多久市西渓公園寒鶯亭 ― 炭鉱王が故郷に贈った学びの殿堂
佐賀県多久市の西渓公園の一角に、堂々たる風格をたたえて建つ木造和風建築、寒鶯亭(かんおうてい)。この建物は、地元多久出身の実業家で「肥前の炭鉱王」と称された高取伊好(たかとりこれよし)が、大正13年(1924年)に当時の多久村へ公会堂として寄贈したものです。平成11年(1999年)には国の登録有形文化財に指定され、木造和風公会堂建築の優れた事例として高く評価されています。桜と紅葉の名所として知られる西渓公園の中で、四季折々の自然と調和しながら、多久の文教の歴史を今に伝える貴重な文化遺産です。
高取伊好 ― 肥前の炭鉱王の生涯と故郷への恩返し
寒鶯亭を理解するには、その建設を実現させた高取伊好の生涯を知ることが欠かせません。高取伊好は嘉永3年(1850年)、佐賀藩多久領の武士・鶴田斌の三男として生まれました。9歳で姉の嫁ぎ先である高取家の養子となり、多久家の世継ぎ・多久乾一郎の学友として、多久領の郷校「東原庠舎」(とうげんしょうしゃ)で漢学と国学を学びました。
明治維新後、伊好は上京して箕作奎吾の英学塾「三叉塾」から慶應義塾へ進み、英学・鉱山学を修得。その後、工部省鉱山寮で採炭技術を学び、官営高島炭鉱の初代技師として赴任しました。長崎県・佐賀県の炭鉱開発に情熱を注ぎ、明治42年(1909年)には杵島炭鉱を買収して大規模な開発に成功。従業員約5,000人を擁する一大事業に発展させ、「肥前の炭鉱王」と呼ばれるまでになりました。
大正8年(1919年)に事業を長男・九郎に譲り引退した伊好は、青年時代に学んだ多久の地への恩返しとして、大正9年から13年にかけて私財を投じて西渓公園を整備。公園とともに図書館、そして公会堂(現在の寒鶯亭)を多久村に寄贈しました。これらの施設は、故郷の文化と教育の発展を願う伊好翁の深い思いが込められた贈り物でした。
建築の特徴 ― 木造和風公会堂建築の好例
寒鶯亭は木造平屋建、瓦葺きの建築で、建築面積は約293平方メートルです。棟札から、設計は杵島炭鉱技師の大坪彌平(おおつぼやへい)、棟梁は舩津虎五郎(ふなつとらごろう)であることが判明しています。
建物の構成は、16畳の部屋が3室並び、その四周に広い縁(えん)を回しています。屋根は入母屋造の大屋根を架け、北面の中央には車寄(くるまよせ)を設けるなど、公会堂としての格式を備えた堂々たる構えです。開放的な縁側から庭園の景色を楽しめる設計は、西渓公園の自然美との一体感を生み出し、訪れる人々に深い安らぎを与えます。
文化庁は本建築を「木造和風公会堂建築の好例」と評価しています。炭鉱で財を成した実業家のスケール感が反映されつつも、日本の伝統的な抑制の効いた美意識に根差した設計であり、同時代の洋風公共建築とは一線を画す和の風格が際立つ建物です。
「寒鶯待春」に込められた願い
「寒鶯亭」という名称は、平成4年(1992年)に市の公会堂から文化施設へと用途が変更された際に付けられました。この名は、亭内の床の間に掲げられた高取伊好翁直筆の書「寒鶯待春」(かんおうたいしゅん)に由来します。
「寒鶯待春」とは、「冬の鶯が春を待つ」という意味です。冬の間、鶯は春に備えて「笹鳴き」と呼ばれる控えめな声で一生懸命に練習を重ねます。そして春が訪れると、あの美しい鳴き声を響かせるのです。高取翁はこの鶯の姿に重ねて、「多久の村民も一人前の人物として世に出るために、この公会堂で学びなさい」という願いを込めました。教育を重んじた高取翁の人柄と、学問の里・多久の精神が凝縮された、心に響く名前です。
なぜ登録有形文化財に指定されたのか
寒鶯亭は平成11年(1999年)7月8日に国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。登録の理由は複数にわたります。大正期の木造和風公会堂建築として保存状態が良好であること、棟札により設計者と棟梁の名前が明確に記録されていること、そして日本の石炭産業の歴史と地域の社会発展を結びつける貴重な歴史的証拠であることが評価されています。また、佐賀県遺産としても認定されており、地域の近代化の歩みを物語る重要な建造物として位置づけられています。
見どころと訪問のポイント
寒鶯亭は、四季折々の美しさで知られる西渓公園の中に位置しています。園内には約400本の桜、梅、ツツジのほか、約180本の紅葉が植えられ、一年を通じて豊かな自然の変化を楽しむことができます。西渓公園は元々、江戸時代に多久領の家老職を務めた女山多久家の屋敷跡であり、歴史の重みを感じさせる空間です。
寒鶯亭の外観は公園散策時にいつでもご覧いただけます。内部の見学は事前予約制で、月曜日と土曜午後が休館となります(月曜が祝日の場合は翌平日が休館)。毎年開催される「孔子の里桜まつり」(3月下旬~4月上旬)と「孔子の里紅葉まつり」(11月中旬~下旬)の期間中は、寒鶯亭が一般に開放され、休憩所として利用できます。まつり期間中の週末にはイベントも開催され、多久の特産品や農産物を販売する露店も並びます。
園内にはこのほか、郷土資料館、先覚者資料館、歴史民俗資料館の3つの市立資料館があり、旧石器時代の出土品から江戸時代の民具、炭鉱関連の資料まで幅広い展示を通じて、多久の歴史と文化を深く知ることができます。高取伊好翁の立像も園内に復元されており、翁の功績を偲ぶことができます。
周辺情報 ― 多久聖廟と孔子の里
