昭和4年再建の単塔式ゴシック聖堂

津和野カトリック教会は、島根県鹿足郡津和野町後田にある昭和4年(1929年)再建の木造聖堂で、平成8年(1996年)12月20日に国の登録有形文化財に登録された。員数は1棟。構造及び形式は木造平屋建、鉄板葺、建築面積131平方メートル。所有はカトリック広島司教区である。

文化庁の解説は創設の経緯から書き起こす。この教会は、長崎浦上のキリシタン信徒の殉教地として知られる津和野にビリオン神父によって創設されたもので、現在の建物は昭和4年の再建である。木造平屋建の単塔式のゴシック様式になり、簡潔な図柄のステンドグラスのある教会として親しまれている。

単塔式とは、正面中央に鐘楼を一つ立てる形式をいう。石造の大聖堂で双塔を持つ形式に対し、木造の小規模な教会では単塔が選ばれることが多い。白い外壁と一つの尖塔が、殿町通りの武家屋敷の土塀と瓦屋根のあいだに立つ。

畳敷きの礼拝堂

この教会の最もよく知られた特徴は、内部の床が畳敷きであることだ。ゴシック様式の尖頭アーチと縦長の窓を持ちながら、信徒は椅子ではなく畳に座って礼拝する。

再建当時、津和野の信徒の生活に合わせた結果とされる。西洋の建築様式をそのまま持ち込むのではなく、使う人の作法に合わせて内部を変えた。隣接する神父館が和風庭園に面して建つことと合わせて、この一画では西洋の建築が日本の暮らしに合わせて調整されている。

文化庁が「簡潔な図柄」と記すステンドグラスは、聖堂の側面と正面に配される。色数を抑えた幾何学的な文様が中心で、畳の上に落ちる光が床の縁を色づける。

なぜ津和野に ― 浦上四番崩れ

文化庁が「殉教地として知られる津和野」と書く背景を押さえておきたい。

慶応元年(1865年)、長崎の潜伏キリシタンが大浦天主堂で信仰を告白した。これをきっかけに浦上四番崩れと呼ばれる弾圧が始まり、明治政府は約3,400人の浦上信徒を西日本各地の藩へ配流した。津和野藩には明治元年(1868年)と明治3年(1870年)の二度にわたって153人が送られ、乙女峠にあった光琳寺の本堂に幽閉された。

改宗を迫る拷問が行われ、1歳の乳児から71歳の高齢者まで37人が死亡した。明治6年(1873年)にキリシタン禁制の高札が撤去され、生き残った信徒は長崎へ帰った。

明治24年(1891年)、フランス人宣教師のヴィリヨン神父(文化庁の表記はビリオン)が元浦上信徒とともに津和野を訪れ、光琳寺跡を特定して殉教者の遺骨を集めた。1890年代にヴィリヨン神父が創設した最初の教会が、この土地に教会がある理由である。

創設と再建 ― ヴィリヨンからシェーファーへ

最初の教会は火災で失われた。現在の聖堂は昭和4年(1929年)、ドイツ人のシェーファー神父によって再建されたものである。文化庁の解説が「現在の建物は昭和4年の再建」と記すのはこれにあたる。

創設者と再建者が違う。フランス人が殉教者の慰霊のために建て、ドイツ人がゴシック様式で建て直した。畳敷きの内部は、その再建の際に津和野の信徒に合わせて選ばれた形である。

隣接する神父館は大正6年(1917年)の建築で、平成22年(2010年)に別途登録された。教会堂より12年古く、最初の教会が焼ける前から建っていたことになる。2棟が別の時期に建てられ別々に登録されている点は、教会施設が段階的に整えられてきたことを示す。

見学

拝観は無料で、午前8時から午後5時まで。4月から10月は午後5時30分まで開いている。礼拝のための建物なので静粛にしたい。ミサの時間帯は避けるのが無難である。撮影の可否は教会(0856-72-0251)へ確認してほしい。

敷地内には乙女峠展示室があり、殉教に関する資料と文書が展示されている。教会を見たあとにここへ寄ると、文化庁の解説の「殉教地として知られる」という一句の重みが分かる。

毎年5月3日には乙女峠まつりが行われ、教会から乙女峠のマリア聖堂まで行列が組まれる。殉教者を記念する行事で、この教会が建てられた目的そのものにあたる。

交通はJR山口線の津和野駅から徒歩約10分から15分。殿町通りに面しており、通りの武家屋敷と掘割のなかで教会がどう見えるかを確かめられる。

Q&A

Q津和野カトリック教会はいつ建てられ、いつ登録されましたか。
A現在の聖堂は昭和4年(1929年)の再建で、平成8年(1996年)12月20日に国の登録有形文化財に登録されました。木造平屋建、鉄板葺、建築面積131平方メートル、員数1棟です。最初の教会は1890年代にヴィリヨン神父が創設し、火災で失われました。
Q津和野カトリック教会の建築的な特徴は何ですか。
A木造平屋建の単塔式ゴシック様式で、正面中央に鐘楼を一つ立てます。文化庁は簡潔な図柄のステンドグラスを特徴として挙げています。内部の床が畳敷きで、信徒は椅子ではなく畳に座って礼拝します。
Qなぜ礼拝堂が畳敷きなのですか。
A昭和4年の再建時に、津和野の信徒の生活に合わせた結果とされます。西洋の建築様式をそのまま持ち込むのではなく、使う人の作法に合わせて内部を変えました。隣接する神父館が和風庭園に面して建つことと合わせて、西洋の建築が日本の暮らしに合わせて調整されています。
Q津和野に教会があるのはなぜですか。
A浦上四番崩れで、明治元年と3年に153人の浦上信徒が津和野藩へ配流され、乙女峠で37人が死亡したためです。明治24年(1891年)にヴィリヨン神父が遺骨を集め、1890年代に殉教者の慰霊のために最初の教会を創設しました。文化庁は津和野を「殉教地として知られる」と記しています。
Q津和野カトリック教会は見学できますか。
A拝観は無料で、午前8時から午後5時まで、4月から10月は午後5時30分までです。礼拝のための建物なので静粛にし、ミサの時間帯は避けてください。敷地内の乙女峠展示室で殉教に関する資料が見られます。JR津和野駅から徒歩約10分から15分です。

基本情報

名称津和野カトリック教会(つわのかとりっくきょうかい)
所在地島根県鹿足郡津和野町大字後田ロ66-7
指定区分登録有形文化財(建造物)
指定年1996年(平成8年)12月20日 登録
員数1棟
寸法木造平屋建、鉄板葺、建築面積131平方メートル。単塔式ゴシック様式、内部は畳敷き。1929年
所有者カトリック広島司教区
公開状況拝観無料。午前8時から午後5時まで(季節により延長)。ミサの時間帯は避ける。撮影の可否は教会へ確認

参考文献

文化遺産オンライン 津和野カトリック教会
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/176306
津和野町 文化財
https://www.town.tsuwano.lg.jp/www/contents/1682570698880/simple/dai2syouno2.pdf
文化庁 日本遺産ポータルサイト
https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story013/spot/
しまね観光ナビ 津和野カトリック教会
https://www.kankou-shimane.com/destination/21435

最終更新日: 2026.09.02