礼記子本疏義 巻第五十九 ― 世界で一巻だけ残された、唐代写本の奇跡

東京都新宿区、早稲田大学図書館の静かな貴重書室に、一巻の古い巻物が眠っています。それは、一千年を超える時を越え、戦乱や火災、王朝の興亡、そして海を渡る長い旅をくぐり抜けてきた、世界でただ一つの宝物。中国で編まれながら、現代にはただ一巻しか伝わらない幻の書物『礼記子本疏義』、その第五十九巻です。唐時代に書き写され、奈良時代には日本へ渡り、光明皇后の蔵書印まで捺された稀有な巻子本。その学術的価値と数奇な来歴から、1952年(昭和27年)に国宝に指定されました。

失われた中国古典研究の結晶

『礼記』は、儒教の根本経典である「五経」の一つであり、古代中国の礼儀・倫理・制度を伝える書物として、東アジアの思想と社会を二千年にわたって規定してきました。中国南北朝時代(5~6世紀)には、経書の細部を一句一句ていねいに解き明かす「義疏(ぎしょ)」と呼ばれる注釈書が盛んに作られます。『礼記子本疏義』は、その代表的な一つです。

本書は、梁の学者・皇侃(おうがん、488~545)の手になる部分を中心に、弟子の鄭灼(ていしゃく、514~581)が「灼案」として按語を加えた形で編まれました。もとは全百巻という大著でしたが、中国本土ではすべて散佚し、現在確認できる唯一の現存巻が、この早稲田大学所蔵の第五十九巻です。内容は『礼記』の「喪服小記篇」にあたる章の注釈で、葬送儀礼にまつわる細かい規定を論じるものです。

なぜ国宝に指定されたのか

国宝指定の理由は、単に「古い」「珍しい」というだけではなく、複数の類稀な価値が一つの巻子に凝縮されている点にあります。

世界に唯一の現存本。『礼記子本疏義』は中国本土では完全に失われており、本巻が世界で唯一現存する巻となります。南北朝期の「義疏」そのものも、『論語義疏』『孝経述議』など数点を数えるのみで、この時代の中国学術を直接伝える一次資料としての価値は計り知れません。

後世の正典に直接つながる源流。唐代に国家事業として編纂された『礼記正義』(『五経正義』の一つ)は、本書を骨格として成立したと考えられています。つまり本巻は、東アジアにおける『礼記』理解の大きな流れの、最上流に位置する源泉といえます。

光明皇后の蔵書印。巻末には「内家私印」の朱印が捺されており、古くから光明皇后(701~760、聖武天皇の后)の蔵書印と伝えられています。奈良時代の日本宮廷とじかに結びつく物証という意味でも、本巻は他に類を見ない文化財です。

唐時代の古写本。本巻は中国唐代(618~907)の写本で、唐代の現存写本それ自体が極めて希少です。失われた著作の唯一の写本であり、かつ日本の奈良宮廷にまで結びつく巻子というのは、世界にただ一つの存在といって差し支えありません。

千年を超える旅路

本巻のたどった歴史は、それ自体が壮大な物語です。本書はすでに奈良時代には日本に伝わっており、9世紀末に藤原佐世が編んだ『日本国見在書目録』に「礼記子本義疏 百巻、梁国子助教皇侃撰」と著録されています。この時点で日本には百巻そろって伝来していたと考えられますが、その後の所在は長く不明となり、千年近くにわたり記録から姿を消しました。

再発見は明治に入ってからのことです。1890年(明治23年)、明治期の政治家・田中光顕が島田蕃根から本巻を購入。1904年に島田翰が『古文旧書考』で学術的な検討と翻刻を公表し、翌1905年、早稲田大学図書館長・市島春城の直接の依頼を受けた田中が、本巻を早稲田大学図書館に寄贈しました。

1909年には中国の著名な学者・羅振玉が早稲田を訪れて本巻を閲覧し、のちに石印本(リトグラフ複製)を刊行。この複製が広く流通して本巻の存在が国際的に知られることになります。1931年に旧国宝保存法のもとで国宝に指定され、戦後1952年11月22日、現行の文化財保護法のもとで改めて国宝に指定されました。

訪れる際の見どころ

本巻は紙の劣化を防ぐため、常時公開はされていません。しかし、早稲田大学ではいくつかの形でこの文化遺産に触れることができます。

會津八一記念博物館は、早稲田キャンパス2号館内にある大学博物館で、特別展の折にごくまれに本巻が出品されることがあります。入館は無料で、東洋美術・近現代美術・考古学の収蔵品は2万点を超えるため、本巻を目当てにしない場合でも十分に見応えがあります。

