四・四平方メートルの彫刻建築
越谷久伊豆神社手水舎は、埼玉県越谷市越ヶ谷の久伊豆神社境内、参道の東側に建つ江戸時代末期の手水舎で、令和7年(2025年)3月13日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。神楽殿の南に位置し、木造・銅板葺、面積は4.4平方メートル。国指定文化財等データベースは、覆屋である建物と手水鉢を一体のものとして登録している。
その手水鉢には嘉永2年(1849年)の銘があり、建物も同時期の建立とみられている。越谷市は嘉永2年銘の手水鉢を覆う建物と説明し、建設年代を手水鉢と同じ江戸末期に置く。文化庁のデータベースは西暦1830年から1868年の幅を示すにとどまり、上屋そのものの年紀を確定する史料は公表されていない。
手水舎は参拝前に手と口を清めるための施設で、簡素な上屋で済ませる例が多い。この手水舎は違う。平面は方一間、屋根は入母屋造の瓦棒銅板葺とし、両妻面には軒唐破風を付す。唐破風は本来、格式ある建物の正面に据えられる意匠である。それを小さな手水舎の両側に配した。
四本の柱は内側へわずかに傾く。四方転びと呼ぶこの立て方は、小規模な建物に視覚的な安定と変形への抵抗を与える。地面を掴むように立つ印象は、この一手から生まれている。
「造形の規範」として
傾いた柱の上に載るのは出組で、軒を一段外へ送り出す。軒は二軒繁垂木、細い垂木を上下二段に密に並べる。残る面はほぼすべて彫刻で埋められている。隅からは丸彫の龍鼻が斜めに突き出し、持送は籠彫、すなわち材を透かし彫って背後に光を抜く技法で仕上げる。虹梁形とした頭貫、その間を埋める中備も同じ調子で彫り込まれ、軒唐破風の反り曲線と重なって、規模に不釣り合いなほど密度の高い造形をつくり出す。
この密度が、登録基準第二の「造形の規範となっているもの」による評価につながった。同時に登録された三棟は基準が分かれている。寛政元年(1789年)の本殿は手水舎と同じく造形の規範、明治前期の神楽殿は第一の「国土の歴史的景観に寄与しているもの」で採られた。手水舎と本殿は彫刻の質で、神楽殿は境内における位置と役割で評価されたことになる。
登録有形文化財と指定文化財の区別は押さえておきたい。国宝・重要文化財は厳選のうえ指定され、現状変更に許可を要する。これに対し登録制度は平成8年(1996年)に発足した緩やかな仕組みで、建設後50年を経た建造物を幅広く受け入れ、大規模な改変に届出を求める。三棟は令和6年(2024年)11月22日の文化審議会答申を経て翌年3月13日に官報告示され、越谷市内の神社建築としては初の登録となった。
年代を意識して眺めると、この建物の性格がいっそう際立つ。水盤に屋根を掛けるだけの用途に、これだけの彫刻を投じた費用は、日光道中の宿場町であった越ヶ谷宿周辺の人びとが負担したものだ。江戸後期の関東では社寺建築の彫刻が競い合うように発達し、彫工の腕が奉納の格を示した。手水舎は、その気風が境内でもっとも小さな建物に向けられた事例といえる。
使いながら見る
手水の作法は順序が決まっている。右手で柄杓を取り左手を清め、持ち替えて右手を清める。ふたたび右手に持ち、左の手のひらに水を受けて口をすすぐ。柄杓に直接口をつけない。もう一度左手を清めたら、柄杓を立てて残りの水を柄に伝わらせ、元の位置へ伏せて戻す。ひととおり丁寧に行えば、それだけの時間、この屋根の下に立つことになる。彫刻を見上げるには十分な長さである。
境内は自由参拝で、拝観料はかからない。手水舎は第三鳥居を過ぎた参道沿い、藤棚に近い位置にあり、外観はいつでも見ることができる。彫刻を見るなら、やや斜め下から軒内を仰ぐとよい。龍鼻が隅から突き出す角度が最もよく分かる。
4月下旬には境内の藤が花をつけ、参拝者で賑わう。この藤は天保8年(1837年)に越ヶ谷町の住人が下総国流山から運んで植えたと伝わり、昭和16年(1941年)に県指定天然記念物となった。株廻りは7.3メートル。手水鉢の銘はその12年後のもので、藤を植えた世代と手水舎を建てた世代はほぼ重なる。
境内には登録三棟のほかにも見るものがある。本殿の後方と御池の周囲に併せて十二の摂末社が鎮座し、本殿裏手には国学者・平田篤胤が奉納した大絵馬の複製が掲げられている。篤胤は境内に仮寓したと伝わり、松声庵がその跡とされる。長い参道を含む境内地は越谷市の指定名勝であり、市の環境保全区域にも含まれている。
