賤機山古墳:静岡平野を見下ろす尾根に眠る県内最大の横穴式石室

静岡浅間神社の境内、大歳御祖神社の本殿裏手から、通称「百段階段」と呼ばれる石段が賤機山の南端へと続いている。登りきった標高約50メートルの尾根上に、直径およそ32メートル、高さおよそ7メートルの円い土の高まりがある。これが賤機山古墳である。6世紀後半、この地方を治めた有力者の墓と考えられている。墳丘の内部には人が立って歩けるほどの石室があり、家の形に削り出された石棺が納められている。横穴式石室としては静岡県内で最大の規模をもつ。

賤機山の尾根筋には、5世紀から7世紀にかけて築かれた古墳がいくつか連なっている。賤機山古墳はその3基目にあたり、規模でも内容でも群を抜く。参道の階段を登って古墳にたどり着くまでの道のりは、文化財を見に行くというよりも、静岡という町の古い時間のなかへ分け入っていく感覚に近い。

一度忘れられ、再び見出された古墳

この古墳の存在は、近代の考古学が始まるよりずっと前から知られていた。江戸時代の文献に、その発見の経緯が書き残されている。天明3年(1783年)の『駿河国志』や文政元年(1818年)の『駿河記』によれば、明和年間(1764〜1772年)に墳頂の大木が大風で倒れ、根の下に開いた穴から内部へ下りた者が、石を積み上げた部屋と、そのなかに置かれた石の櫃を見たという。穴はその後ふさがれ、石室の存在はおよそ二世紀のあいだ人々の記憶から遠ざかった。

再び光が当たったのは昭和24年(1949年)である。後藤守一・斎藤忠の両博士による初めての考古学的な発掘調査が行われ、墳丘の形と、内部にある巨石積みの横穴式石室、その入口近くに据えられた大型の家形石棺の全容が明らかになった。この調査の成果が評価され、昭和28年(1953年)に国の史跡に指定された。

石室と家形石棺

石室は横穴式石室と呼ばれる構造で、上からではなく横から入る形式をとる。遺体を納める主室の「玄室」、玄室へ至る通路の「羨道」、羨道の外側に開ける「前庭」の三つの部分からなり、石室の端は墳丘の裾をめぐる「外護列石」につながる。玄室の奥壁から外護列石までの長さは18.2メートルにおよぶ。

その平面形には特徴がある。羨道の幅が玄室の幅より狭く、全体の輪郭は羽子板のような形になる。玄室の高さは羨道の高さのおよそ2倍ある。こうした特徴は、同じころ近畿地方で築かれた大型石室と共通しており、ここに葬られた人物が静岡平野の外へと及ぶつながりをもっていたことをうかがわせる。

玄室の入口近くに石棺が据えられている。伊豆産の凝灰岩を一つの石塊から刳り抜いて箱形とし、屋根の形をした蓋をかぶせたもので、その姿から「家形石棺」と呼ばれる。前後の長さは2.9メートル。蓋には四角い突起が、左右の側面に3対、前後の面に1対ずつ削り出されている。重い石材を縄で固定し、また持ち上げるための縄掛突起である。蓋と身の合わせ目には、赤色のベンガラが塗られた跡が残る。

副葬品が示すもの

昭和24年の調査の時点で、石棺はすでに盗掘を受けていた。側面に穴があけられ、棺内に残っていたのは金銅製冠帽の破片とわずかなガラス玉だけだった。一方、石棺の周囲からは豊富な遺物が見つかっている。須恵器と土師器、挂甲(けいこう)と呼ばれる小札を綴じた鎧、大刀や鉄鏃、金環、鉄製の工具、小さな鈴をめぐらせた六鈴鏡。とりわけ注目されたのが、歩揺と呼ばれる小さな飾り板を吊り下げた金銅製の馬具である。

これほどの質の遺物は、地元で作られたものではない。金銅製の装身具や馬具は、奈良県の藤ノ木古墳をはじめとする近畿地方の有力古墳の出土品とよく似ている。被葬者が単なる地方の実力者ではなく、列島各地に勢力を広げつつあったヤマト政権と関係をもつ人物だったと考えられているのは、この類似のためである。出土遺物の年代は6世紀後半から7世紀前半におよび、石室への埋葬が複数回行われた可能性を示している。

