多久聖廟とは

多久聖廟は、佐賀県多久市多久町に宝永5年(1708年)に建てられた孔子をまつる廟で、昭和8年(1933年)1月23日に国の重要文化財に指定された(文化庁)。読みは「たくせいびょう」。

文化庁の記録では、本堂は桁行3間・梁間3間、一重もこし付、入母屋造、向拝1間、唐破風造、本瓦葺で、背後に桁行2間・梁間1間の奥陣が接続する。指定番号は00914、所有者は多久市。附として聖龕1基も指定されており、多久市によれば昭和32年(1957年)の追加指定である。

学問所の要として建った孔子廟

文化庁の解説によれば、多久聖廟は旧多久邑を治めた多久氏が建てた孔子廟で、漢学や武芸など儒学にもとづく子弟教育を行う学校の精神的な要として建立された。職人や用材の大半は村内でまかなわれたという。

多久市によれば、4代領主多久茂文は人材の育成を重んじ、のちに東原庠舎と呼ばれる学問所を設け、そのシンボルとして孔子像と四配(顔子・曽子・子思子・孟子)をまつる廟を宝永5年(1708年)に完成させた。史跡としての文化庁の記録には、元禄8年(1695年)に工事を起こしたとある。

多久聖廟は大正10年(1921年)に国の史跡にも指定されている(文化庁)。

重要文化財としての価値

多久聖廟は昭和8年(1933年)に重要文化財に指定された。文化庁の解説は、中国建築を意識して豊かに施した絵様彫刻や彩色が壮麗で、外観・内部ともに独特の趣があり、日本の聖廟建築を代表するものと評価している。

多久市は、国内の孔子廟では足利学校、閑谷学校に次いで古く、もっとも壮麗な孔子廟といわれているとしている。

見どころ

本堂は禅宗様の仏殿の形式で、三間の堂にもこしを付ける。背後に張り出した「室」に神壇を構え、八角形の厨子「聖龕」を安置する(文化庁)。

多久市によれば、建物は北に山を背負い、南に仰高門を構えて門前に池を設けるなど、中国の故事にならった配置をとる。堂には鳳凰・麒麟・象・龍などの聖獣が彫られ、天井には多久邑の絵師御厨夏園による蟠龍が描かれている。龍が飛び去らないよう鱗を1枚描き残したという言い伝えもある。

仰高門の脇の楷の木は、孔子の弟子子貢が孔子の墓に楷を植えた故事にちなむものである(多久市)。

拝観と交通

多久市によれば、春と秋に聖廟釈菜が催され、その終了後に廟内の一般拝観ができる。釈菜は佐賀県の重要無形民俗文化財である。問い合わせ先は、東原庠舎内の公益財団法人孔子の里(電話0952-75-5112)、または多久市教育委員会教育振興課(電話0952-75-8022)。

交通は、多久駅北口から昭和バスの武雄方面行きで「本多久」で降り、徒歩約15分。車は多久インターチェンジから約20分(多久市)。所在地は多久市多久町1843-3。

Q&A

Q多久聖廟はいつ建てられましたか?
A宝永5年(1708年)に完成しました(文化庁・多久市)。史跡としての文化庁の記録には、元禄8年(1695年)に工事を起こしたとあります。
Q多久聖廟には何がまつられていますか?
A孔子像と、顔子・曽子・子思子・孟子の四配がまつられています(多久市)。
Q多久聖廟の中は見学できますか?
A春と秋の聖廟釈菜の終了後に、廟内の一般拝観ができます(多久市)。
Q多久聖廟の天井の龍とは?
A多久邑の絵師御厨夏園が描いた蟠龍で、鱗を1枚描き残したという言い伝えがあります(多久市)。
Q多久聖廟が重要文化財に指定されたのはいつですか?
A昭和8年(1933年)1月23日です。大正10年(1921年)には国の史跡にも指定されています。

基本情報

名称多久聖廟(たくせいびょう)
所在地佐賀県多久市多久町1843-3
指定区分重要文化財(建造物)
指定年昭和8年(1933年)1月23日指定
員数1棟(附 聖龕1基)
寸法本堂 桁行3間・梁間3間、一重もこし付、入母屋造、本瓦葺、奥陣 桁行2間・梁間1間
所有者多久市
公開状況廟内は春と秋の釈菜後に一般拝観

参考文献

多久聖廟(国指定文化財等データベース 重要文化財)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/3509
多久聖廟(国指定文化財等データベース 史跡)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/401/2704
多久聖廟(多久市)
https://www.city.taku.lg.jp/map/map49.html

最終更新日: 2026.10.14