西渓公園から徒歩圏内には、多久市が誇る文化財のひとつ、多久聖廟(たくせいびょう)があります。多久聖廟は、宝永5年(1708年)に多久4代領主・多久茂文が領民に「敬」の心を培わせるために建立した孔子廟で、国の重要文化財に指定されています。栃木県の足利学校、岡山県の閑谷学校とともに日本三大孔子廟のひとつに数えられ、現存する孔子廟としては日本で最も古いもののひとつです。
朱塗りの廟内には、鳳凰、麒麟、龍などの精緻な彫刻が施され、壮麗な中国的雰囲気を醸し出しています。天井には邑の絵師・御厨夏園による蟠龍(とぐろを巻いた龍)の見事な絵が描かれ、あまりの迫力に龍が絵から抜け出すのを防ぐために鱗を1枚はがしたという伝説が残っています。春と秋には創建以来300年以上続く伝統儀式「釈菜(せきさい)」が執り行われ、廟内の一般拝観も可能になります。
「多久の雀は論語をさえずる」と言われるほど論語教育が根付いた「孔子の里」多久。寒鶯亭と多久聖廟を合わせて訪問することで、文教の里・多久の歴史を存分に堪能することができます。
アクセス
多久市は佐賀県の中西部に位置しています。JR多久駅から祐徳バス「多久駅北口」乗車、「本多久」下車(約10分)、徒歩約5分で西渓公園に到着します。また、ふれあいバス「多久駅北口」から「西渓公園入口」下車(約14分、1日3便、日祝運休)も利用可能です。お車の場合は、長崎自動車道・多久ICから約20分。国道203号(バイパス)を唐津方面へ約2km進み、荕原(あざみばる)交差点を左折し、約3km南下して到着します。駐車場は普通車約40台、大型バス3台分が無料で利用できます。
Q&A
- 寒鶯亭の内部は見学できますか?
- 内部見学は可能ですが、事前予約が必要です。休館日は月曜日と土曜午後(月曜が祝日の場合は翌平日)。春の桜まつりと秋の紅葉まつりの期間中は予約不要で一般開放されます。
- 入場料はかかりますか?
- 西渓公園への入園は無料です。園内の資料館や寒鶯亭の見学には料金がかかる場合があります。駐車場も無料でご利用いただけます。
- おすすめの訪問時期はいつですか?
- 春(3月下旬~4月上旬)は約400本の桜、秋(11月中旬~下旬)は約180本の紅葉が美しく、寒鶯亭も一般開放されるためおすすめです。冬は梅の花が楽しめます。
- 多久聖廟と一緒に見学できますか?
- はい。西渓公園から多久聖廟までは徒歩圏内です。両方を合わせた「孔子の里コース」は半日程度の所要時間で、タクシー観光にも対応しています。
- 外国語の案内はありますか?
- 寒鶯亭および西渓公園の外国語案内は限られていますが、多久聖廟では英語・中国語・韓国語のパンフレットが用意されています。ボランティアガイドは2週間前までの予約で手配可能です。
基本情報
| 名称 | 多久市西渓公園寒鶯亭(たくしせいけいこうえんかんおうてい) |
|---|---|
| 文化財区分 | 国登録有形文化財(建造物)/佐賀県遺産 |
| 登録年月日 | 平成11年(1999年)7月8日 |
| 建築年代 | 大正13年(1924年) |
| 構造 | 木造平屋建、瓦葺、建築面積約293㎡ |
| 設計 | 大坪彌平(杵島炭鉱技師) |
| 棟梁 | 舩津虎五郎 |
| 寄贈者 | 高取伊好(1850〜1927年、実業家) |
| 所有者 | 多久市 |
| 所在地 | 〒846-0002 佐賀県多久市多久町1975(西渓公園内) |
| 交通 | JR多久駅からバス約10分「本多久」下車、徒歩約5分/長崎自動車道・多久ICから車約20分 |
| 駐車場 | 無料(普通車約40台、大型バス3台) |
| 休館日 | 月曜日・土曜午後(月曜が祝日の場合は翌平日) |
参考文献
- 文化遺産オンライン — 多久市西渓公園寒鶯亭
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/192209
- 多久市ホームページ — 寒鶯亭(かんおうてい)
- https://www.city.taku.lg.jp/map/map11.html
- 多久市ホームページ — 西渓公園(せいけいこうえん)
- https://www.city.taku.lg.jp/map/map52.html
- あそぼーさが — 西渓公園
- https://www.asobo-saga.jp/spots/detail/8b4faa34-2d52-42bd-82f2-189dbf6943e4
- 多久市観光ガイド — 観る
- http://taku-kankou.com/miru/
- Wikipedia — 西渓公園
- https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%B8%93%E5%85%AC%E5%9C%92
- Wikipedia — 高取伊好
- https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%8F%96%E4%BC%8A%E5%A5%BD
- 多久市ホームページ — 高取伊好(たかとりこれよし)
- https://www.city.taku.lg.jp/soshiki/20/2232.html
- 佐賀新聞 — <多久物語>国登録有形文化財の寒鶯亭
- https://www.saga-s.co.jp/articles/-/656775
最終更新日: 2026.03.26