環濠の内側に住居がない集落 ― 平成13年指定の史跡

田和山・神後田遺跡は、島根県松江市乃白町・浜乃木町・乃木福富町にまたがる弥生時代前期後半から中期後半の集落跡で、平成13年(2001年)8月13日に国の史跡に指定された。令和4年(2022年)3月15日には北方の神後田遺跡が追加指定され、現在の名称となった。読みは「たわやま・じごでいせき」。

文化庁の指定解説は、この遺跡の特異な点を一文で示す。三重の環濠は巡るものの住居は環濠の外に分布するという、これまでに例のない構造の環濠をもつ集落であることが判明した、と。弥生時代の環濠集落は、環濠の内側に住居や貯蔵穴を置くのが通例である。田和山では、遺跡が存続した期間を通して環濠内に居住域がなかった。

発見は平成9年から12年(1997年から2000年)にかけて、市立病院の建設に伴う松江市教育委員会の発掘調査による。前例のない構造が明らかになったため建設計画は変更され、遺跡は現状保存されることになった。宍道湖を北に臨む比高差36メートルの独立丘陵上にある。

三重の環濠 ― 一条から三重へ、そして廃絶

環濠は南北にのびる独立丘陵の北端部の頂部を取り囲んでいた。前期後半の段階では一条で、全周せずに3か所の掘り残しがあった。中期に環濠は三重となる。

内側の環濠で囲まれた範囲は2,250平方メートル。環濠の規模は最大で幅7メートル、深さ1.8メートルを測る。濠と濠の間と一番外の濠の外側で、部分的ながら土塁の痕跡も確認されている。三重の濠と土塁を丘陵の頂部に巡らせる工事は、弥生時代の集落としては大規模なものである。

それだけの土木を施しながら、内側に人は住まなかった。中期後半に環濠は廃絶する。

頂部の柱穴と、外側の住居

頂部では多数の柱穴が検出された。弥生中期には頂部全体を柵が取り囲み、その中央部に掘立柱建物と考えられる施設が存在していたと想定される。前期後半にも同様の施設があったと考えられている。5本柱と9本柱の建物跡が確認されており、祭殿のような施設であった可能性が指摘されている。

竪穴住居は中期のものが11棟検出された。すべて環濠の外にあり、10棟が北側に集中する。住居周辺では斜面に平坦部を確保するために作られた段状の遺構が12基見つかっており、これも中期のものである。

頂部に柵と建物、環濠の外に住居。この配置が、環濠の内側を居住のためではなく別の目的のために囲ったことを示している。祭祀の場とする説、山城とする説、青銅祭器の保管庫とする説などがあり、確定していない。

出土品 ― 3,000点を超える自然石

遺物には各種の土器と石器がある。文化庁が注目するのは環濠内から出土した3,000点を超える自然石で、投弾としての機能も想定されている。打製石鏃が数多く出土し、磨製石剣なども確認された。

指定解説はこの点を、従来の理解との違いとして整理する。弥生時代の環濠集落は軍事的・防御的性格や拠点的性格をもった集落だと考えられてきた。田和山では武器は出土するものの、居住域は環濠の外に広がっていた。通常の防御性を有する環濠集落とは構造が異なる。

ほかに、楽浪郡で製作された可能性のある板石硯が出土している。北部九州を経由したものか朝鮮半島から直接もたらされたものかは不明だが、弥生時代における東アジアとの交流を示す資料とされる。出土品のうち重要なものは、令和元年(2019年)に島根県の指定有形文化財となった。

文化庁は、環濠をもつ集落であってもこれまで発見された環濠集落とは違う性格であったとみられ、集落の構造や環濠の性格を知るうえで学術的価値はきわめて高い、と結んでいる。

見学 ― 史跡公園

遺跡は史跡公園として整備され、入場は無料、年中無休である。屋外の遺跡なので、暗くなってからの入園は控えたい。駐車場は無料で用意されている。

頂部では柵や柱の位置が立上表示で復元され、5本柱と9本柱の建物跡の位置が示されている。環濠部では三重の濠と土塁の痕跡を歩いて確かめられる。頂部からは宍道湖、島根半島、松江市街が見渡せる。

神後田遺跡は約500メートル北にある。追加指定によって一件の史跡となったので、両方を歩くと指定の範囲が実感できる。

交通はJR山陰本線の乃木駅からバスまたは徒歩約20分、JR松江駅から車で約10分。問い合わせは松江市埋蔵文化財調査課(0852-55-5284)へ。

Q&A

Q田和山・神後田遺跡はいつ史跡に指定されましたか。
A平成13年(2001年)8月13日に国の史跡に指定され、令和4年(2022年)3月15日に神後田遺跡が追加指定されて現在の名称になりました。読みは「たわやま・じごでいせき」です。弥生時代前期後半から中期後半の集落跡です。
Q田和山遺跡の何が前例のない構造なのですか。
A三重の環濠が巡るのに、住居がすべて環濠の外にあることです。弥生時代の環濠集落は環濠の内側に住居を置くのが通例ですが、田和山では存続期間を通して環濠内に居住域がありませんでした。文化庁はこれを「これまでに例のない構造」と記しています。
Q環濠の規模はどのくらいですか。
A内側の環濠で囲まれた範囲は2,250平方メートル、環濠は最大で幅7メートル、深さ1.8メートルです。前期後半は3か所の掘り残しがある一条の環濠で、中期に三重となり、中期後半に廃絶しました。濠の間と外側には土塁の痕跡もあります。
Q環濠の内側には何があったのですか。
A頂部から多数の柱穴が検出され、弥生中期には頂部全体を柵が囲み、中央に掘立柱建物があったと想定されています。5本柱と9本柱の建物跡が確認され、祭殿のような施設だった可能性が指摘されていますが、祭祀の場、山城、青銅祭器の保管庫など諸説あり確定していません。
Q田和山・神後田遺跡は見学できますか。
A史跡公園として整備され、入場無料、年中無休です。屋外なので暗くなってからの入園は控えてください。頂部には柵と建物の位置が復元表示され、環濠部では三重の濠を歩けます。JR乃木駅からバスまたは徒歩約20分です。

基本情報

名称田和山・神後田遺跡(たわやま・じごでいせき)
所在地島根県松江市乃白町・浜乃木町・乃木福富町(史跡公園は乃白町32-3)
指定区分史跡
指定年2001年(平成13年)8月13日 指定/2022年(令和4年)3月15日 神後田遺跡を追加指定
員数1件
寸法比高差36メートルの独立丘陵上。内側の環濠に囲まれた範囲2,250平方メートル、環濠は最大幅7メートル・深さ1.8メートルで3重。竪穴住居11棟(すべて環濠の外)、段状遺構12基。弥生時代前期後半から中期後半
所有者松江市(管理)
公開状況史跡公園として整備。入場無料、年中無休。暗くなってからの入園は控える。駐車場無料

参考文献

最終更新日: 2026.09.02