紙本墨画淡彩天橋立図 二十余枚の紙片に描かれた国宝

縦89.4センチ、横168.5センチの画面は、一枚の紙ではない。大きさの不揃いな小紙を二十枚余り(21枚とする資料もある)不規則に貼り継いだ料紙の上に、丹後の名勝・天橋立とその周辺の景観が濃密に描き込まれている。室町時代の画僧・雪舟等楊(1420〜1506年頃)の筆と認められるこの「紙本墨画淡彩天橋立図」は、昭和27年(1952年)3月29日に国宝に指定された(指定番号00031、員数1幅)。現在は京都国立博物館が所蔵し、館蔵品番号はA甲228である。

画面に落款や印章は一切ない。それでも雪舟筆とほぼ確実視されるのは、重厚な筆致、卓越した画面構成、さらに図中に書き込まれた地名の文字の書体までもが、雪舟の手であることを強く示すためである。

八十歳を超えた雪舟と制作年代

制作年代を絞り込む鍵は、画中の一つの建物にある。天橋立南端の智恩寺の境内に、多宝塔が描かれている。この塔は文亀元年(1501年)に再建されたもので、現存して重要文化財に指定されている。塔が画中にある以上、本図の制作は1501年以降ということになる。

雪舟の没年は1506年頃とされる。つまりこの大作は、八十歳を超えた最晩年の雪舟が手がけたとする説が有力である。

図中には寺社や地名が細かな文字で記され、現地の景観が驚くほど具体的に押さえられていることから、雪舟自身が丹後に赴いて写生を重ねたと考えられている。周防国(現在の山口県)を拠点としていた老画家が、日本海側の丹後まで足を運んだ理由は判然としないが、その旅の成果が本図に結実したことは疑いない。

実在しない視点からの俯瞰

画面のほぼ中央に、白砂青松の天橋立が横たわる。その南端に智恩寺。橋立の上方には阿蘇海を挟んで、寺社の林立する府中の町並みが広がり、籠神社や、五重塔をそなえた丹後国分寺の伽藍が一つひとつ描き分けられている。町の背後には巨大な山塊がそびえ、山上に西国札所・成相寺の堂宇が見える。手前には宮津湾が開け、栗田半島のなだらかな山並みが画面下端を縁取る。

ところが、このように一望できる場所は実際には存在しない。

実景と比較すると、成相寺の建つ山は極端に屹立させられ、府中の町並みは横に引き伸ばされている。近年の研究は、こうした操作を、雪舟が明への留学で培った中国山水画の画面構成法によるものと指摘する。とりわけ本図の俯瞰的な構成は、西湖など中国の景勝地を描いた実景図の手法を意識した可能性が高い。現地で行った複数の写生を、後に一枚の画面へと再構成したのであろう。実景に基づきながら実景を超える、雪舟最晩年の構想力がここに示されている。

下絵でありながら国宝である理由

本図は完成画(本画)ではなく、下絵と考えられている。根拠は複数ある。まず、不揃いの紙を継いだ粗末な料紙。描き直しの跡。落款・印章の欠如。そして決定的なのが、画面に残る朱の転写である。

よく見ると、空や山、海といった、本来朱が入るはずのない箇所に、点々と朱が認められる。これは籠神社・成相寺・智恩寺の建物に塗られた朱が乾ききらないうちに、画面が中央から二つ折りにされたために、向かい合う面へ色が移ったものである。完成画をこのように折り畳むことは考えにくく、携行用の下絵であったことを裏づける。別に本画が存在した可能性も指摘されるが、詳細は不明である。

それでも本図は国宝である。一気呵成の荒々しい筆遣いは、かえって画面に独特の躍動感をもたらしている。完成画では失われがちな制作の現場感、つまり老画家が実際の日本の風景と格闘した痕跡そのものが、ここには生々しく残されている。雪舟は日本の画家として最多の国宝指定作品を持つが、貼り継ぎの紙に描かれたこの下絵は、最も格式の高い完成作と並んで等しくその一角を占めている。

絵を見る、現地を歩く

本図は常設展示されていない。紙本の墨画は光に弱く、公開は京都国立博物館などでの特別展に限られる。近年では2024年の京都国立博物館「雪舟伝説」展、2025年の大阪・京都での国宝展などで公開された。実物との対面を目的とするなら、京都国立博物館の展覧会情報を事前に確認しておきたい。

