落水の向きを変える装置
釜ッ沢砂防堰堤は、栃木県日光市大字日光字釜ッ沢地先の稲荷川に築かれた昭和8年(1933年)竣工の重力式コンクリート造堰堤で、平成14年(2002年)8月21日に登録有形文化財(建造物)となった。読みは「かまつさわさぼうえんてい」。釜ッ沢下流砂防堰堤の上流側225メートル地点にあり、同じ谷筋に四年を隔てて築かれた二基のうちの上流側にあたる。
規模は下流の一基を大きく上回る。堤長64メートル、堤高20メートル。文化庁の記載はこの本体に加えて三つの付属構造を挙げる。導水堤2基、床固、そして左岸護岸である。この列挙が重要で、本堰堤の眼目は堤体そのものよりも、その下流に組まれた仕掛けにある。
堤高のある堰堤の水通部を越えた水は、落下地点の河床を深く掘る。洗掘が進めば堤体の基礎そのものが浮く。ここで採られた解は、水理的な造形だった。堤体の下流側に床固を流れに対して斜めに築き、平面が曲線を描く導水堤二基でこれを挟む。落水は二枚の壁の間に受け止められ、進行方向を曲げられて下流へ送り出される。まっすぐには落ちない。
この一式は高い位置にある。文化庁の解説は、下流側地面より高さ約20メートルの地点に導流堤と床固が聳えると記し、これを特異な構造形式と評する。下流から仰ぐと、自らの堆砂がつくった段丘の上に石造の装置が載り、その背後上方に本体の壁が控える構図になる。
「再現することが容易でないもの」
登録有形文化財の制度は複数の登録基準を用意している。すぐ下流の釜ッ沢下流砂防堰堤は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」で登録された。本堰堤の基準はこれと異なり、「再現することが容易でないもの」である。登録番号09-0060、第34回登録、告示は同年9月3日。
この基準は字義どおりに受け取ってよい。日光砂防事務所が公表している戦前・戦後の施工比較は、消えた作事の体系を書き留めた記録として読める。戦前の施工体制は内務省の直営、資材運搬と床掘は人力と牛馬、堰堤構造は重力式で粗石コンクリート、表面仕上げは切石張。戦後は昭和35年に直営から請負へ移り、大型工作機械が入り、仕上げは型枠・鋼板・特殊コンクリート工に変わった。稲荷川の安山岩を割り、ノミとビシャンで肌を整え、斜めに積み上げた石工たちは前者の体系に属している。本堰堤を今日つくり直すということは、その体系ごとつくり直すということになる。
事業の背景を確認しておく。稲荷川は日光火山群東端の女峰山・赤薙山に発し、流路延長9.8キロメートルを流れ下って神橋の約300メートル東で大谷川に合流する。流域面積は12.4平方キロメートル、平均勾配は約10分の1。谷壁を刻む薙は深いもので100メートル級に達し、豪雨のたび土石流の供給源となる。栃木県が調査に着手したのは大正5年(1916年)頃、大正7年(1918年)に内務省直轄事業へ移り、同年7月10日に内務省東京第一土木出張所稲荷川工場が職員6名で発足した。大正8年8月21日竣工の第一堰堤は同年9月15日の土石流で流失し、空石積という工法選択が敗因とされた。以後は練石積が徹底され、昭和30年(1955年)までに堰堤約20基、床固約15基が完成している。
意匠の系譜は蒲孚(1888-1983年)に遡る。内務技師として近代工法によるコンクリート砂防堰堤の基礎を築いた人物で、文化庁は稲荷川第二砂防堰堤の解説で設計を蒲孚と明記し、幅の広い丸み付台形水通部を当事業堰堤群の共通特徴として挙げる。土木学会も本流域堰堤群の設計者に同人を挙げ、この形式が「蒲式」と呼ばれてきたことを記す。蒲は昭和5年に横浜土木出張所へ転じており、本堰堤への直接の関与は資料上たどれないが、水通部の輪郭はその系列にある。平成26年(2014年)、土木学会は流域16施設を「日光稲荷川流域の砂防堰堤群」として選奨土木遺産に認定した。
釜ッ沢上流部を歩く
下流側から遡って仰ぐ位置が最も理解しやすい。三つの要素が分離して見える。左右に開く曲線平面の導水堤、流れを斜めに横切る床固、その奥に立ち上がる本体の壁。水は床固の上を幅広く薄い膜となって渡り、幾何が指示するとおり片岸へ振られていく。築石は水平の目地を通さず斜めに積まれ、堤面も護岸も菱形の格子として読める。
竣工年について一点補足する。文化庁および土木学会はいずれも昭和8年(1933年)とする。一方、日光砂防事務所が公開する写真には昭和13年(1938年)12月18日に釜ッ沢堰堤が竣工したとの説明が付されており、これは付属構造の完成を指すものとも考えられる。登録台帳に記載された年代は昭和8年である。昭和42年(1967年)に一部腹付、平成23年(2011年)に補修が行われた。
