唐鈔本「説文解字木部残巻」、南宋刊単疏本「毛詩正義」(金沢文庫旧蔵)は、いずれもこの恭仁山荘善本に属します。

杏雨書屋の成り立ちにも触れておきましょう。大正12年(1923)の関東大震災で東京の貴重典籍が多数失われたことを深く嘆いた五代武田長兵衞は、日本と中国の本草医書の散逸を防ぐべく私財を投じて蒐集を始めました。文庫の名「杏雨」は、治療代の代わりに杏の木を植えさせた名医・董奉の故事に由来する「杏林」(医学界)を潤す雨の意。蔵書は昭和52年(1977)に武田科学振興財団へ寄付され、翌53年に図書資料館として開館。平成25年(2013)、淀川区十三から現在の道修町に移転しました。

見学の手引き

杏雨書屋は研究図書館であると同時に、無料の展示室を一般公開しています。常設展示では蔵書や巻軸を解説付きで陳列し、春と秋の年2回、特別展示会を開催。国宝「宋刊本史記集解」は常時展示ではなく、テーマに応じた特別展で公開されます。直近では2023年秋の第77回特別展示会「杏雨書屋の善本漢籍」で、3件の国宝が揃って展示されました。訪問前に財団公式サイトで展示予定を確認することをおすすめします。

開館は平日の10時から16時まで。土日祝日と年末年始は休館です。入場は無料。図書の閲覧を希望する場合は所定の閲覧申請が必要で、複写や撮影は館の規則に従います。

本書が展示されていない時期でも、敦煌写本から江戸期の解剖図譜まで幅広い収蔵品が並ぶ展示室は一見の価値があります。昭和初期のオフィス建築である武田道修町ビルの重厚な外観も、大大阪時代の面影をとどめています。

周辺情報。くすりの街を歩く

道修町は江戸時代、薬種中買仲間が全国の薬の流通を担った街です。徒歩圏内に、その歴史を体感できる見どころが集まっています。

  • 少彦名神社(神農さん)。日本の医薬の神・少彦名命と中国の薬祖神・神農を併せ祀る、製薬業界の崇敬を集める社。毎年11月22・23日の神農祭は道修町が最も賑わう二日間です。
  • くすりの道修町資料館。少彦名神社のビル内にあり、道修町の薬業400年の歩みを無料で紹介しています。
  • 適塾。緒方洪庵が天保9年(1838)に開いた蘭学塾の建物が現存。福澤諭吉らが学んだ町家建築を内部まで見学できます。
  • 北浜・中之島界隈。大阪取引所や近代建築をリノベーションしたカフェが点在し、土佐堀川沿いの散歩道は中之島のバラ園や美術館へ続きます。

アクセスは地下鉄堺筋線北浜駅6号出口から徒歩4分、御堂筋線淀屋橋駅11号出口から徒歩6分です。

Q&A

Q国宝の実物はいつでも見られますか。
A常設展示ではありません。春秋の特別展示会など、テーマに応じて公開される機会に限られます。訪問前に武田科学振興財団の公式サイトで展示予定の確認を。展示室自体は平日であれば無料で見学できます。
Q入館料や予約は必要ですか。
A展示見学は無料で、予約も不要です。図書そのものの閲覧は研究者向けのサービスで、閲覧申請書による申し込みが必要になります。
Q「史記集解」は完本ですか。
A残本です。全130巻のうち巻31〜39、44〜60、81〜101、109〜130を11冊に収めています。うち巻50〜60の1冊は南宋刻本による補配です。
Qなぜ製薬会社の財団が歴史書を所蔵しているのですか。
A杏雨書屋は本草医書の蒐集から出発した文庫ですが、東洋史学者・内藤湖南の旧蔵書「恭仁山荘善本」97点を受け入れたことで、中国学全般に及ぶ善本を擁するに至りました。本書もその一つです。
Q杏雨書屋には他にどんな名品がありますか。
A国宝はほかに唐鈔本「説文解字木部残巻」と南宋刊単疏本「毛詩正義」の2件。重要文化財14件のほか、敦煌写本群「敦煌秘笈」や磧砂版大蔵経など、東アジア書誌学の一級資料が揃います。

基本情報

名称宋刊本史記集解(そうかんぼんしきしっかい)
指定区分国宝(書跡・典籍) 昭和27年(1952)11月22日指定
員数11冊(全130巻のうち巻31〜39、44〜60、81〜101、109〜130を存する残本)
国・時代中国・宋時代。指定台帳は南宋とするが、所蔵館の解説では10冊を仁宗朝(1022〜63)以前の北宋刊本、1冊(巻50〜60)を南宋刻本の補配とする
所有者公益財団法人武田科学振興財団
保管場所杏雨書屋(大阪市中央区道修町2-3-6)
公開状況特別展示会等で随時公開。展示室は平日10時〜16時開館、入場無料、土日祝・年末年始休館
アクセス地下鉄堺筋線北浜駅6号出口徒歩4分/御堂筋線淀屋橋駅11号出口徒歩6分

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)「宋刊本史記集解」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/676
文化遺産オンライン「宋刊本史記集解」
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/197720
杏雨書屋(公益財団法人武田科学振興財団)公式サイト
https://www.takeda-sci.or.jp/kyou/
杏雨書屋「主な収蔵品」
https://www.takeda-sci.or.jp/kyou/kyou-collection.php
第77回杏雨書屋特別展示会「杏雨書屋の善本漢籍 恭仁山荘本を中心に」解説(2023年)
https://www.takeda-sci.or.jp/kyou/doc/48reference.pdf

最終更新日: 2026.06.10