堤を貫く煉瓦のトンネル
築留二番樋(つきどめにばんひ)は、大阪府柏原市上市にある明治期の煉瓦造樋門で、平成13年(2001年)10月12日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。長さ55メートル、幅2メートル。大和川から長瀬川へ農業用水を取り入れる施設として、現在も稼働している。
樋とは、堤防にトンネル状の通路を設けて川の水を取り込む装置をいう。この樋が置かれているのは、長瀬川が大和川から分派する地点である。
旧大和川は柏原から北西へ流れ、河内平野を斜めに横切って洪水を繰り返した。宝永元年(1704年)、川筋は西へ付け替えられ、大坂湾へ直接注ぐ流路が開かれる。工期は八か月。付替えを訴え続けた河内国今米村の庄屋・中甚兵衛の銅像が、樋の上の堤に立つ。
付替えは洪水を止めたが、同時に別の問題を生んだ。旧川筋沿いの村々は、水を引いていた川そのものを失ったのである。解決策は、新堤に取水口を設けて旧川跡を用水路として使うことだった。築留に築かれた樋は東から順に一番樋・二番樋・三番樋の三基。一番樋は堤防の構築と同時に宝永元年、二番樋と三番樋は翌宝永2年(1705年)に設けられた。二番樋の設置にあたっては、いったん完成した堤の一部を掘り下げ、樋を据えてから築き直している。
馬蹄形断面とイギリス積み
現存する構造物は宝永2年のものではない。当初の樋は木製で、護岸も土と石積みであった。補修を重ねて一世紀半を経た明治20年(1887年)、洪水によって破壊される。翌明治21年の改修で用いられたのが、当時ヨーロッパから日本に入ったばかりの建築資材、煉瓦であった。大阪府の記録は、地域の要望を受けて大災害を未然に防ぎうる堅牢な材を選んだ経緯を記す。
できあがったものは、樋門としては相当に変わっている。坑道の断面が単純な円でも矩形でもなく、馬蹄形をなす。アーチの側面が垂直に立ち上がらず湾曲する形で、鉄道トンネルが用いる断面である。かんがい用の樋管でこの形をとる例は少ない。文化庁は坑口を直径約1.6メートル、三枚厚の半円アーチと記録し、柏原市はアーチ部の最大幅を157センチと実測している。
積み方は基本的にイギリス積み。長手だけの段と小口だけの段を交互に重ねる、二つの一般的な積法のうち強度で勝るほうで、下流側の坑門部にはとくにこれが用いられた。面壁の下半のみが長手積みとなる。各壁の天端には花崗岩が載り、坑門とそこから斜めに張り出す翼壁の上部にも花崗岩の笠石が置かれ、坑道の床面にも花崗岩が敷かれている。
登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」、登録番号は27-0142。大阪府は、かんがい施設の登録有形文化財のなかで日本最古の煉瓦造構造物であり、延長55メートルという規模の煉瓦造は例が少ないと評価する。
年代については資料に食い違いがある。文化庁のデータベースは年代を「明治末期」、西暦を1868年から1911年の幅で記す。一方、柏原市と大阪府はいずれも明治21年(1888年)とし、隣接する記念公園の碑にも同年完成と刻まれる。この差は公開資料上、解消されていない。
平成30年(2018年)8月13日、国際かんがい排水委員会の第69回国際執行理事会において、「大和川分水築留掛かり」が世界かんがい施設遺産に登録された。築留の樋から流れ出す長瀬川と玉串川を指す呼称である。かつて七十五か村が築留樋組を組織して約4000ヘクタールを潤し、その後継である築留土地改良区がいま樋を所有する。受益面積は柏原市・八尾市・東大阪市のおよそ226ヘクタールとなっている。
堤の上から、両側の坑口を見る
行きやすい場所にある。近鉄大阪線の安堂駅から東へ約150メートル、徒歩二、三分。堤の上には大和川治水記念公園が細長く延び、こちらは終日開放・無料である。
川側の坑口では水が吸い込まれてゆくところが見え、町側の坑口では長瀬川の起点へ吐き出されるところが見える。両端に数分ずつ立てば、この施設が何をしているのかが図面よりも早く飲み込める。煉瓦は周囲のコンクリートとはっきり色の違う具合に古びている。
