清水の郊外に残る昭和14年の住宅
伊藤家住宅主屋は、静岡県静岡市清水区上清水町にある昭和14年(1939年)建築の木造平屋建住宅で、平成10年(1998年)9月2日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。瓦葺、建築面積は106平方メートル。現在も個人の住宅であり、受付も公開日も設けられていない。
この「個人の住宅である」という一点が、実はこの建物の性格をよく説明している。登録制度は平成8年(1996年)の文化財保護法改正で導入されたもので、人が住み続け、使い続けている建物を保護することを最初から想定してつくられた。伊藤家住宅主屋は、その制度がまだ動き出して間もない時期の登録である。
登録番号は22-0015。静岡県内で15番目、第13回の登録である。文化庁のデータベースは、旧清水市郊外の戦前の和風住宅として知られる一棟、という位置づけで記録している。著名な建築家の設計でもなければ、由緒ある家柄でもない。評価されたのは仕事の丁寧さと、各室がまとまって残っていることだった。
「登録」と「指定」―制度上の違い
登録有形文化財と重要文化財は、名前が似ているせいで混同されやすいが、法律上の扱いはかなり違う。
指定制度は対象を厳選し、現状変更に許可を要する強い規制をかける。これに対して登録制度は、大きな改変を行う際に届出を求めるにとどめ、代わりに設計上の指導や助言、税制上の優遇を用意する。規制を緩めることで、所有者が日常的に使いながら建物を維持できるようにした仕組みである。
建築後50年を経過した建造物のうち、「国土の歴史的景観に寄与しているもの」「造形の規範となっているもの」「再現することが容易ではないもの」のいずれかに該当することが登録の条件となる。伊藤家住宅主屋が該当したのは一つ目の基準だった。この基準がもっとも間口が広く、結果として全国の登録有形文化財には、記念碑的な建築よりも、住宅・倉庫・橋梁・工場といった日々使われる建物が数多く含まれることになった。
屋根の構成と内部の材
この住宅でまず目に入るのは屋根である。
日本の住宅の屋根は、ふつう一つの形式でまとめる。ところがこの建物は東側を切妻、西側を寄棟としている。切妻は妻側に三角形の壁面が立ち、寄棟は四方に流れる。性格の異なる二つを一棟の中で継いでいるため、接合部の納まりは難しく、雨仕舞いにも神経を使う。さらに正面には入母屋屋根の玄関が別に取り付く。
建築面積106平方メートルの住宅に、三種類の屋根形式が同居していることになる。増築や敷地条件への対応の結果とも考えられるが、いずれにせよ設計者はそれを隠して左右対称に整えるのではなく、そのまま外形に出す道を選んでいる。
内部では、建具と欄間に神代杉が用いられている。神代杉は、火山灰や泥、河床の土砂の中に長期間埋没していた杉材を掘り出したもので、酸素の少ない環境に置かれたことで独特の暗い灰緑色に変色している。塗装では出せない色調で、産出量も限られる。昭和14年の郊外住宅で、家族しか目にしない欄間にこの材を使ったという選択には、施主の趣味がはっきり表れている。
座敷をはじめ各室の保存状態は全体に良好とされる。内部が改装で失われていないことが、この建物の価値の中心にある。
訪問について
結論から書くと、内部の見学はできない。文化庁データベースには所有者名の記載がなく、問い合わせ先も公開されていない。公開日を設けた運用も確認できない。
所在地の上清水町は清水港からやや内陸に入った住宅地で、建物は生活の場である。敷地内に立ち入ることはもちろん、道路上からの撮影も控えめに行うのが妥当だろう。
清水区まで足を運ぶのであれば、同じ区内の三保松原がある。富士山世界文化遺産の構成資産の一つで、晴れた朝には駿河湾越しに富士山を望む。清水駅はJR東海道本線で静岡駅から10分ほど。
静岡県内で登録有形文化財の内部に入りたい場合は、伊東市の伊東市立木下杢太郎記念館(明治40年築の商家、有料公開)や、三島市の三嶋暦師の館(旧河合家住宅主屋、平成17年4月から一般公開)が選択肢になる。伊藤家住宅主屋では得られない体験を、同じ制度の下にある建物で得ることができる。
Q&A
- 伊藤家住宅主屋は見学できますか。公開日や拝観料はありますか。
- 見学できません。伊藤家住宅主屋は現役の個人住宅で、公開日・見学時間・入場料のいずれも設定されていません。登録有形文化財の制度が、私的に使用中の建物を対象とすることを前提としているためです。道路上から外観を眺める以外の方法はなく、敷地内への立ち入りは避けてください。
- 伊藤家住宅主屋はいつ建てられ、いつ登録されたのですか。
- 建築は昭和14年(1939年)です。登録年月日は平成10年(1998年)9月2日、登録告示は同年9月25日で、登録番号は22-0015、第13回登録にあたります。
- 伊藤家住宅主屋の「登録有形文化財」は重要文化財とどう違うのですか。
- 登録制度は平成8年(1996年)に導入された緩やかな保護制度で、大きな現状変更の際に届出を求める代わりに、指導・助言や税制優遇を用意しています。重要文化財の指定はより厳選され、現状変更に許可を要します。伊藤家住宅主屋は登録であって指定ではありません。
- 伊藤家住宅主屋の屋根はどこが変わっているのですか。
- 東側を切妻、西側を寄棟とする変則的な構成をとっており、通常は一棟につき一形式でまとめる屋根が左右で異なります。加えて正面には入母屋屋根の玄関が付設され、建築面積106平方メートルの住宅に三種類の屋根形式が同居しています。
- 伊藤家住宅主屋に使われている神代杉とはどのような材ですか。
- 火山灰・泥・河床の土砂などに長期間埋没していた杉を掘り出した材です。酸素の乏しい環境で保存されるため、塗装では再現できない暗い灰緑色を帯びます。伊藤家住宅主屋では建具と欄間にこの材が用いられています。
基本情報
| 名称 | 伊藤家住宅主屋(いとうけじゅうたくしゅおく) |
|---|---|
| 所在地 | 静岡県静岡市清水区上清水町273-4 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) 登録番号 22-0015 |
| 指定年 | 平成10年(1998年)9月2日登録/同年9月25日告示 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 木造平屋建、瓦葺、建築面積106平方メートル |
| 所有者 | 文化庁データベースに記載なし(個人) |
| 公開状況 | 非公開。現役の個人住宅のため内部見学不可 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「伊藤家住宅主屋」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00000774
- 文化遺産オンライン「伊藤家住宅主屋」
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/113654
- 文化庁「登録有形文化財(建造物)」
- https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/yukei_kenzobutsu/toroku_yukei.html
- 静岡市「静岡市指定文化財一覧」
- https://www.city.shizuoka.lg.jp/s6725/s005154.html
最終更新日: 2026.08.13