稲荷川の安山岩で組まれた明治末の別荘建築
レストラン明治の館(旧ホーン家住宅主屋)は、栃木県日光市山内2339に建つ明治末期の石造洋風住宅で、平成18年(2006年)10月18日に国の登録有形文化財に登録された。日光東照宮正門前の大駐車場に接する日光不動苑の樹林のなかに位置する。
外観を決定づけているのは壁面である。地元稲荷川産の安山岩を、目地を通さずに積み上げた石積が、四面すべてを覆う。文化庁の解説は「乱積風に見せた精緻な石積技法」と記す。積み方そのものは層をなしているが、一段のなかで石の高さを変え、縦目地をずらし、小口面を粗いまま残すことで、乱積の外観をつくり出している。三層分の壁を垂直に保ちながらこの見えを実現するには、石工が一平方メートルごとに幾度も判断を重ねる必要がある。仕上がった面は、住宅の壁というより護岸のような手触りを持つ。
平面は簡潔である。南面にヴェランダ玄関を配し、両妻壁に煖炉煙突を立ち上げる。屋根は切妻造の鉄板葺。東面には石造二階建の付属舎が突き出す。主屋は二階建の上に屋階、下に地階を備え、この構成が台帳記載の齟齬を生んでいる。構造欄は「石造地上3階地下1階建」とし、解説文は「石造2階建」に地階と屋階を加えると記す。屋階を階数に数えるか否かの違いであり、指す対象は同一の建物である。建築面積は261平方メートル。
屋根材の鉄板は意匠ではなく実用の選択と見るべきだろう。日光の冬季積雪量を考えれば、勾配のある切妻に薄い金属板を張る処理は理にかなう。下部に火山岩の切石を積み、上部に工業製品の板金を載せるこの取り合わせが、本建築を明治のものとして規定している。
登録の理由と施主ホーンの事績
登録有形文化財の制度は平成8年(1996年)に発足し、建築後およそ五十年を経た建造物を、重要文化財よりも緩やかな規制のもとで保護する仕組みとして運用されている。登録に際しては三基準のいずれかが適用される。本件に適用されたのは「再現することが容易でないもの」であり、その判断はほぼ石積技術に依拠している。
安山岩は硬い。これを切り出し、無作為に積んだように見せながら実際には垂直と安定を確保する仕事は、日光の社寺境内を埋める石灯籠・石垣・橋台で鍛えられた職人層を前提とする。石工は十七世紀の東照宮造営以来この地に集まり、市内には現在も石屋町の地名が残る。国土交通省日光砂防事務所の解説によれば、男体山を含む安山岩質の火山群から流れ出る稲荷川・大谷川が、加工に適した石材を供給してきた。本建築は、その蓄積が社寺の石造物ではなく洋風住宅に振り向けられた稀な事例にあたる。壁面の施工を日光の石工・相ヶ瀬森次に帰する記述が地元の紹介記事に見られるが、これは二次資料に基づくもので、国の台帳には記載がない。
登録番号は09-0154、第52回登録である。施主はアメリカ人貿易商フレデリック・ホイットニー・ホーン。日本に蓄音機とレコードを初めて紹介し、明治43年(1910年)には国産蓄音機の製造販売にあたる会社を設立した。同社は後の日本コロムビアにつながる。社名については「日本蓄音器商会」「日本蓄音機商会」「日米蓄音機商会」と表記の揺れがあり、公式サイト内でも一定しない。ホーンが日光に建てたのは、東京・横浜の外国人居留者が当地を避暑地へと変えていった時期であり、求めたのはアメリカ風の郊外住宅であった。実現したのは、アメリカの平面計画を日本の石工技術の語彙で翻訳した建物である。
所有はホーンの後に移動している。大正期に実業家・諸戸清六が日光別荘として取得したと伝わる。昭和20年(1945年)、東京空襲で自邸を失った外務大臣・重光葵が一時この邸に滞在し、公式サイトの記述によればここから降伏文書調印式に向かった。帰着後に認めた李白詩の自筆書が、現在も館内に残る。
訪ねる際の要点
昭和52年(1977年)以来、建物は西洋料理店として稼働している。内部に入る手段は、食事・買物・待機の三つに限られる。ただし制約は見た目ほど厳しくない。一階のショップは食事をとらずとも利用でき、当初の天井の下、窓の石造の内法に接して立つことができる。
ランチタイムの予約は現在受け付けていない。到着時に番号を受け取り、大型ディスプレイで順番を確認する方式のため、待機は扉前の行列ではなく庭のベンチで済む。混雑が最も激しいのは秋の週末と東照宮の祭礼前後。開店直後の平日が最も入りやすい。営業時間と季節休業は年間で変動するので、訪問前に公式サイトまたは電話で確認しておきたい。
二階では、窓が壁厚の奥に深く落ち込んでいることに気づく。初夏には周囲の樹木の緑が硝子面を埋める。館内に収蔵された初期の蓄音機とSPレコードのコレクションも見ておきたい。ホーンの会社が日本で最初に製作したとされる機械が含まれる。重光葵の書は食堂から視認できる位置に掛かる。
