鮎喰川沿いに建つ鉄筋コンクリートの隠居屋

佐藤家住宅隠居屋は、徳島県徳島市入田町笠木にある昭和3年(1928年)建築の鉄筋コンクリート造二階建の隠居屋で、平成26年(2014年)4月25日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。

隠居屋は、家督を次代に譲った当主が暮らすための別棟である。農村部の屋敷では母屋の背後や脇に建つ小規模な木造建築であることが多い。この建物は木造ではない。鉄筋コンクリートである。しかも地方の個人住宅にコンクリートが入り込みはじめて間もない時期の作例にあたる。

敷地西面の北寄りに位置し、建築面積は56平方メートル。屋根の上に小さな塔屋が立ち上がる。平面は南北で性格が分かれ、北半は蔵、南半は畳敷の座敷である。浴室が一方に突出し、方形の輪郭をわずかに崩している。

外壁を見てもコンクリートらしさはほとんど感じられない。腰廻り、入口上部の庇、塔屋にいたるまで、露出する面はすべてモルタル洗出しで仕上げられている。骨材を混ぜたモルタルを塗り、硬化しきる前に水で洗って種石を浮き上がらせる左官技法で、数歩離れて眺めれば石造建築に見える。

登録の理由と建築史上の位置

登録有形文化財の制度は平成8年(1996年)に始まった。国宝・重要文化財の指定制度に比べて規制がゆるやかで、所有者は建物を住まいや仕事場として使い続けたまま、外観を大きく変える場合にのみ届け出をすればよい。近代の民間建築を、生活の場として動かしたまま記録し保護する仕組みである。徳島県内の国登録文化財は令和6年(2024年)4月時点で217件を数える。

隠居屋の登録基準は「再現することが容易でないもの」。理由は単一の意匠ではなく、二つの技術系統の重なりにある。県内でも早い時期の鉄筋コンクリート造であること。そしてその施工を、前近代からの技を受け継ぐ左官が仕上げていること。

この重なりには背景がある。日本で鉄筋コンクリート造が実用化されたのは明治末から大正にかけてで、昭和初期の地方都市ではもっぱら銀行、学校、病院、庁舎といった公共性の高い建築に用いられた。個人住宅への波及はさらに遅れる。同じ徳島市内には、ほぼ同時期に医師の自邸として建てられた鉄筋コンクリート造三階建の三河家住宅があり、こちらは後に重要文化財に指定された。佐藤家住宅隠居屋は、規模も設計者の知名度もまったく異なるものの、同じ短い時期に属している。

意匠の野心の下には実用の判断が横たわる。北半は蔵である。日本の蔵が厚い土壁の土蔵として造られてきたのは、火災への備えが第一だったからだ。コンクリートは同じ課題を別の材料で解いた。その耐火の箱を石造風の洗出しで包み、南側に畳敷の座敷を接続する。近代的な構造をもちながら、外観は石造の小亭のように見える建物が生まれた。

平成25年(2013年)には改修が行われており、登録はその翌年である。同じ敷地南面に建つ門柱も同日付で別件として登録された。なお、この徳島市の佐藤家の主屋は登録の対象になっていない。

見どころ

道路側からまず目に入るのは塔屋である。建築面積56平方メートルの小規模な建物に屋上構造物を載せるのは明確な意図の表れで、水平方向の広がりが乏しい建物に垂直の軸を与えている。

近づくと洗出しの表情が変わる。十メートル離れれば石に見え、一メートルまで寄れば種石の一粒ずつがモルタルの中に浮かんでいるのが分かる。洗いの強さや粒の密度には職人の手加減がそのまま残る。土壁を塗って腕を上げた左官が、まるで性質の違う材料を相手に感覚を作り直していった経過は、隅や取合いの部分に読み取れる。

立面をたどれば、蔵の部分と座敷の部分の境目が分かる。突き出した浴室も見どころのひとつで、装飾本位の設計であればまず避けたはずの不整形を、生活の側の要求が押し通している。

