方広寺行在所とは

いまの浜松市浜名区、引佐町奥山の山あいに広がる臨済宗方広寺派大本山・方広寺。その広大な境内の一角、三笑閣の北に南を向いて建つのが方広寺行在所である。行在所とは天皇の旅先の仮の御座所を指す言葉で、この建物はもともと東海道新居宿の本陣・飯田家に設けられていた明治天皇の行在所であった。

それを明治18年(1885年)に現在地へ移し、改修して寺内に取り込んだ。建築そのものの成立は明治元年(1868年)にさかのぼる。木造平屋建、瓦葺で、建築面積は167平方メートル。寄棟造の屋根を桟瓦で葺き、妻側から入る妻入とする。

本陣から禅刹へ

新居宿は東海道の関所が置かれた要地で、本陣はそこを通る大名や公家、そして天皇の宿所となった格式の高い施設だった。飯田家本陣に整えられた御座所が役目を終えたのち、遠州の禅の大本山へ移された経緯そのものが、この一棟の来歴を際立たせている。

登録有形文化財としての価値

方広寺行在所は、令和元年(2019年)9月10日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。登録番号は22-266。同じ日に方広寺の多くの堂宇が一括で登録されており、行在所はそのうちの一棟にあたる。登録基準は「造形の規範となっているもの」である。

評価の核にあるのは書院としての質の高さである。四周に下屋をめぐらせ、正面西端には起り屋根をもつ玄関を、東側面の北端には茶室を付す。内部は南に24畳の次の間、北に上段の間を配し、賓客を迎えるための格式が細部まで行き届いている。

天皇の御座所という出自にふさわしい上段の間の設えは、明治初期の上質な書院建築の水準を示している。移築と改修を重ねながらも当初の格式を保っている点が、文化財としての評価につながっている。

訪ねるときの見どころ

上段の間と次の間の関係に注目したい。段差を設けた上段の間は、そこに座す人と対面する人との序列を建築で表す仕掛けであり、書院造の要である。天井や欄間、床まわりの造作を見比べると、部屋ごとに格の差がつけられていることが読み取れる。

玄関の起り屋根は、軒先に向けてゆるやかに反り上がる曲線をもち、正面の表情を柔らかく整える。東北端の茶室と合わせて眺めると、公的な接客空間と私的な数寄の空間が一棟の中に同居していることがわかる。

方広寺は坐禅や写経の体験でも知られる山内の大寺で、行在所のほかにも大庫裡や本堂など多くの登録有形文化財が並ぶ。境内をめぐりながら、明治の天皇を迎えたこの一棟が禅刹の中でどう位置づけられているかを確かめてほしい。

Q&A

Q行在所とは何を意味する言葉ですか。
A天皇が外出や巡幸の際に一時的に滞在する仮の御所を指します。方広寺行在所は、もとは東海道新居宿の飯田家本陣に設けられていた明治天皇の御座所でした。
Qいつ建てられ、いつ方広寺に移されたのですか。
A建物の成立は明治元年(1868年)で、明治18年(1885年)に現在地へ移築・改修されました。その後、昭和前期にも改修が加えられています。
Q建築様式にはどんな特徴がありますか。
A寄棟造・桟瓦葺の妻入で、四周に下屋をめぐらせています。南に24畳の次の間、北に上段の間を置く格式のある書院建築で、正面の玄関には起り屋根、東北端には茶室が付きます。
Qどんな指定・登録を受けていますか。
A令和元年(2019年)9月10日に国の登録有形文化財(建造物)となりました。登録番号は22-266です。国宝や重要文化財とは異なる登録制度による文化財です。

基本情報

名称方広寺行在所(ほうこうじあんざいしょ)
所在地静岡県浜松市浜名区引佐町奥山1577-1
指定区分国登録有形文化財(建造物)/登録番号 22-266
登録年月日令和元年(2019年)9月10日
員数1棟
構造木造平屋建、瓦葺、建築面積167㎡
年代明治元年(1868年)/明治18年移築・改修、昭和前期改修
所有者宗教法人方広寺
公開状況方広寺境内。拝観時間等は公式サイトで要確認

参考文献

国指定文化財等データベース:方広寺行在所
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00012916
大本山方広寺 公式サイト(方広寺について)
https://houkouji.or.jp/about/
臨黄ネット(臨済宗黄檗宗):方広寺
https://rinnou.net/head-temple/houkou/
Wikipedia:方広寺(浜松市)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B9%E5%BA%83%E5%AF%BA_(%E6%B5%9C%E6%9D%BE%E5%B8%82)

最終更新日: 2026.07.07