外観と庭園の撮影に制限はない。屋内では自席の撮影が一般的だが、他客が着席している食堂に向けてカメラを構える前には声をかけるのが穏当である。定番料理はデミグラスソースのオムレツライスと、ニルバーナと名付けられたチーズケーキ。いずれも数十年にわたり供され続けている。
徒歩の場合、東武日光駅から約25分、JR日光駅から約30分。路線バス利用なら神橋バス停下車、坂を上って約9分。同一敷地内には登録有形文化財がもう二棟建つ。旧別棟を用いたレストラン游晏山房と、旧ガレージ棟を用いたカフェレストランふじもとである。三棟をあわせて歩けば、明治期の外国人別荘が主屋・使用人棟・車庫という単位でどう構成されていたかを実地に確認できる。
Q&A
- レストラン明治の館(旧ホーン家住宅主屋)の内部は見学できますか。予約は必要ですか。
- レストランとして営業しているため、食事の利用者は内部に入れます。ランチタイムの予約は現在受け付けておらず、到着時に番号を受け取って順番待ちをする方式です。一階のショップは食事なしでも利用できます。営業時間は季節により変わるため、公式サイトまたは電話で確認してください。
- レストラン明治の館(旧ホーン家住宅主屋)の外壁に使われている石材は何ですか。
- 文化庁の台帳では地元稲荷川産の安山岩と記録されています。旅行記事などでは大谷石あるいは単に日光石と紹介されることがありますが、国の台帳が明記する稲荷川の安山岩を採るのが妥当です。
- レストラン明治の館(旧ホーン家住宅主屋)を建てたF.W.ホーンとはどのような人物ですか。
- フレデリック・ホイットニー・ホーンは明治期に来日したアメリカ人貿易商です。蓄音機とレコードを日本に初めて紹介し、明治43年(1910年)に国産蓄音機の製造販売会社を設立しました。同社は日本コロムビアの前身にあたります。本建築はその日光別荘でした。
- レストラン明治の館(旧ホーン家住宅主屋)へのアクセス方法を教えてください。
- 東武日光駅から徒歩約25分、JR日光駅から徒歩約30分です。両駅から出る路線バスなら神橋バス停で下車し、坂を上って徒歩約9分。日光東照宮正門前の大駐車場に隣接しています。
- レストラン明治の館(旧ホーン家住宅主屋)で写真撮影はできますか。
- 外観と庭園は自由に撮影できます。屋内は自席の撮影が一般的ですが、他の客が着席している食堂を撮る場合は事前に係員へ確認するのが望ましいです。
- レストラン明治の館(旧ホーン家住宅主屋)の敷地内に他の文化財はありますか。
- 二棟あります。別途登録されている旧別棟(現・レストラン游晏山房)と、旧ガレージ棟(現・カフェレストランふじもと)です。三棟はいずれも平成18年10月18日に同時登録されました。
基本データ
| 名称 | レストラン明治の館(旧ホーン家住宅主屋) |
|---|---|
| 所在地 | 栃木県日光市山内2339 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物)/登録番号 09-0154/第52回登録/登録基準「再現することが容易でないもの」 |
| 指定年 | 平成18年(2006年)10月18日 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 石造地上3階地下1階建、鉄板葺、建築面積261平方メートル |
| 所有者 | 国台帳に記載なし(管理は日光総業株式会社) |
| 公開状況 | レストラン・ショップとして営業中。ランチタイムの予約は現在不可、到着順の番号制。営業時間・季節休業は変動あり。 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)/レストラン明治の館(旧ホーン家住宅主屋)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00005742
- 文化遺産オンライン/レストラン明治の館(旧ホーン家住宅主屋)
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/190470
- とちぎの文化財(栃木県)/レストラン明治の館(旧ホーン家住宅主屋)
- https://bunkazai.pref.tochigi.lg.jp/cultural/
- 西洋料理 明治の館 公式サイト/明治の館の歴史
- https://www.meiji-yakata.com/ja/meiji/history.html
- 国土交通省関東地方整備局 日光砂防事務所/日光の石造文化
- https://www.ktr.mlit.go.jp/nikko/nikko_index012.html
最終更新日: 2026.08.24