鉄道古文書 ─ 日本の鉄道創業を物語る91冊の重要文化財

埼玉県さいたま市大宮の鉄道博物館。実物車両やシミュレーターに目を奪われがちなこの人気スポットには、もう一つ静かに息づく宝があります。それが、明治三年(一八七〇)から明治二十六年(一八九三)までの約二十三年間、日本の鉄道行政の根幹に関わる公文書を綴じた「鉄道古文書」全九十一冊です。平成十五年(二〇〇三)五月二十九日に国の重要文化財に指定されたこの簿冊群は、日本がどのように近代国家への道を歩み始めたのか、その克明な記録を今に伝える、いわば「鉄道日本」誕生の戸籍簿といえる存在です。

九十一冊が辿った歴史

明治三年三月、明治新政府は民部・大蔵両省のもとに「鉄道掛」と呼ばれる小さな部署を設置しました。当時、藩制が廃され、武士は刀を置こうとしていた、まさに日本が大きく姿を変えようとしていた時期です。それから一年後の明治四年に「鉄道寮」と改称、その後も鉄道局、鉄道庁と組織は何度も再編を重ねながら、鉄道網は北へ西へと延びていきました。鉄道古文書は、この鉄道掛の発足から、明治二十六年に鉄道庁が廃止されるまでの間、これら歴代の主管官庁が取り扱った公文書を集成したものです。

収録されているのは、組織の変遷に従って大きく四つに分かれます。第一は「鉄道寮事務簿」(三十四冊現存)、明治三年から明治十年までの草創期の文書群です。第二は「工部省記録(鉄道之部)」(三十九冊現存)、鉄道事業を所管した工部省と太政官との往復文書を中心とします。第三は「鉄道局事務書類」、工部省廃止後の明治十八年から二十三年までの内閣直属期の記録です。そして第四が「鉄道庁事務書類」(十一冊現存)、内務省所管期から逓信省への移管直前までを記しています。一部の巻は大正十二年の関東大震災で焼失し、第二次世界大戦下では大月保線区へ疎開・保管されて戦火を免れました。今日、私たちがこれらを目にできるのは、各時代の関係者が文字どおり身を挺して守り抜いた結果に他なりません。

なぜ重要文化財に指定されたのか

鉄道古文書が国の重要文化財に指定されたのは、単に古いから、あるいは保存状態が良いからではありません。文化庁が評価したのは、これらの簿冊が「日本の鉄道創業期の基本政策を今日に伝える根本史料」であるという、その史料的価値の重みでした。当時の予算編成、線路の測量と用地買収、駅舎・線路・車両の建設、規則の制定、さらには英国からの機械・建設資材の購入に至るまで、鉄道事業のあらゆる側面が、生身の役人たちの筆跡で克明に記されています。

また、これらの文書は単なる行政記録にとどまらず、明治期日本の近代化の縮図でもあります。江戸期の公文書様式から近代官僚制特有の文体への過渡期にあたる文章は、行政史だけでなく言語史・書誌学の観点からも貴重です。一冊の簿冊が一つの政策を、一人の関係者を、一つの地域を語っていく ── そのような重層的な情報を、これほどまとまった形で残している史料は他にありません。日本の鉄道が単なる輸入技術ではなく、官民あげての「国家事業」として育てられた経緯を、これらの文書は何よりも雄弁に物語っています。

収録内容の見どころ

鉄道古文書のページを繰ると、驚くほど多彩な事柄が記録されていることに気づかされます。明治五年に開業した新橋─横浜間、続く明治七年の大阪─神戸間に関する測量記録や用地買収の交渉文書。英国から海を越えて到着した機関車・線路材・信号機などの購入品目一覧。日本最初の鉄道運行規則となった「鉄道寮汽車運輸規程」の原本。さらには、初期鉄道職員の制服図案や、運賃表、ダイヤ、職員給与の決定経過まで、現場のディテールまで丁寧に綴られています。

歴史的に特に注目される内容も豊富です。第二群「工部省記録」第八巻には、京都─大阪─神戸間開業の一件があり、ここで一号御料車が初めて登場しました。第二十巻には、後の都電の前身となる東京馬車鉄道会社に関する書類があります。また第三十四巻は、現在の南海電気鉄道の前身である阪堺鉄道会社の関連資料で、現存する日本最古の私鉄の出発点を示しています。さらに、明治期最大の私鉄であり、後に国有化される日本鉄道会社、華族による鉄道敷設運動として知られる「東京鉄道組合」「東山社」の資料も収められており、官設鉄道のみならず、日本全国の私設鉄道勃興期の実像までも一望できる内容となっています。

鉄道博物館での楽しみ方

鉄道古文書そのものは、紙資料という性質上、常時の展示は行われていません。特別企画展や歴史ステーションでの一部公開という形で、選ばれた簿冊が来館者の目に触れる機会が設けられます。とはいえ、この古文書の存在を知ったうえで館内を歩けば、展示車両の一つひとつが古文書のページから飛び出してきたかのように感じられるはずです。

