香りをまとった聖教

滋賀県大津市、瀬田川を見下ろす石山寺に、内容とは別の理由で名づけられた一群の経典がある。「薫聖教(においのしょうぎょう)」と呼ばれる聖教類で、八十数巻にのぼる。名の由来は香木でも線香でもなく、紙そのものに千年以上も芳香がとどまっているという寺の言い伝えにある。

これらの巻物は、すべて一人の僧の手になる。石山寺第三代座主・淳祐内供(890〜953)が平安時代に書写・撰述したもので、名の知られた十世紀の僧による自筆の聖教がまとまって残る、きわめて稀な例である。昭和36年(1961)4月27日、書跡・典籍の部の国宝に指定された。現在の員数は83巻・1帖で、附(つけたり)として聖経目録が一巻添えられている。

淳祐はただの写経僧ではない。学問の神として後世に祀られる菅原道真の孫にあたり、道真の子・淳茂を父とする。名に付く「内供」は内供奉十禅師の略称で、天皇のそばに仕えて玉体を加持する僧の称である。

坐せぬ僧が筆をとった

淳祐は体が不自由で、高僧に求められる正式な坐法で坐ることができなかったと伝わる。儀式や役職によって地歩を築く道ではなく、彼は学問と著述へ向かった。諸職を固辞したとされ、一世紀の僧としては類を見ないほど大量の文章を後世に残している。

この経歴こそ、伝説を離れて文書そのものが重んじられる理由である。平安期の自筆資料はもともと数少なく、一人の学僧が書写し、註を加え、整理した一連の聖教ともなれば、なおさら例がない。巻々には真言密教の教学が淳祐自身の筆で写し取られ、欄外に書き込みを残すものもある。千年前の学僧がどのように原典を読み、正し、配列したのか。研究者にとっては、その過程を直接うかがい知る手がかりとなる。

淳祐は石山寺中興の祖ともいわれ、寺はその法灯を立て直した重要な人物として彼を位置づける。額や口もとに皺を寄せた塑造の肖像彫刻が、応永5年(1398)に開眼供養を受けて寺に残る。そこに表された老僧の手こそ、薫りの聖教を生んだ手である。

芳香の伝承

薫聖教という名は、延喜21年(921)の出来事にもとづく。淳祐の師である観賢は、当時、京の東寺と高野山で要職にあり、高野山奥之院の弘法大師廟へ赴いた。真言宗の開祖・空海には勅旨によって弘法大師の諡号が贈られたばかりで、観賢はその宣旨と勅賜の御衣を携えて廟に向かった。淳祐も随行した。

御衣替の儀のさなか、淳祐は弘法大師に直接ふれたと言われる。多くの記録は手が御衣にふれたとし、寺に伝わる別の言い方では大師の膝にふれたともいう。いずれにせよ、その手に芳香が移り、二度と消えなかったというのが話の核である。以後に書写した聖教にはことごとくその香りがうつり、ここから一群は名を得た。確証ある史実ではなく寺が大切に守ってきた言い伝えとして受け止めるべきだが、これらの写本がなぜ幾世紀も手厚く守られてきたのかを、この話はよく説明している。

指定の歴史は、伝説とともに今も伸び続けている。員数は長く73巻・1帖であった。令和7年(2025)に新たな10巻が国宝に追加指定され、総数は現在の数に達した。淳祐の真筆が今なお見いだされ続けていることを示す出来事でもある。

聖教を見る、そして寺を歩く

薫聖教を目にしたいと願う人へ、現実的な一言を添えておきたい。展示の機会はごく限られている。料紙は傷みやすく光にも弱いため、寺は一度に一巻ずつ、おもに豊浄殿で開かれる季節の特別展で公開している。一回に一巻という頻度では、全巻を見せ終えるのに数十年を要する勘定になる。参拝前に展示リストを確かめることが、その回に巻が出ているかを知る確実な方法となる。

聖教が出ていなくとも、石山寺そのものが訪ねる価値をもつ。寺名は境内に露出する珪灰石の大きな岩塊に由来し、本堂の下にごつごつとした灰色の岩肌がのぞく。その本堂は国宝であり、近くに立つ多宝塔は同形式のものとして国内屈指の古さを誇る。淳祐の塑像は、巻物への関心をそのまま参拝へとつなげてくれる。

石山寺は日本有数の文学の地でもある。紫式部が琵琶湖に映る月を眺めながら『源氏物語』の構想を得たと伝えられ、参詣した女性たちの宮廷日記にも寺の名が登場する。春の桜と秋の紅葉が一年を通じて参拝者を呼び、季節の宝物展もその盛りに合わせて開かれる。

Q&A

Q参拝すれば薫聖教を実際に見られますか。
A見られるのは一部の時期だけです。巻物は春と秋に開かれる豊浄殿の特別展で、一度に一巻ずつ公開されます。回によっては出陳されないため、訪問前に最新の展示リストをご確認ください。
Qなぜ「薫(におい)」の聖教と呼ばれるのですか。
A延喜21年(921)、僧・淳祐が高野山の弘法大師廟で大師の御衣にふれた手に芳香が移ったという寺の伝承によります。その手で後に書写した聖教に香りがうつったとされ、一群の名となりました。
Q巻数はどれくらいですか。
A国宝は現在83巻・1帖で、ほかに附として聖経目録が一巻登録されています。令和7年(2025)に10巻が追加指定され、従来の73巻から増えました。
Q淳祐内供とはどのような人物ですか。
A石山寺第三代座主(890〜953)で、学者・菅原道真の孫にあたります。体が不自由で正式な坐法がとれなかったため学問に精励し、自筆の著述を大量に残しました。
Q石山寺へはどう行けばよいですか。
A滋賀県大津市にあります。京阪電車の石山寺駅から徒歩約10分です。京都方面からはJR琵琶湖線で石山駅へ向かい、京阪に乗り換えて一駅です。

基本情報

名称淳祐内供筆聖教(薫聖教)/しゅんゆうないくひつしょうぎょう
所在地滋賀県大津市 石山寺
所有者石山寺
指定区分国宝(書跡・典籍)
指定年月日昭和36年(1961)4月27日/令和7年(2025)9月26日に10巻を追加指定
員数83巻・1帖(附:聖経目録 一巻)
時代平安時代
書写者淳祐内供(890〜953) 石山寺第三代座主
公開豊浄殿の季節展で随時一巻ずつ公開。常設展示ではない
参拝時間開門8時〜閉門16時30分(最終入山16時)/入山料 大人600円

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「淳祐内供筆聖教(薫聖教)」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/756
大本山石山寺 公式サイト「寺宝・文化財」
https://www.ishiyamadera.or.jp/about/treasure
大本山石山寺 公式サイト「国宝追加指定について」
https://www.ishiyamadera.or.jp/info/news/12208
大本山石山寺 公式サイト「境内のご案内」
https://www.ishiyamadera.or.jp/guide/precincts
大本山石山寺 公式サイト「参拝料金・時間」
https://www.ishiyamadera.or.jp/guide/fee

最終更新日: 2026.06.08