門扉も券売所もなく、拝観料も公開時間の設定もない。国土交通省が管理する現役の砂防施設だからである。日光砂防事務所が道標と説明看板を整備した稲荷川沿いの砂防堰堤ハイキングコースが経路にあたり、遡行すれば登録有形文化財の堰堤を下流から順に辿れる。東武日光駅から東照宮脇を通って滝尾神社まで徒歩約45分、そこから林道をさらに1時間前後。本堰堤は稲荷川第十砂防堰堤の上流側およそ590メートルに位置する。雲竜渓谷登山口付近の駐車スペースは極めて少なく、駅からタクシーを使う来訪者も多い。往復半日を見込みたい。
遊歩道や河原からの撮影に制限はない。堤体・導水堤・床固への立入は不可。降雨後は林道が通行止めとなることがあり、冬季の谷は凍結して相応の装備を要する。現地の状況は関東地方整備局日光砂防事務所への確認が確実である。
Q&A
- 釜ッ沢砂防堰堤は見学できますか。拝観料や公開時間はありますか。
- 見学できます。料金も公開時間の設定もありません。道標の整備された稲荷川砂防堰堤ハイキングコース沿いにあり、門扉もありません。現役施設のため、見学は遊歩道や河原からにとどめ、構造物には立ち入らないでください。
- 釜ッ沢砂防堰堤へのアクセスは。日光市街からどのくらいかかりますか。
- 徒歩で二時間前後です。東武日光駅から東照宮脇を抜けて滝尾神社まで約45分、そこから稲荷川沿いの林道をさらに1時間前後遡ります。稲荷川第十砂防堰堤の上流側およそ590メートル、釜ッ沢下流砂防堰堤の225メートル上流にあたります。雲竜渓谷登山口の駐車スペースは極めて限られます。
- 釜ッ沢砂防堰堤の構造はどこが特異なのですか。
- 本体下流の付属構造です。平面が曲線を描く導水堤2基が、流れを斜めに横切る床固を挟み込み、落水の方向をまっすぐ落とさずに曲げます。この一式は下流側地面より高さ約20メートルの位置に立ち上がっており、文化庁はこれを特異な構造形式と記載しています。
- 釜ッ沢砂防堰堤の竣工年について資料に食い違いがあるのはなぜですか。
- 文化庁の登録台帳と土木学会はいずれも昭和8年(1933年)とします。日光砂防事務所の公開写真には昭和13年(1938年)12月18日竣工との説明が付されており、付属構造の完成を指す可能性があります。登録上の年代は昭和8年です。
- 釜ッ沢砂防堰堤はいまも砂防施設として稼働していますか。
- 稼働しています。稲荷川上流の土砂を貯留し続けており、日光砂防事務所が維持管理を担っています。昭和42年(1967年)に一部腹付、平成23年(2011年)に補修が実施されました。指定ではなく登録が選ばれたのは、稼働を続けながら文化財であり続けるためです。
基本情報
| 名称 | 釜ッ沢砂防堰堤(かまつさわさぼうえんてい) |
|---|---|
| 所在地 | 栃木県日光市大字日光字釜ッ沢地先 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物)/登録番号 09-0060/登録基準「再現することが容易でないもの」 |
| 指定年 | 平成14年(2002年)8月21日登録、同年9月3日告示 |
| 員数 | 1基 |
| 寸法 | 重力式コンクリート造堰堤、堤長64メートル、堤高20メートル、導水堤2基、床固及び左岸護岸付 |
| 所有者 | 国(国土交通省)/管理は関東地方整備局日光砂防事務所 |
| 公開状況 | 常時見学可(稲荷川砂防堰堤ハイキングコース沿い)。拝観料・公開時間の設定なし。現役施設のため構造物への立入不可 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「釜ッ沢砂防堰堤」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00002886
- 文化遺産オンライン「釜ッ沢砂防堰堤」
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/179106
- 土木学会関東支部 悠悠・土木「日光稲荷川流域の砂防堰堤群」
- https://www.jsce.or.jp/branch/kanto/04_isan/h26/h26_3.html
- 土木学会 選奨土木遺産「日光稲荷川流域の砂防堰堤群」
- https://committees.jsce.or.jp/heritage/node/812
- 国土交通省関東地方整備局日光砂防事務所「国登録有形文化財・砂防堰堤の歴史」
- https://www.ktr.mlit.go.jp/nikko/nikko00038.html
- 国土交通省関東地方整備局日光砂防事務所「稲荷川」施設一覧
- https://www.ktr.mlit.go.jp/nikko/nikko00054.html
- とちぎの文化財「釜ッ沢砂防堰堤」
- https://bunkazai.pref.tochigi.lg.jp/cultural/%E3%80%90%E9%87%9C%E3%83%83%E6%B2%A2%E7%A0%82%E9%98%B2%E5%A0%B0%E5%A0%A4%E3%80%91/
最終更新日: 2026.08.23