ここで一点、重要な注意がある。現に人が住む個人の住宅であり、所有者・市・県のいずれからも公開に関する案内は出ていない。内部の見学はできず、拝観時間も拝観料も設定されていない。できるのは公道からの外観の遠望にとどまり、それも短時間で、敷地に立ち入らずに行うべきである。撮影についても規則以前に配慮の問題で、敷地内に向けてカメラを構えるのは避けたい。

所在地は徳島市街の西方、鮎喰川に沿って神山方面へ向かう道筋にあたり、徳島駅から車でおよそ20分。路線バスの便は少なく、見学者用の駐車場もない。同じ方角で実際に人を迎え入れてくれる場所を探すなら、国府町の阿波史跡公園と徳島市立考古資料館がある。気延山の古墳群のただ中に整備された一帯で、四国八十八箇所の札所寺院も車ですぐの距離に点在する。

Q&A

Q佐藤家住宅隠居屋は見学できますか。内部に入れますか。
A見学はできません。徳島市入田町笠木にある個人の住宅で、公開日・拝観時間・拝観料などの案内は出されていません。公道からの外観の遠望にとどめ、敷地内には立ち入らないでください。
Q佐藤家住宅隠居屋はいつ建てられ、いつ登録されましたか。
A建築は昭和3年(1928年)、平成25年(2013年)に改修されています。登録有形文化財への登録は平成26年(2014年)4月25日付、登録番号は36-0115です。
Q佐藤家住宅隠居屋はなぜ鉄筋コンクリート造なのですか。
A北半が蔵として計画されているためと考えられます。土蔵が厚い土壁で耐火性を確保してきたのに対し、鉄筋コンクリートは同じ役割を新しい材料で果たしました。昭和初期の個人住宅としては先進的な選択です。
Q佐藤家住宅隠居屋の外壁のモルタル洗出しとはどのような仕上げですか。
A種石を混ぜたモルタルを塗り、硬化する前に水で洗い流して石の粒を表面に出す左官技法です。この建物では腰廻り、入口上部の庇、塔屋にまで及び、コンクリート造でありながら石造のような外観をつくり出しています。
Q佐藤家住宅で登録有形文化財になっているのは隠居屋だけですか。
A同じ敷地の南面に建つ門柱も、隠居屋と同じ平成26年4月25日付で登録されています(登録番号36-0116)。主屋は登録の対象になっていません。
Q佐藤家住宅隠居屋のある入田町笠木へはどう行きますか。
A徳島市街から鮎喰川沿いに神山方面へ向かい、車で20分ほどの距離です。公共交通の便は限られ、見学者用の駐車場もありません。同方面では国府町の阿波史跡公園が立ち寄りやすい目的地になります。

基本情報

名称佐藤家住宅隠居屋(さとうけじゅうたくいんきょや)
所在地徳島県徳島市入田町笠木200-6
指定区分登録有形文化財(建造物)/登録番号36-0115/登録基準「再現することが容易でないもの」
指定年平成26年(2014年)4月25日登録(第77回登録)
員数1棟
寸法鉄筋コンクリート造2階建、建築面積56平方メートル、塔屋付/昭和3年(1928年)建築、平成25年(2013年)改修
所有者個人(国のデータベースに所有者名の記載なし)
公開状況非公開。個人住宅のため内部見学不可、公道からの外観確認のみ

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「佐藤家住宅隠居屋」
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00010069
文化遺産オンライン「佐藤家住宅隠居屋」
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/271446
文化庁「登録有形文化財(建造物)」
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/yukei_kenzobutsu/toroku_yukei.html
徳島市「文化財の保護と活用」
https://www.city.tokushima.tokushima.jp/kankou/bunkazai/hogo.html
徳島県「県内の文化財等の指定状況」
https://www.pref.tokushima.lg.jp/FAQ/docs/00023429/

最終更新日: 2026.08.05