内部は非公開。現役の用水施設であるうえ、坑道は薬剤注入とコンクリートによって補強されており、当初の構造は確認できない状態にある。公園や公道からの撮影に制限はない。
足を延ばすなら二方向。三番樋は西へ200メートル余りの位置にあり、二番樋との流れは北へ約500メートル進んだ落合で合流する。ここから下流は幅十間、およそ18メートルの十間井路と呼ばれ、長瀬川沿いの道はJR柏原駅まで遊歩道として整備されている。公園には中甚兵衛の像のほか、大和川付替250年・300年の記念碑が並ぶ。
時期を選べるなら初夏がよい。田植えの季節には用水が満ちて流れ、水の通っている樋は、涸れた樋よりもずっと多くを語ってくれる。
Q&A
- 築留二番樋の内部は見学できますか。
- できません。現役の用水施設であり、坑道内部は薬剤注入とコンクリートで補強されています。両側の坑口は堤の上の大和川治水記念公園や公道から終日無料で見学できます。
- 築留二番樋はいつ造られたのですか。
- 当初の樋は宝永2年(1705年)の木製のものです。明治20年の洪水で失われ、現在の煉瓦造に改修されました。柏原市と大阪府は明治21年(1888年)完成とし、文化庁は年代を「明治末期」と記録しています。
- 築留二番樋の構造はどこが珍しいのですか。
- 断面が馬蹄形である点です。鉄道トンネルに近い形で、かんがい用の樋管では例の少ない構造です。坑口は直径約1.6メートルの三枚厚の半円アーチ、積み方は基本的にイギリス積みで、笠石と床面に花崗岩を用いています。
- 築留二番樋へのアクセスを教えてください。
- 近鉄大阪線の安堂駅から東へ約150メートル、徒歩二、三分です。JR柏原駅からは北西へ約1キロメートルで、長瀬川沿いの遊歩道でつながっています。
- 築留二番樋は今も使われているのですか。
- 使われています。築留土地改良区が管理し、ここで取り入れた水は柏原市・八尾市・東大阪市のおよそ226ヘクタールの農地を潤しています。平成30年には用水路系全体が世界かんがい施設遺産に登録されました。
基本情報
| 名称 | 築留二番樋(つきどめにばんひ) |
|---|---|
| 所在地 | 大阪府柏原市上市2-320 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物)/登録番号 27-0142 |
| 指定年 | 平成13年(2001年)10月12日登録(告示は同年10月29日) |
| 員数 | 1基 |
| 寸法 | 煉瓦造単アーチ樋門/長さ55メートル、幅2メートル/坑口は直径約1.6メートル、三枚厚の半円アーチ、馬蹄形断面 |
| 所有者 | 築留土地改良区 |
| 公開状況 | 外観は終日無料で見学可(大和川治水記念公園および公道から)。内部は非公開 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「築留二番樋」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00002417
- 文化遺産オンライン「築留二番樋」
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/115497
- 柏原市「築留二番樋」
- https://www.city.kashiwara.lg.jp/docs/2014121000038/
- 柏原市「世界かんがい施設遺産 長瀬川と玉串川(4)大和川分水築留掛かりの仕組み」
- https://www.city.kashiwara.lg.jp/docs/2021033000049/
- 柏原市「長瀬川・玉串川が世界かんがい施設遺産に」
- https://www.city.kashiwara.lg.jp/docs/2018081500027/
- 大阪府「大和川分水築留掛かり」
- https://www.pref.osaka.lg.jp/o120160/chubunm/chubu_nm/tukidome.html
最終更新日: 2026.08.20