4棟が登録された、那賀町の寺
萬福寺は、徳島県那賀郡那賀町延野字寺前20にある寺で、境内の4棟が2005年(平成17年)2月9日に登録有形文化財(建造物)となった。指定された文化財ではなく、登録された文化財である。最も古い鐘楼は1751年から1829年の間に建てられている。
4棟は、本堂、鎮守堂、鐘楼、蔵である。所有は宗教法人萬福寺である。
東西に長い境内に、本堂が南を向いて建つ。その西に鎮守堂、西南に鐘楼、東方に蔵が置かれる。
年の根拠が、四通りに分かれる
4棟で、いつ建てられたかの調べ方が違う。
鎮守堂は明治、1889年である。文化庁は、棟札から年代が判明する、と記す。棟札は棟上げのときに納める札で、年が書かれている。
蔵は江戸、1830年から1867年である。構造手法から江戸末期と推定される、とされる。作り方から年代を割り出している。
鐘楼は江戸、1751年から1829年である。絵様細部は18世紀中期の特徴を見せる、とある。彫りの様式から年代が見られている。
本堂は江戸、1830年から1867年で、根拠は示されない。範囲だけが与えられる。
札という物、構造、彫りの様式、そして根拠の示されないもの。同じ境内で四通りに分かれる。
鎮守堂が1.0平方メートルで、最も小さい
建築面積が、これまで扱ったなかでいちばん小さい。
鎮守堂は木造平屋建、鉄板葺、建築面積1.0平方メートルである。
観音正寺手水舎は面積1.5平方メートル、樟徳館鎮守社は建築面積3.3平方メートルだった。本件はそれを下回る。
一間社見世棚造とされる。見世棚造は床を張らず、棚のように前へ張り出させる小さな社殿の形式をいう。
それでも作りは細かい。身舎は円柱で台輪上に大斗肘木を組み、庇は角柱を虹梁型頭貫で結び、連三斗と中備蟇股をあげる、とされる。
文化庁は、全体は簡素なつくりだが、境内構成に欠かせない要素、と結ぶ。1.0平方メートルの建物が、境内に欠かせないとされている。
本堂の屋根が、仮に葺かれている
いまの屋根が、本来のものではないと記録に書かれている。
本堂の構造の欄は、木造平屋建、茅葺(鉄板仮葺)一部瓦葺とする。
仮葺は、本式の材で葺くまでの間、別の材で覆っておくことをいう。本来は茅葺だが、いまは鉄板が載っている。
解説文にも、屋根は寄棟造、もと茅葺で、4周に本瓦葺の下屋を廻す、とある。もと、という語が付く。
旧高橋家住宅主屋は茅葺のまま、羽馬家住宅も茅葺だった。二階堂家住宅は茅葺に竹葺の庇である。
本件は茅葺でありながら、記録の時点では鉄板が仮に載っている。屋根の材が二重に記されることになる。
本堂の外観に、地域性が現れるとされる
寺の本堂でありながら、民家の形に近いと述べられている。
文化庁は本堂について、いわゆる四方蓋民家風の外観に地域性が現れている、と結ぶ。
四方蓋は、四方に庇を回した形をいう。本堂は寄棟造で、4周に本瓦葺の下屋を廻す、とされ、その形にあたる。
平面も、方丈形式の6間取で、南と西に広縁を設ける、とされる。柱は角柱、側廻りは舟肘木である。
香川県まんのう町の重田家住宅主屋も、四方蓋農家の好例とされていた。あちらは農家である。
本件は寺の本堂が、その形をとっている。地域に建つ建物の形が、用途を越えて共通していることになる。
参拝
所在は徳島県那賀郡那賀町延野字寺前20で、所有は宗教法人萬福寺である。
4棟はいずれも境内にある。本堂の東には庫裏があり、その間に玄関が設けられる。
蔵は妻面の拝みに、珍しい松の鰭を付けた懸魚を飾る、とされる。懸魚は妻の上部に下げる飾りをいう。
鐘楼は方一間の吹放しで、壁を持たない。外から構造がそのまま見える。
寺の建物であり、参拝の可否や時間は寺の定めによる。訪問前に確認したい。
参考文献
- 文化遺産オンライン 萬福寺本堂
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/180856
- 文化遺産オンライン 萬福寺鎮守堂
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/195639
- 文化遺産オンライン 萬福寺鐘楼
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/117717
- 文化庁 国指定文化財等データベース 萬福寺本堂
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00004636
最終更新日: 2026.09.13
基本情報
| 名称 | 萬福寺 |
|---|---|
| 所在地 | 徳島県那賀郡那賀町延野字寺前20 |
| 所有者 | 宗教法人萬福寺 |
| 指定 | 登録有形文化財 4件 |
| 座標 | 33.82294, 134.47569 |