訪ねたときに見たいところ

石室の内部に立ち入ることは、現在はできない。雨水の浸入によって石材の劣化が進んでいるため、墳丘の全面に防水シートが張られ、一般の見学者には内部が公開されていない。それでも石室内には日中、照明が灯されており、入口の扉越しに石棺と巨石を積んだ壁を外からのぞき見ることができる。

その扉そのものにも目をとめたい。扉には、古墳から出土した大刀の柄頭に施された銀象嵌の文様をもとにした鳳凰が意匠化されている。ここに葬られた品々の工芸の細やかさへの、ささやかな現代からの応答といえる。墳丘の前には野外模型と解説板が置かれ、石室の構造や発掘当時の写真、整備の際に再現された墳丘の土層断面を見ることができる。

いま訪れる人が目にする墳丘は、復元されたものである。長い年月のあいだに自然の崩れと人の手による破壊で輪郭がかなり変わってしまったため、平成5年度から8年度(1993〜1996年)にかけて保存修復工事が行われ、築造当時に近い姿に整えられた。

アクセスと周辺

賤機山古墳は静岡浅間神社の境内にある。JR静岡駅から北へ向かうバスに乗り、神社の大きな赤鳥居の近くで降りると、境内から石段を登る道がそのまま古墳へと続く。古墳専用の駐車場はない。見学は無料で、石室の照明は午前8時から午後6時まで点灯している。

静岡浅間神社そのものも、時間をかけて歩く価値のある場所である。江戸時代を通じて造営された社殿は、彩り豊かな装飾で知られる。古墳のある尾根一帯は賤機山公園として整備され、同じ古墳群の他の墳墓のそばを通る散策路がある。後藤・斎藤両博士の調査で見つかった出土品は、長く市内の文化財資料館で展示されてきたが、その施設は2021年末に閉館した。実物の遺物を見たい場合は、現在の取り扱いを事前に静岡市へ確認するとよい。

Q&A

Q石室の中には入れますか。
A一般の見学者は石室内に立ち入ることができません。雨水による石材の劣化を防ぐためです。日中は石室内に照明が灯り、扉越しに石棺や壁を外から見ることができます。小学校などの団体見学は事前申込により可能ですが、その場合も見学は羨道までとなります。
Qいつ頃つくられた古墳ですか。
A古墳時代後期の6世紀後半に築かれたと考えられています。出土した遺物は7世紀前半まで及ぶため、複数回にわたって埋葬が行われた可能性があります。
Q誰が葬られているのですか。
A被葬者は特定されていません。古墳の規模と副葬品の質から、ヤマト政権とつながりをもつ静岡平野の有力者と考えられています。
Qどうやって行けばよいですか。
AJR静岡駅から静岡浅間神社方面のバスに乗り、赤鳥居の近くで下車します。神社の境内から石段を登った先に古墳があります。見学者用の駐車場はありません。
Q見学に料金はかかりますか。
A無料です。石室の照明は午前8時から午後6時まで点灯しています。

基本情報

名称賤機山古墳(しずはたやまこふん)
所在地静岡県静岡市葵区宮ヶ崎町
指定区分国指定史跡(昭和28年〔1953年〕3月31日指定)
時代古墳時代後期(6世紀後半)
形状円墳、直径約32メートル、高さ約7メートル
埋葬施設横穴式石室、刳抜式家形石棺
石室の規模玄室奥壁から外護列石まで18.2メートル
管理団体静岡市
アクセスJR静岡駅からバスで静岡浅間神社周辺へ
公開・料金石室照明 午前8時〜午後6時/無料(石室内は一般非公開)

参考文献

賤機山古墳 - 文化遺産オンライン(国立情報学研究所)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/138657
国指定文化財等データベース - 賤機山古墳
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/1355
国指定史跡「賤機山古墳」 - 静岡市公式ホームページ
https://www.city.shizuoka.lg.jp/s6725/s005189.html
賤機山古墳群 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/賤機山古墳群

最終更新日: 2026.05.27