たとえば「車両ステーション」に堂々と展示される一号機関車は、まさに鉄道古文書の中で英国からの輸入記録として登場するあのタンク式蒸気機関車であり、それ自身も重要文化財です。また同じく重要文化財・鉄道記念物に指定される一号御料車も、古文書の記述と直結する貴重な遺物です。再現された明治初期の新橋停車場の情景や、「歴史ステーション」で時代を追って展示される諸資料も、古文書と合わせて鑑賞することで、明治日本の鉄道が抱えていた熱気と苦闘がいっそう生き生きと迫ってきます。研究者向けには、博物館の図書室・アーカイブ部門で予約制の閲覧サービスも提供されています。

周辺のおすすめスポット

鉄道博物館は、JR大宮駅から埼玉新都市交通ニューシャトルでわずか三分、鉄道博物館駅から徒歩一分という抜群のアクセスにあります。「鉄道のまち」と呼ばれる大宮の街は、博物館のほかにも一日を充実させてくれる名所を多く擁しています。

大宮駅から徒歩圏内には、武蔵一宮として崇敬を集める氷川神社があります。総本社として東日本に二百八十社あまりを擁し、「大宮」という地名の由来にもなった古社で、約二キロにわたるケヤキ並木の参道は関東屈指の壮麗さです。また、世界初の公立盆栽美術館である「さいたま市大宮盆栽美術館」と、大正期に開かれた盆栽の里・大宮盆栽村も、徒歩圏内に静かなたたずまいで点在しています。大宮は東京駅から在来線で約三十分という近距離にあり、東京観光の合間に組み込みやすい半日コースとしてもおすすめです。

Q&A

Q通常の入館で鉄道古文書を実際に見ることはできますか。
A原本は劣化を防ぐため常設展示は行われていません。特別企画展や歴史ステーションでの一部展示の形で、選ばれた簿冊が公開されることがあります。研究目的の閲覧は、博物館の図書室・アーカイブ部門への事前予約により対応されます。
Q鉄道博物館の見学にはどのくらい時間が必要ですか。
Aじっくり見学するなら三〜五時間が目安です。家族連れの場合、シミュレーターやミニ運転列車、巨大ジオラマなど体験型の施設が充実しているため、一日かけて楽しむ方も少なくありません。事前のオンライン予約が推奨されています。
Q鉄道古文書はどの時期の文書を収録していますか。
A明治三年(一八七〇)の鉄道掛設置から、明治二十六年(一八九三)の鉄道庁廃止までの約二十三年間です。日本の鉄道草創期の建設・規則制定・初期私鉄の興隆まで、ほぼ全てがこの期間に該当します。
Q文書は古い日本語で書かれているのですか。現代語訳はありますか。
A明治期の公文書様式で、候文や漢文調の影響が強い格調高い文章が用いられています。全冊の現代語訳は刊行されていませんが、研究論文や博物館の解説によって主要な内容を把握することが可能です。一般来館者向けには、館内のパネル展示や日本語・英語・中国語などの多言語ガイドが整備されています。
Q関東大震災や戦災を、なぜ生き延びることができたのですか。
A大正十二年の関東大震災では一部の巻が焼失したものの、当時の関係者の懸命の搬出により大半が無事でした。第二次大戦下では空襲を避けるため、山梨県の大月保線区へ全冊が疎開・保管されました。これらの史料が今日に伝わるのは、各時代の鉄道関係者の文化財保護への強い意志の結晶といえます。

基本情報

名称 鉄道古文書(てつどうこもんじょ)
指定区分 重要文化財(歴史資料) 平成十五年(二〇〇三)五月二十九日指定
員数 九十一冊
収録年代 明治三年(一八七〇)〜明治二十六年(一八九三)
所有者 東日本旅客鉄道株式会社(JR東日本)
所在地 鉄道博物館 〒330-0852 埼玉県さいたま市大宮区大成町3-47
開館時間 10:00〜17:00(最終入館 16:30) 休館日:火曜日および年末年始
入館料 一般 1,600円/小中高生 600円/幼児(3歳以上未就学児)300円 ※前売り料金あり
アクセス 埼玉新都市交通ニューシャトル「鉄道博物館駅」より徒歩1分(JR大宮駅からニューシャトルで約3分)

参考文献

文化遺産オンライン「鉄道古文書」(文化庁)
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/188132
国指定文化財等データベース「鉄道古文書」(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/10612
鉄道博物館 公式サイト
https://www.railway-museum.jp/
国立公文書館「国の資料保存利用機関紹介 交通博物館」
https://www.archives.go.jp/publication/archives/wp-content/uploads/2015/03/acv_21_p78.pdf
コトバンク「鉄道古文書」
https://kotobank.jp/word/鉄道古文書-1992400

最終更新日: 2026.05.03