最寄駅は東武スカイツリーラインの越谷駅と北越谷駅で、それぞれ徒歩25分ほど、20分ほどを見ておきたい。バスなら越谷駅東口発の朝日バスで「久伊豆神社前」、北越谷駅発の茨急バス野田市駅行で「久伊豆神社入口」が近い。駐車場は三か所、合わせて96台分。撮影の可否について明文の規定は公表されていないが、祭典中や御祈祷の最中は控えるのが礼にかなう。判断に迷う場合は社務所(048-962-7136)へ確認するとよい。
Q&A
- 越谷久伊豆神社手水舎はどこにあり、実際に使ってよいのですか。
- 埼玉県越谷市越ヶ谷1700、久伊豆神社の参道東側、第三鳥居を過ぎた神楽殿の南に建っています。現役の手水舎ですので、参拝前に手と口を清める本来の用途どおりに使えます。
- 越谷久伊豆神社手水舎はいつ建てられたものですか。
- 覆っている手水鉢に嘉永2年(1849年)の銘があり、建物も同じ江戸時代末期の建立とみられています。文化庁のデータベースは1830年から1868年の幅を示すにとどまり、建立年を特定する史料は公表されていません。
- 越谷久伊豆神社手水舎はなぜ文化財として評価されたのですか。
- 彫刻の質によります。隅から斜めに突き出す丸彫の龍鼻、籠彫の持送、虹梁形頭貫や中備の彫刻、両妻面の軒唐破風といった要素を4.4平方メートルの中に収めており、登録基準の「造形の規範となっているもの」で採られました。
- 越谷久伊豆神社手水舎は重要文化財なのですか。
- いいえ、登録有形文化財です。重要文化財は厳選された物件を指定して現状変更に許可を要する制度ですが、登録制度は建設後50年を経た建造物を広く対象とし、届出制による緩やかな保護を行います。手水舎は令和7年(2025年)3月13日に官報告示されました。
- 越谷久伊豆神社手水舎とあわせて何を見るとよいですか。
- すぐ北に神楽殿、境内北側に寛政元年(1789年)の本殿があり、三棟は同日に登録されています。御池のほとりの藤は県指定天然記念物で4月下旬が見ごろ、本殿後方と御池周辺には十二の摂末社が鎮座しています。
基本データ
| 名称 | 越谷久伊豆神社手水舎(こしがやひさいずじんじゃてみずしゃ) |
|---|---|
| 所在地 | 埼玉県越谷市越ヶ谷1700 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) 登録番号 11-0234 |
| 指定年 | 令和7年(2025年)3月13日登録 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 木造、銅板葺、面積4.4平方メートル、手水鉢付 |
| 所有者 | 国指定文化財等データベースに記載なし |
| 公開状況 | 参道沿いで現役使用中。常時見学可、拝観料不要 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース — 越谷久伊豆神社手水舎
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00015291
- 文化遺産オンライン — 越谷久伊豆神社手水舎
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/578035
- 越谷市 — 国登録 有形文化財・建造物 越谷久伊豆神社 本殿・神楽殿・手水舎
- https://www.city.koshigaya.saitama.jp/citypromotion/rekisibunka/bunkazai/kunitourokukoshigayahisaizujinja.html
- 埼玉県 — 国登録有形文化財(建造物)の新規登録について(令和6年11月22日)
- https://www.pref.saitama.lg.jp/f2216/news/page/news20241122.html
- 越谷市 — 久伊豆神社(越ヶ谷)と境内の藤
- https://www.city.koshigaya.saitama.jp/citypromotion/rekisibunka/jiin_jinja/hisaizujinja.html
- 久伊豆神社 公式サイト — 久伊豆神社について(御祭神・御由緒・境内のご案内)
- https://www.hisaizujinja.jp/about.html
- 久伊豆神社 公式サイト — 交通のご案内
- https://www.hisaizujinja.jp/access.html
最終更新日: 2026.08.10