一方、描かれた風景そのものは、いつでも訪ねることができる。天橋立は京都府宮津市にあり、京都駅から特急で約2時間、京都丹後鉄道の天橋立駅が玄関口となる。全長約3.6キロの砂州は徒歩や自転車で渡ることができ、数千本の松の間を歩けば、そこは雪舟の画面の中心部にほかならない。駅から数分の智恩寺では、本図の年代決定の根拠となった文亀元年再建の多宝塔を間近に見ることができる。

対岸の府中地区には、丹後一宮の籠神社が鎮座し、そこからケーブルカーで傘松公園へ上がれる。さらにバスを乗り継げば成相寺に至る。本図の図版を手に、雪舟が描いた建物や山容と現在の景観を見比べながら歩けば、五百年前の画家の視線を追体験する旅になる。

周辺情報

天橋立駅周辺の南側エリアには見どころが集中している。智恩寺と多宝塔、船の通過時に旋回して開く廻旋橋、リフトやモノレールで上がる天橋立ビューランドなどである。股のぞきと呼ばれる、股の間から砂州を逆さに眺める作法は、天に架かる橋という地名の由来をそのまま体感させてくれる。

南側と北側の一の宮桟橋の間には観光船が就航し、阿蘇海の上から松並木を間近に眺められる。北側の府中エリアは、籠神社、傘松公園、そして安永3年(1774年)建立の本堂を持つ成相寺と、ゆっくり時間をかけたい一帯である。足を延ばせば、舟屋の連なる伊根の集落までバスで約30分。宮津の市街地には商家の町並みや明治期のカトリック教会も残る。

Q&A

Q天橋立図はいつでも見られますか。
A常設展示はされていません。所蔵する京都国立博物館などでの特別展で公開される機会に限られます。紙本作品のため展示期間は短く、公開頻度も高くありません。京都国立博物館の展覧会情報を事前にご確認ください。
Q落款のない下絵が、なぜ国宝なのですか。
A筆致・構図・図中の文字の書体から雪舟筆と認められており、日本水墨画の大成者による最晩年の大画面実景図として、美術的にも資料的にも他に代えがたい価値を持つためです。
Q雪舟が描いた視点に立つことはできますか。
A本図の俯瞰は複数の写生を再構成したもので、同じ眺めが得られる場所は実在しません。北側の傘松公園と南側の天橋立ビューランドが、砂州を高所から望める展望地として最も近い体験を与えてくれます。
Q画中に描かれた建物で現存するものはありますか。
A智恩寺の多宝塔(文亀元年・1501年建立、重要文化財)が現存します。籠神社と成相寺も描かれた場所に今もありますが、現在の建物の多くは雪舟以後のものです。丹後国分寺は礎石のみが残ります。

基本情報

名称紙本墨画淡彩天橋立図〈雪舟筆〉
指定区分国宝(絵画) 昭和27年(1952年)3月29日指定(指定番号00031)
作者雪舟等楊(1420〜1506年頃) 無落款・無印章のまま雪舟筆と認められる
時代室町時代 文亀元年(1501年)以降の最晩年期とする説が有力
員数・形状1幅 紙本墨画淡彩
寸法縦89.4cm×横168.5cm(e国宝による。京都国立博物館の名品紹介では縦89.5cm×横169.5cm)
所有者独立行政法人国立文化財機構(京都国立博物館 館蔵品番号A甲228)
所在地京都国立博物館 京都府京都市東山区茶屋町527
公開状況常設展示なし。特別展等で不定期に公開
描かれた場所天橋立(京都府宮津市) 日本三景の一つ

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)紙本墨画淡彩天橋立図〈雪舟筆/〉
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/34
e国宝 天橋立図(国立文化財機構)
https://emuseum.nich.go.jp/detail?langId=ja&webView=&content_base_id=100950
京都国立博物館 名品紹介 天橋立図
https://www.kyohaku.go.jp/jp/collection/meihin/suibokuga/item01/
京都国立博物館 博物館ディクショナリー 天橋立図
https://www.kyohaku.go.jp/jp/learn/home/dictio/kaiga/187/
文化遺産オンライン 天橋立図
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/538131

最終更新日: 2026.06.11