文字が変わっていく途中をとらえた巻物

全長約8.4メートル、天地はおよそ24センチ。藍・茶・黄・緑・白に染め分けた20枚の料紙を継ぎ合わせた一巻の巻物に、日本の書のなかでもとりわけよく研究されてきた筆跡が連なっている。そこに走る文字は、純粋な漢字でもなく、のちの平仮名でもない。漢字から仮名へと移り変わる、その途中の姿である。

名は巻頭の一首に由来する。最初の和歌が「安幾破起乃(あきはぎの)」と書き出されることから、この一巻は秋萩帖と呼ばれてきた。冒頭の歌は『古今和歌集』巻四に収められた220番の歌で、十世紀初めに編まれた最初の勅撰和歌集にさかのぼる古い一首である。

現在は東京国立博物館(東京都台東区上野公園)が所蔵する。国宝としての正式な指定名称は「秋萩帖/淮南鴻烈兵略間詁(紙背)」で、独立行政法人国立文化財機構の所有。昭和32年(1957年)2月19日に国宝へ指定された。

草仮名、そして平仮名の前夜

この巻物の価値は、当時の文字の状況を知ると見えてくる。日本にはもともと固有の文字がなく、漢字を音だけ借りて表記する万葉仮名が用いられた。やがてその漢字は速く崩して書かれるようになり、字画はゆるやかな草書へと変わっていく。秋萩帖の文字はちょうどその過渡期にあたる草仮名で、今日の平仮名の直接の祖先にあたる。

巻を読み進めると、その移り変わりが目の前で進行していくのが分かる。漢字の形をまだ留める文字もあれば、後世の丸みを帯びた仮名にほとんど溶け込んだ文字もある。研究者にとって秋萩帖は、借り物の文字がいかにして自国の文字になったかを示す、もっとも明瞭な現存例の一つである。古くから書家の間で名高く、国宝に指定された理由もここにある。

内容は途中で性格を変える。第1紙から第15紙までは草仮名で和歌48首を記す。続く第16紙から第20紙では主題が一変し、中国・東晋の王羲之(おうぎし)の書状11通を臨書している。王羲之は書聖とあがめられた人物で、日本の和歌と中国の手本を一巻のうちに並べた構成には、平安時代の書にあった大陸と日本の二つの流れが重なっている。

一巻に複数の筆

実際に誰が筆をとったのかは未解決の問いであり、紙ごとの違いに目を向けると、この巻物はその問いに応えてくる。伝承では第1紙を、平安の三跡の一人に数えられる小野道風(894年〜966年)の筆とし、それに続く部分を、同じく三跡の一人で和様の書を大成した藤原行成の筆とする。だが、いずれも確証はない。書写年代をより下げ、別人の手とみる説もあり、伏見天皇の筆とする見方も唱えられてきた。

目で見える事実が、その疑いを裏づける。第1紙は他と趣を異にする。料紙が楮紙ではなく麻紙で、薄い縹色(はなだいろ)に染められ、記された2首は後続の紙にはない落ち着いた運筆と律動をもつ。第2紙以下の筆致は太く、整い方もやや劣る。研究者がこの巻を複数の時代、複数の筆の手になるものとして扱うのは、この差によるところが大きい。

裏面にも見落とせない事実がある。第2紙以下の紙背には、表よりも古い漢文が端正な楷書で写されている。中国の古典『淮南子(えなんじ)』の注釈にあたる『淮南鴻烈兵略間詁』で、唐の時代に中国で書写されたものである。つまり和歌は、それ自体より古い唐代の写本の裏面を利用して書かれた。国宝指定の際には、この再利用された唐代の紙背もあわせて保護の対象となっている。

巻物なのに「帖」と呼ぶ理由

小さな疑問が一つある。名の末尾の「帖」は、本来は綴じた折本や印刷された手本を指す語だが、秋萩帖は巻子(巻物)である。理由は江戸時代にある。この巻の草仮名が広く愛好され、学習用の摸刻本(手本)が刊行された。その手本が「帖」と呼ばれ、その名が原本にも逆流したのである。この名と実の食い違いを正そうと、「秋萩歌巻」という呼称が提案されたこともあるが、定着はしなかった。

