古神宝類(阿須賀神社伝来) 神々のために調えられた装束と調度
白地に小葵文を織り出した袍が一領、黒漆の冠が一頭、双鶴文の鏡が三面、蒔絵の櫛が二十九枚。銀製の歯黒箱や鑷(毛抜き)、耳掻きまでが揃う。明徳元年(1390)頃、和歌山県新宮市の阿須賀神社の祭神に奉られた装束・調度の一括が、六百年余りを経てほぼ完全な姿で残されている。
この「古神宝類(阿須賀神社伝来)」は昭和30年(1955)6月22日、工芸品として国宝に指定され、同時に国有となった。現在は京都国立博物館(京都市東山区)が収蔵している。
古神宝とは何か
神宝とは、神の召し物や身の回りの品として奉納される装束・調度・武具などの総称である。社殿や神宝を新調することで神は新たな生命力を得て、その力が人々を災厄から守るという考えが神道にはあり、伊勢神宮の式年遷宮に伴う神宝の調進は今日まで続くその代表例といえる。代替わりののちも廃棄されず社内に伝えられた古い神宝を、後世「古神宝」と呼ぶ。
熊野速玉大社(新宮)はかつて33年に一度の遷宮を行い、そのたびに神宝を奉納していた。阿須賀神社はその境外摂社で、熊野川河口南岸の蓬莱山という標高48メートルほどの円錐形の小丘の麓に鎮座する。本社の遷宮に際しては、摂社である阿須賀神社にも本社諸宮と同様の手順で神宝が調進された。
明徳元年の遷宮と足利義満
鎌倉時代後期になると朝廷からの援助が滞り、熊野速玉大社の遷宮と神宝の調進は長く途絶えた。これを再興したのが室町幕府三代将軍・足利義満である。明徳元年(1390)、義満の沙汰によってようやく遷宮が実行され、諸国の守護職が費用を分担して神宝が調進された。本社には千点を超える神宝が納められ、これらは現在「熊野速玉大社古神宝類」として別件の国宝に指定されている。阿須賀神社の神宝もこのとき同時に奉納されたものと考えられている。
注目すべきは、本社に伝わる神宝目録との対応である。文化庁の解説によれば、手箱などの調度類はほとんど目録の記載どおりに完存し、石帯・冠・袍・表袴といった中核の品々も目録の員数どおり各一点ずつ、大きな損傷なく現存する。中世の工芸品群が当時の文書と照合できる形で一括して残る例はきわめて少なく、この完存性こそが指定の根拠となった。
制作年代について、国指定文化財等データベースは「室町」とし、京都国立博物館は「南北朝時代 明徳元年(1390)頃」とする。明徳元年は南北朝合一(1392)の直前にあたり、両者は実質的に同じ時期を指す。なお一部の品には、後世に速玉大社の他宮の御料が混入した可能性も指摘されるが、いずれも室町時代を下らないと考えられている。
男神と女神、それぞれの装い
内容は男神用・女神用の装束と、化粧・身仕舞いのための調度に大別される。祭神を平安以来の公家の姿になぞらえて装わせる構成である。
男神用は束帯の一式が揃う。白小葵文固綾の袍、緯白窠霰文二重織の表袴、冠とそれを納める松喰鶴蒔絵冠箱、石帯、木笏と桐蒔絵笏箱。いずれも当時の公家服制を実物で示す資料として貴重である。
女神用には、淡紅幸菱文固綾の単、海賦裳、香小葵文固綾の帯、人毛による義髻、彩絵檜扇、錦包挿鞋二双などがある。なかでも海賦裳は白綾地に海辺の景を描絵で表した裳で、長さ159.0センチ、腰巾47.5センチ。通例の巻きスカート状ではなく単袴の形式をとる点が染織史上注目されてきた。
調度類はさらに細やかである。松椿蒔絵手箱には白銅鏡のほか、銀の歯黒箱・白粉箱・薫物箱が各二合、鑷・鋏・耳掻・髪掻・眉作・歯黒筆・櫛払、銀菊花形皿三口に白磁皿一口までが納まる。松椿蒔絵櫛箱には蒔絵櫛二十九枚と銀解櫛一枚。唐花・松楓・松竹それぞれに双鶴を配した鏡三面は、黒漆平文箱と赤地錦袋を伴って伝わる。御衣箱と衣架も松喰鶴・唐草の蒔絵で飾られ、神の住まいの一切が整えられている。
展示室でこれらを前にすると、壮麗さよりもむしろ生活の気配に近いものを感じるはずである。眉作りの筆一本に至るまで、神は貴人と同じ暮らしを営む存在として考えられていた。
鑑賞の手引きと伝来の地
本件は京都国立博物館の収蔵品(館蔵品番号I甲68)で、染織品・漆工品の保存上の理由から常設はされず、平成知新館の名品ギャラリー等で順次入れ替えながら公開される。松椿蒔絵手箱や蒔絵櫛が展示された例もある。観覧を目的とする場合は、事前に同館の展示スケジュールで出陳の有無を確認したい。撮影の可否は展示室ごとに掲示される。