古典籍総合データベースは、早稲田大学図書館が公開しているオンライン・アーカイブで、本巻の全ページを高精細画像で閲覧することができます。一画一画の筆致、陳朝の避諱字、そして巻末の「内家私印」まで、自宅からゆっくり観察できる貴重なリソースです。

早稲田キャンパスそのものも、本巻の「故郷」として巡る価値があります。明治・大正の名建築である大隈講堂や、四季折々に趣を変える大隈庭園を歩けば、日本が長い歴史のなかでどのように中国の学問と向き合ってきたか、その豊かな文脈を肌で感じることができるでしょう。

周辺の見どころ

早稲田キャンパス周辺は、文学と学問の香りが色濃く残る一帯です。東へ少し歩けば、石畳の路地と料亭が連なる神楽坂へ。江戸の面影と現代の洗練が溶け合う、散策にうってつけの街です。南には都内屈指の広さを誇る新宿御苑が広がり、日本庭園・イギリス風景式庭園・フランス整形式庭園が共存する独特の空間を楽しめます。

本巻の主題である儒教経典の世界により深く触れたい方には、地下鉄で少し足を延ばして湯島聖堂を訪れるのもおすすめです。江戸時代の儒学の中心地として17世紀に建立され、現在も孔子像を祀る静謐な一画です。すぐ近くには千二百年の歴史をもつ神田明神もあり、都心にありながら厚い歴史の層を重ねた一日が過ごせます。

Q&A

Qいつでも本物を見ることはできますか?
A紙の劣化を防ぐため、常設展示はされていません。中央図書館の特別資料室で厳重に保管されており、公開は特別展や記念展示の折にごく限られた期間のみとなります。オンラインでは、早稲田大学「古典籍総合データベース」から全巻の高精細画像を常時閲覧できます。
Qどのような言葉で書かれていますか?
A本文は漢文(古典中国語)です。ただし本巻には、日本で読誦するために付された小さな「声点(しょうてん)」と呼ばれる声調符号も見られ、日本に伝わったあと実際に学習・講読に用いられたことがうかがえます。
Qなぜ第五十九巻だけが残ったのでしょうか?
A正確な理由は分かっていません。前近代の書物は火災・戦乱・湿気などで容易に失われるものでした。むしろ、中国本土で完全に散佚した書物の一巻が、海を越えた日本で奇跡的に生き延びたこと自体が、古代東アジアの学問交流の厚みを物語っています。
Q光明皇后との関係は確かめられますか?
A巻末に捺された「内家私印」の朱印が、古来より光明皇后の蔵書印と伝えられています。現在の古典籍データベースでもこの印を鮮明に確認することができ、研究史のなかでも重要な論点となってきました。
Q早稲田大学へはどのように行けますか?
A最も便利なのは東京メトロ東西線「早稲田駅」で、駅から徒歩約5分です。新宿駅からは都電荒川線やタクシーも利用できます。會津八一記念博物館は早稲田キャンパス2号館内にあり、正門から数分で到着します。

基本情報

名称 礼記子本疏義 巻第五十九(らいきしほんそぎ まきだいごじゅうきゅう)
種別 書跡・典籍
指定区分 国宝(1952年(昭和27年)11月22日指定)
中国
時代 唐時代(618~907年)
著者 皇侃(488~545)、鄭灼(514~581)
形状 巻子本(紙本墨書)
所有者 早稲田大学
所在地 〒169-8050 東京都新宿区西早稲田1-6-1
アクセス 東京メトロ東西線「早稲田駅」より徒歩約5分
デジタル公開 早稲田大学「古典籍総合データベース」にて全巻を公開

参考文献

国指定文化財等データベース「礼記子本疏義巻第五十九」(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/201/660
Wikipedia「礼記子本疏義」
https://ja.wikipedia.org/wiki/礼記子本疏義
早稲田大学図書館「古典籍総合データベース」
https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ro12/ro12_01134/index.html
高木理久夫「国宝『礼記子本疏義』由来と研究史」(『早稲田大学図書館報』100、2021年)
http://hdl.handle.net/2065/00081350
早稲田大学 會津八一記念博物館 公式サイト
https://www.waseda.jp/culture/aizu-museum/
達而録「『礼記子本疏義』について」
https://chutetsu.hateblo.jp/entry/2022/11/08/120000

最終更新日: 2026.04.23