河内長野市野作町の大和棟の民家

和田家住宅主屋は、大阪府河内長野市野作町に明治前期(1868〜1882年)に建てられた大和棟の大型民家で、平成30年(2018年)11月2日に登録有形文化財に登録された。市の中心部にある農家の主屋で、敷地の中央に東を正面として建つ。

屋根は切妻造の茅葺で、現在は金属板で仮に覆われている。その両端に本瓦葺の落棟が接続する。急勾配の茅葺の大屋根と、左右に一段低く付く瓦葺の屋根との組み合わせが、大和棟と呼ばれる形式の特徴である。木造平屋建で、建築面積は210平方メートル。昭和49年(1974年)ごろに改修を受けている。

和田家と登録の評価

河内長野市の解説によると、和田家に伝わる系図では、当主は南北朝期に活躍した楠木氏の子孫とされ、安永5年(1776年)2月22日に現在の地に根を下ろしたという。江戸時代には庄屋を務め、3代目の当主和田與次平は赤嶺新田の開発に力を尽くした。その功績をたたえる顕彰碑が、村人の手で現在の寺ヶ池公園に建てられている。

和田家住宅主屋の登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。文化庁の解説は、大和棟の大型民家で集落の象徴的存在であると評価している。家の格式と地域での役割が、そのまま集落の景観の核になっている。

屋根を覆う仮葺の材料は、文化庁の解説では鋼板、河内長野市の解説では銅板と書かれており、資料によって表記が異なる。

間取りと見どころ

内部は北側を土間とし、南側に前後2列、各3室の部屋を並べる。前列の中央には式台玄関を設けて格式を整えている。式台は、武家や村役人など身分のある家が客を迎えるための正式な玄関で、庄屋を務めた家にふさわしい構えである。

河内長野市の解説は、この平面をさらに読み解いている。式台玄関から続く表側の3室には座敷など来客を迎える表向きの部屋を、大戸から続く裏側の3室には家族が暮らす内向きの部屋を並べる。客の動線と家族の動線を、表と裏の2列ではっきり分けた間取りである。

南端の部屋も見逃せない。表側には正面を向いた座敷、裏側には背面を向いた座敷を設けており、1つの家のなかに2つの向きの座敷をもつ。

外から眺めるなら、屋根の形に注目したい。中央の大屋根とその両脇の落棟が段をなして並ぶ輪郭は、奈良県や大阪府南部に多い大和棟に特有の姿である。

見学方法とアクセス

和田家住宅主屋は個人が所有する住宅で、内部は一般に公開されていない。見学の受付や公開日の案内は、河内長野市などの公式な情報としては確認できなかった(2026年9月29日確認)。

最寄り駅は南海高野線・近鉄長野線の河内長野駅で、野作町までは歩いて15分前後である。周囲は住宅地なので、見学は道路からにとどめ、撮影の際も住人の生活を妨げないよう配慮したい。

3代目当主和田與次平の顕彰碑がある寺ヶ池公園は、和田家の事績に関わる場所である。

Q&A

Q和田家住宅主屋(河内長野市)は見学できますか?
A内部は公開されていません。個人が所有する住宅で、見学の受付や公開日の案内も確認できませんでした。外観を見る場合は道路からにとどめてください。
Q和田家住宅主屋(河内長野市)はいつ建てられましたか?
A明治前期(1868〜1882年)の建築で、昭和49年(1974年)ごろに改修されています。平成30年(2018年)11月2日に登録有形文化財になりました。
Q和田家住宅主屋の大和棟とはどんな屋根ですか?
A急勾配の茅葺の大屋根の両端に、一段低い瓦葺の屋根(落棟)を付けた形式です。奈良県や大阪府南部に多く見られます。
Q和田家住宅主屋(河内長野市)への行き方は?
A南海高野線・近鉄長野線の河内長野駅から歩いて15分前後です。
Q岸和田市の和田家住宅と同じ家ですか?
A別の家です。岸和田市宮本町の和田家住宅は昭和5年(1930年)に整えられた邸宅で、主屋など10件が平成14年(2002年)に登録されています。こちらは河内長野市野作町の明治前期の民家です。

基本情報

名称和田家住宅主屋(わだけじゅうたくしゅおく)
所在地大阪府河内長野市野作町280
指定区分登録有形文化財(建造物)
指定年平成30年(2018年)11月2日登録(登録番号27-0764)
員数1棟
寸法建築面積210平方メートル(木造平屋建、茅葺(金属板仮葺)及び瓦葺)
所有者個人
公開状況内部非公開。外観は道路から

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「和田家住宅主屋」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00012591
河内長野市「国登録文化財 和田家住宅主屋」
https://www.city.kawachinagano.lg.jp/site/history/30107.html

最終更新日: 2026.09.29