伝来の地である阿須賀神社は現存し、参拝できる。JR新宮駅から北東へ徒歩約10分、朱塗りの社殿が蓬莱山を背に建つ。平成28年(2016)には中世の熊野九十九王子のひとつ「阿須賀王子」の地として、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に追加登録された。境内からは弥生時代から古墳時代の竪穴住居跡が出土しており、復元住居も見学できる。秦の始皇帝の命で不老不死の薬を求めて渡来したと伝わる徐福の上陸地とする伝承もあり、境内には徐福之宮が祀られている。
同時期に調進された本社の神宝を見るには、熊野速玉大社境内の神宝館を訪ねるとよい。明徳元年の遷宮で奉納された千点規模の国宝古神宝類の一部が公開されている。
周辺情報
京都国立博物館の周辺は徒歩圏に名所が集まる。通りを挟んだ向かいには千体の千手観音立像で知られる三十三間堂、南へ5分ほどで長谷川等伯の障壁画と名園をもつ智積院、北東へ坂を上れば清水寺の参道に至る。京都駅からはバスで一駅、七条通を歩いても15分ほどである。
新宮を訪れるなら半日の散策を勧めたい。熊野速玉大社は駅から徒歩約15分、御神木の梛の大樹が迎える。神倉神社は五百段余りの急な石段の先にゴトビキ岩と呼ばれる巨岩を祀り、新宮の街並みと太平洋を一望できる。阿須賀神社に隣接して新宮市立歴史民俗資料館があり、すぐ先には熊野川の流れが広がる。
Q&A
- 阿須賀神社の古神宝類はいつでも見られますか。
- 常設展示はされていません。染織品や漆工品は劣化しやすいため、京都国立博物館で出陳品を入れ替えながら公開されます。訪問前に同館の展示案内で確認してください。
- 神宝は今も阿須賀神社にあるのですか。
- ありません。昭和30年(1955)の国宝指定と同時に国有となり、現在は京都国立博物館が収蔵しています。神社自体は新宮市に現存し、世界遺産の構成資産として参拝できます。
- 熊野速玉大社の古神宝類とは別の国宝なのですか。
- 別件です。本社に伝来した千点規模の古神宝類は熊野速玉大社の所有のまま国宝に指定されており、新宮の神宝館で一部が公開されています。阿須賀神社伝来の一括は国有となり京都にあります。
- なぜ櫛や鋏のような日用品が国宝なのですか。
- 当代一流の工人が神の御料として制作した品々が、中世の神宝目録と照合できる形でほぼ完全に揃って残っているためです。品質・完存性・文書による裏付けの三つが揃う例は工芸史上きわめて稀です。
基本情報
| 名称 | 古神宝類(阿須賀神社伝来) |
|---|---|
| 指定区分 | 国宝(工芸品) 昭和30年(1955)6月22日指定 指定番号00174 |
| 時代 | 明徳元年(1390)頃(国指定文化財等データベースでは室町時代、京都国立博物館では南北朝時代とする) |
| 内容 | 男神用・女神用装束、蒔絵手箱・櫛箱・御衣箱・衣架、鏡三面、蒔絵櫛29枚、銀製化粧道具類ほか |
| 所有者 | 独立行政法人国立文化財機構 |
| 所在地 | 京都国立博物館(京都府京都市東山区茶屋町527) |
| 伝来 | 和歌山県新宮市・阿須賀神社(熊野速玉大社境外摂社) |
| 公開状況 | 常設なし。京都国立博物館で順次入れ替え展示 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース「古神宝類(阿須賀神社伝来)」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/466
- e国宝「古神宝類(阿須賀神社伝来)」
- https://emuseum.nich.go.jp/detail?content_base_id=101134&content_pict_id=0
- 京都国立博物館 名品紹介「阿須賀神社伝来古神宝類 海賦裳」
- https://www.kyohaku.go.jp/jp/collection/meihin/senshoku/item04/
- 京都国立博物館 博物館ディクショナリー173号「神々の再生と神宝の寄進」
- https://www.kyohaku.go.jp/jp/learn/home/dictio/senshoku/173/
- 文化遺産オンライン「古神宝類(阿須賀神社伝来)」
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/533378
- 新宮市観光協会「阿須賀神社」
- https://www.shinguu.jp/spots/detail/A0003
最終更新日: 2026.06.11