上野へ至るまでの経路は、所蔵してきた人々をたどることでうかがえる。紙背の継ぎ目には、鎌倉時代の伏見天皇(1265年〜1317年)の花押(かおう)が据えられており、宮中で愛蔵されてきたことが分かる。のちに霊元天皇へ、さらに有栖川宮家、高松宮家へと移り、東京国立博物館の収蔵に至った。

実物を見るには

実際的な注意を一つ。紙に書かれた書跡は光にきわめて弱く、本作のような国宝は短期間に限り、しかも頻繁ではない形でしか公開されない。秋萩帖は常設展示ではない。原本を見たい場合は、来館前に博物館の展示予定を確認するとよい。書跡の展示室は定期的に陳列替えが行われる。

公開された折には、まず研究者が論じてきた対比に注目したい。冒頭の縹色の紙に見える落ち着いた開放的な筆と、それに続くやや忙しない筆との違い、そして巻末近くで和歌が中国の書状へ移り変わる箇所である。染め分けられた料紙そのものも見ごたえがあり、巻を繰るにつれて紙ごとに色が移っていく。

来館の時期が公開と合わない場合でも、国立文化財機構のオンラインデータベースで全巻の高精細画像が公開されており、ガラス越しでは難しいほど近くから筆運びをたどることができる。

東京国立博物館の周辺

博物館は上野公園の北端に位置する。上野公園は日本で最も古い公立公園の一つで、文化施設が密集する一帯でもある。徒歩圏内には国立西洋美術館、国立科学博物館、上野の森美術館があり、上野動物園や不忍池も近い。東京国立博物館そのものが国内最大級の日本美術コレクションを擁するため、一巻を目当てに訪れても、一日かけて見て回ることになりやすい。

最寄りはJR各線・東京メトロ銀座線および日比谷線・京成線の上野駅で、博物館までは徒歩約10分。成田空港からの京成線も乗り入れる。上野は浅草や浅草寺へも短時間で出られ、東京の下町を歩く拠点として便がよい。

Q&A

Qいつ博物館へ行っても秋萩帖を見られますか。
Aいいえ。光に弱い紙の国宝のため、限られた期間に時折公開されるのみです。来館前に東京国立博物館の展示予定をご確認ください。公開予定がない時期は、博物館のオンライン画像データベースの利用もおすすめします。
Q「草仮名」とは何で、なぜ重要なのですか。
A音を借りた漢字を草書で流麗に書き、平仮名へ近づいていく途中の字体です。秋萩帖はその優れた現存例の一つで、日本固有の文字が形を整えていく過程を示す記録として高く評価されています。
Q本当に小野道風が書いたのですか。
A伝承では第1紙を道風、以降を藤原行成の筆としますが、いずれも確証はありません。料紙や筆致の違いから複数の筆と考えられ、別人や後世の年代を推す説も複数あります。
Q巻物の裏には何が書かれているのですか。
A唐の時代に写された漢文で、古典『淮南子』の注釈です。和歌はこの古い中国の写本の裏面に書かれており、表裏の両面がともに国宝指定の対象となっています。
Q巻物なのになぜ「帖」と呼ぶのですか。
A「帖」は通常、綴じた手本を指す語です。江戸時代にこの草仮名を学ぶ摸刻本が広く出回り、その手本の呼び名が原本の巻子にも及んだためです。

基本情報

名称秋萩帖(あきはぎじょう)
指定名称秋萩帖/淮南鴻烈兵略間詁(紙背)
区分書跡・典籍(国宝)
指定年月日昭和32年(1957年)2月19日
時代平安時代・11〜12世紀
形状・寸法巻子1巻、彩箋墨書、約24.0×842.5cm、染紙20枚継ぎ
伝称筆者第1紙:伝小野道風/第2紙以下:伝藤原行成(いずれも確証なし)
所有者独立行政法人国立文化財機構
所在地東京国立博物館(東京都台東区上野公園13-9)
公開状況常設展示ではなく、陳列替えにより随時公開。事前に展示予定の確認を推奨。

参考文献

最終更新日: 2026.06.12