弥生の暮らしが線刻された絵画銅鐸

江戸時代、讃岐国(現在の香川県)のどこかで、緑青に覆われた扁平な釣鐘形の青銅器が見つかった。出土した正確な場所を記した記録は残っておらず、そのため指定名称も「伝讃岐国出土」と、確証のない伝来であることを断った形になっている。これが弥生時代の青銅祭器・銅鐸であり、本例は前2〜前1世紀のものとされる。東京国立博物館(東京・上野)が所蔵し、館蔵番号はJ-37433。

銅鐸は、上から下へしだいに広がる扁平な円筒形の中空鋳物である。頂部には吊り下げのための半円形の鈕(ちゅう)が立ち、身の左右には薄い鰭(ひれ)が下りる。誕生したころは高さ20センチ前後の小さな「かね」で、内部に舌(ぜつ)を下げて振り鳴らした。世代を追って大型化し、装飾が増し、音を鳴らす機能は薄れていく。研究者はこの変化を「聞く銅鐸から見る銅鐸へ」と呼ぶ。

本鐸の名は、その表面の文様に由来する。突線で鋳出された帯が、身の上部約四分の三を表裏それぞれ6つの区画に分け、太い斜格子の帯がその枠を縁取る。縦横に交差する文様が僧侶の袈裟襷に似ることから、この種の銅鐸を袈裟襷文銅鐸と呼ぶ。残る面には鋸歯文・連続渦巻文・綾杉文の繊細な突線がめぐる。

銅鐸として初の国宝

全国で見つかった銅鐸はおよそ600口にのぼるが、本鐸を際立たせているのは6区画を埋める絵画である。絵を持つ銅鐸は約70口あり、本例はそのなかでも優れた表現で知られる。昭和17年(1942)に重要文化財、昭和26年(1951)6月9日に国宝へと指定された。銅鐸として国宝に指定されたのは、これが最初である。

本鐸は、よく似た一群の鋳物の一員でもある。神戸市・桜ヶ丘遺跡出土の4号・5号銅鐸はほぼ同じ装飾を持ち、江戸時代の文人画家・谷文晁(1763〜1840)が所蔵したと伝わる銅鐸(現存せず、拓本と模写のみが残る)も同様である。文様の一致が著しいことから、専門家はこれら4口を同一工房の製作と見て、桜ヶ丘5号、4号、谷文晁旧蔵、そして本鐸という鋳造の順序を想定している。数ミリの薄い器壁と整った仕上がりは、当時の鋳工の高い技量を示す。

型式の上では鈕が扁平化した段階(扁平鈕式)に属し、そのなかでも新しい一例にあたる。鋳造後、斜格子の帯や区画、身の裾は丁寧に磨かれた。いま目にする鈍い緑は錆であり、つくられた当初は赤銅色に輝いていたはずである。

二つの面を読む

表裏の二面は、絵入りの見開きのように働く。一方の面には上段からトンボ、イモリ、弓を引いてシカを射る人、I字形の道具を持つ人(糸を紡ぐ姿とも見られる)、高床の切妻建物(倉とされる)、竪杵で臼をつく人が並ぶ。もう一方の面にはカマキリ、クモ、魚をのみ込むスッポン、魚をくわえたサギ、スッポンとトカゲ、イヌを連れてイノシシを狩る人が描かれる。

人物をよく見ると、ひとつの約束ごとが浮かぶ。丸い頭は男性、三角の頭は女性である。数本の突線で刻まれたこの描き分けは、日本美術における最も早い性別の表現のひとつといえる。

選ばれた図像は、水辺と稲作に強く傾いている。トンボやサギ、スッポン、穀物をつく人々や高床倉は、一年が水田の実りを軸に回る共同体の姿を指し示す。とはいえ解釈はなお開かれている。なぜこれらの場面が銅鐸に置かれたのか、狩りや倉が鋳工たちにとって何を意味したのか、そして銅鐸がしばしば地中に埋められた理由は何か、いずれも考古学者の見解が分かれる問いである。

上野で見るために

本鐸は東京国立博物館の考古コレクションに属し、日本の考古資料を扱う平成館で展示される。国宝であるため常設ではなく、保存と展示替えの都合から公開は限られる。わざわざ足を運んで本鐸を見たい場合は、来館前に博物館の展示スケジュールを確認するのが確実である。

博物館は上野公園のなかにあり、上野駅から歩いてすぐである。公園内には国立科学博物館や国立西洋美術館など主要な施設が集まり、春先の桜と、南側に広がる蓮の不忍池でも知られる。半日あれば、銅鐸の鑑賞に近隣の一、二館を組み合わせて回ることができる。

Q&A

Qこの銅鐸はいつでも東京国立博物館で見られますか。
Aいいえ。国宝のため展示は期間限定で、平成館の考古展示室で公開されます。確実に見たい場合は、来館前に博物館の展示・所蔵品スケジュールを確認してください。
Q銅鐸とは何ですか。
A弥生時代につくられた中空の青銅製のかねです。初期は内部の舌で鳴らしましたが、のちに大型化・装飾化し、音より祭祀的な役割が中心になったと考えられています。出土は近畿地方を中心とします。
Q人物の頭が丸と三角に分かれているのはなぜですか。
A性別を描き分けるためで、丸い頭が男性、三角の頭が女性を表します。同じ約束ごとは関連する桜ヶ丘銅鐸にも見られ、日本美術で性別を示す最も古い表現のひとつです。
Qどこで出土したのですか。
A讃岐国(現在の香川県)と伝わりますが、江戸時代に出土し、確かな出土地点の記録がありません。名称に「伝」が付くのは、場所を確定できないためです。
Qよく似た銅鐸はありますか。
Aあります。神戸市・桜ヶ丘遺跡の絵画銅鐸4号・5号と、谷文晁が所蔵したと伝わる現存しない銅鐸が、装飾の点で本鐸と極めて近く、同じ工房の製作と考えられています。桜ヶ丘の銅鐸は神戸市立博物館が所蔵します。

基本情報

名称袈裟襷文銅鐸〈伝讃岐国出土〉(けさだすきもんどうたく)
種別考古資料(青銅製)
時代弥生時代・前2〜前1世紀
員数1口
指定区分国宝(昭和26年〔1951〕6月9日指定/昭和17年〔1942〕6月26日重要文化財指定)
所有者独立行政法人国立文化財機構 東京国立博物館(館蔵番号 J-37433)
所在地東京国立博物館 東京都台東区上野公園13-9
公開状況平成館・考古展示室で展示替えにより公開(常設展示ではない)

References

e国宝(国立文化財機構)袈裟襷文銅鐸
https://emuseum.nich.go.jp/detail?langId=ja&content_base_id=100201
文化庁 国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/9625
文化遺産オンライン(国立情報学研究所)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/187182
ColBase 国立文化財機構所蔵品統合検索システム(J-37433)
https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/J-37433
東京国立博物館
https://www.tnm.jp/

最終更新日: 2026.06.12