三森家住宅 ― 旧東山道沿いに残る名主の家

昭和58年から3年をかけた解体復元工事のさなか、主屋の木枠から墨書が見つかった。「享保拾八年丑五月吉日」。この一行によって、現在の主屋は享保18年(1733年)に建てられたものと考えられるようになった。それまで建立年代には諸説あり、年号の確証を与えたのがこの墨書である。

建つのは栃木県の北端、那須町伊王野の下平。丘陵を背に南を向いた高台で、すぐ脇を関街道(旧東山道)が抜けていく。古代の東山道をたどり、白河関を越えて陸奥へ向かう道筋にあたる。三森家は江戸時代、この地で交代名主を務め、あわせて街道の人や荷、馬を継ぐ問屋でもあった。旧天領伊王野を支えた上層の家柄である。

重要文化財に指定されているのは、茅葺の主屋と、その前に低く長く構える表門の2棟。昭和43年(1968年)4月25日の指定にあたって、両者はひとまとまりの遺構として扱われた。

指定の理由と価値

栃木県北部には、村の上層に位置する人々が建てた大型の民家が独特の形で残ってきた。三森家住宅はその代表的な遺例にあたる。文化庁の解説も、この地方の上層住宅として代表的な例だと端的に記す。まず目を引くのは規模で、主屋は間口およそ23メートル、奥行きおよそ10メートル。建築年代の古さを考えると、かなり大きい。

民家が重文に挙げられるのは、ひとつの意匠ゆえではなく、暮らしと役務の構えがそっくり残っているからだ。間取り、骨組み、役人を迎える格式の部屋――それらが一式そろって伝わるため、村で権限を握った者の住まいであり仕事場でもあった姿が、今も読み取れる。前に立つ表門は、国の文化財データベースでは明治35年(1902年)の長屋門と記録されている。主屋に見合う規模をもち、保存状態も良い。

見どころ

正面で最初に目に入るのは屋根である。主屋は平屋建て、寄棟造の茅葺で、その量感が屋敷全体を引き締めている。外壁は柱を見せる真壁で、間を鏝で押さえた仕上げとし、腰には板を張る。

内部は中央で大きく二つに分かれる。一方は土間で、いろりと、馬を入れたうまやが残る。農家であり、同時に街道の継立を担う家であったことが、この一画によく表れている。もう一方は板間と座敷の生活空間で、かつては6部屋ほどがあったと推測されている。右奥には一段高い上段の間が設けられ、最も重んじる客を迎える席となった。前廊下のほぼ中央には正面式台が開く。身分のある人を迎えた家であることが、こうした造作から伝わってくる。

視線を上げて骨組みを見たい。梁は松材で、ちょうなで削って一本一本の自然な形を残したまま、しっかりと組み合わせてある。土台は栗、柱は杉と栗を使い分ける。全体に重く、暗い。夏の暑い日でも、中に入ると涼しさがはっきり感じられる。

前に構える表門も、立ち止まって眺める価値がある。これだけの長さの長屋門は、門そのものの中に部屋をもち、街道を来る者に家の格を示した。

訪ねるにあたって

三森家住宅は今も人が暮らす個人の住まいで、決まった開館時間をもつ施設ではない。門と主屋の外観は道からうかがえ、当主がいるときには内部を見せてもらえた例もあるが、受付はなく、その日に中へ入れる保証はない。招かれた場合を除いては、外から静かに眺める場所と考えておきたい。

建物は丁寧に守られてきた。主屋と表門は昭和58年から60年にかけて3年がかりで解体・復元され、その後も修繕が続く。茅葺の屋根も土間も、手を入れ続けなければ保てない。訪問を予定するなら、出かける前に現地の状況を確かめておくと間違いがない。

公共交通なら、最寄りはJR東北本線の黒田原駅で、伊王野方面のバスでおよそ30分。車なら道の駅東山道伊王野が近く、目印になるうえ、この土地のそばを味わう休憩地にもよい。

周辺の見どころ

伊王野と、隣り合う宿場町の芦野は、半日かけてゆっくり歩くと面白い。芦野の那須・芦野 石の美術館(ストーンプラザ)は、大正期の石蔵を地元の芦野石でよみがえらせた展示空間で、設計は建築家の隈研吾による。石と水と光の構成が知られ、それ自体が目的地になっている。入口部分は入館料なしで入れ、カフェやショップだけの利用もできる。

旧街道を北へたどれば、陸奥への入口とされ、長く歌人を引き寄せてきた白河関跡へ近づく。手近なところでは、伊王野の道の駅が川辺で水車を回し、土地のそばを供している。

Q&A

Q中を見学できますか。
A現役の個人住宅のため、決まった開館時間はなく、内部の見学が保証されているわけではありません。門と外観は道から見ることができますが、中を見られるかどうかは当日に当主がいて応じてくださるかによります。
Q建物はいつ建てられたのですか。
A主屋は享保18年(1733年)とされます。これは昭和の解体復元工事の際、木枠から見つかった墨書にもとづく年代です。一方で、三森家の氏神の棟札から天和3年(1683年)とする伝えもあり、両方の年が記されることがあります。
Q表門の年代が新しいのはなぜですか。
A国の文化財データベースでは、表門は明治35年(1902年)と記録され、主屋より新しい年代です。地方の家では門が建て替えられることも珍しくなく、表門は主屋とともに、保存のよい一構えとして指定されました。
Q三森家はどのような家だったのですか。
A村の上層に位置する農家で、交代名主を務め、街道の人や荷を継ぐ問屋も兼ねていました。後の世代には村長や町長、教育者、医師となって地域に尽くした人々がいます。
Q車がなくても行けますか。
AJR東北本線の黒田原駅から、伊王野方面のバスでおよそ30分です。本数の少ない地域なので、時刻表を前もって確かめておくことをおすすめします。

基本データ

名称三森家住宅(みもりけじゅうたく)
所在地栃木県那須郡那須町大字伊王野3111番地の1
指定区分重要文化財(昭和43年〔1968年〕4月25日指定)
員数主屋・表門の2棟
主屋平屋建て、寄棟造、茅葺。桁行約23.3m・梁間約10.0m。享保18年(1733年)建立
表門長屋門、切妻造、板葺。桁行約11.9m・梁間約3.9m。明治35年(1902年)と記録
種別近世以前/民家
アクセスJR東北本線 黒田原駅からバス約30分。道の駅東山道伊王野が近い
備考個人住宅。開館時間の定めはなく、内部見学は保証されない

参考文献

三森家住宅 主屋 表門(文化遺産オンライン/文化庁)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/133498
国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/402
三森家住宅(ウィキペディア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/三森家住宅
三森家住宅(那須町伊王野)/とちたび
https://www.totitabi.com/iouno/ie.html
那須・芦野 石の美術館(公式サイト)
https://stonemuseum.jp/

最終更新日: 2026.06.04