没後三十六年、醍醐天皇が下した一通の勅書
延長5年(927年)12月27日、醍醐天皇は、すでに世を去って三十年あまりを経た一人の僧のために勅書を発した。僧の名は円珍。比叡山延暦寺の第五代天台座主をつとめ、近江大津の園城寺(三井寺)を再興した人物である。この勅書によって円珍には、僧位の最高位である法印大和尚位と、「智証大師」という諡号(おくりな)が贈られた。以後、円珍は智証大師の名で広く知られていくことになる。
「大師」の号は、朝廷がきわめて限られた高僧にのみ授けた栄誉である。一世紀ほど前に天台・真言の教えを唐から将来した最澄・空海も、この時期に相前後して大師号を受けている。そうした先達と並ぶ名を贈られたことは、宗教者として望みうる最高の評価であった。
東京国立博物館が所蔵する本巻は、勅書のうち寺に下された控えにあたる。一見して目を引くのは、本文の文字の上に重ねて捺された朱の方印である。「天皇御璽」と刻まれた内印が、書かれた字の上に十三顆も押されている。装飾ではない。文字の上から御璽を捺すことで、後世に書き換えや改竄ができないようにした措置である。
筆者は小野道風
この勅書を一通の行政文書から国宝へと押し上げているのは、それを記した筆である。鎌倉期の歴史書『帝王編年記』巻十五には、本件について「宣命道風書之」(宣命、道風これを書く)と記されている。記事は十一月十一日の条に置かれ、日付は誤記とも考えられるが、小野道風の筆であるとの伝えは古くから受け入れられてきた。
小野道風(894〜967年)は、平安の名筆を後世に「三跡(さんせき)」と称したうちの筆頭であり、中国風から離れた和様の書の基礎を築いた書家とされる。本巻を揮毫したのは三十四歳のとき。その書は、肉厚で豊潤でありながら、全体に張りつめた緊張感を保つと評される。書家としてなお若い時期の、力のこもった筆跡である。
つまり本巻は二重の価値を負っている。一つは、天皇がこの時代を代表する宗教者を顕彰した公文書であること。もう一つは、のちの日本の書のあり方を方向づけた書家の、初期の筆を残していることである。
巻物そのものを読む
本作は縦およそ28.7センチ、長さ156.9センチの一巻の巻子である。料紙は縹(はなだ)と呼ばれる淡い藍色に染められており、この色は文化財としての正式名称にも織り込まれている。技法は彩箋墨書、すなわち色染めの料紙に墨で記したものである。
実物を前にしてもっとも印象に残るのは、黒と朱の対比であろう。十三顆の御璽が、道風の整った墨書の列に重なって朱に押され、一定の間隔で黒い筆致を遮っていく。その効果は厳格で公的であり、これが鑑賞のために作られた書ではなく、天皇の名で発せられた法的な文書であったことを思い起こさせる。
背後の地理を想像すると理解が深まる。円珍の寺は琵琶湖のほとり、大津にあった。勅書は都の朝廷で作成され、改竄を防ぐ御璽を捺されたうえで、控えが寺へと運ばれた。そして円珍自身が遺した文書群とともに、およそ千年にわたって守り伝えられてきたのである。
より大きな史料群のなかで
本巻は、古代日本から残された屈指の文書群の一部をなす。円珍にかかわる史料は、滋賀の三井寺と東京国立博物館が分けて所蔵しており、2023年5月、ユネスコ「世界の記憶」に登録された。登録の対象は国宝五十六件にのぼり、寺と博物館の共同申請による。
その中には、円珍が唐に渡った折の文書も含まれる。仁寿3年(853年)に入唐し、密教を学んで天安2年(858年)に帰朝した円珍が、唐の地方官から交付された通行許可証の原本がそれであり、良好な状態で残る数少ない例として知られる。この史料群のなかに置くと、延長5年の勅書は円珍の生涯の結びにあたる。唐に学んだ留学僧が天台座主にまで上り、没後一世代を経て大師の位に列せられた、その締めくくりの一通である。
勅書そのものは、近代に入って寺の手を離れた。明治期に園城寺の別当であった北白川宮家が所持し、昭和23年(1948年)に東京国立博物館へ譲渡され、昭和27年(1952年)に国宝に指定された。
Q&A
- 東京国立博物館でいつでも実物を見られますか。
- 常時の公開ではありません。染紙の古文書は光に弱いため、特別展などの限られた期間に交替で展示されます。来館前に博物館の展示予定をご確認ください。なお高精細の画像は、東京国立博物館のe国宝サイトでいつでも閲覧できます。
- 勅書を書いたのは誰ですか。
- 中世の歴史書『帝王編年記』に、当代随一の書家・小野道風の筆と記されています。巻に署名があるわけではなく、この記録にもとづく伝えですが、広く認められており、三十四歳の道風の筆跡と読まれています。
- なぜ没後これほど経ってから諡号が贈られたのですか。
- 大師号は、後世の天皇がその功績の大きさを認めて贈る栄誉で、僧の没後数十年を経て授けられることも珍しくありませんでした。円珍は寛平3年(891年)に没し、延長5年(927年)、三十六年後に諡号を受けています。日本仏教の祖師たちに同様の号が贈られた時期にあたります。
- ユネスコ「世界の記憶」には何が登録されているのですか。
- 2023年の登録は、日本と中国の文化交流の歴史にかかわる円珍関係の国宝五十六件を対象とし、大津の三井寺と東京国立博物館が分蔵しています。本勅書は東京国立博物館が所蔵する一件です。
基本情報
| 名称 | 円珍贈法印大和尚位並智証大師諡号勅書〈(縹紙)/(延長五年十二月廿七日)〉 |
|---|---|
| 指定区分 | 国宝(古文書)/昭和27年(1952年)3月29日指定 |
| 年代 | 平安時代・延長5年(927年) |
| 品質・形状 | 1巻/彩箋墨書(縹紙)/28.7×156.9センチ |
| 筆者 | 小野道風(894〜967年)の筆と伝わる(『帝王編年記』による) |
| 所有者 | 独立行政法人国立文化財機構 |
| 所在地 | 東京国立博物館(東京都台東区上野公園13-9) |
| 登録 | ユネスコ「世界の記憶」登録「智証大師円珍関係文書典籍」(2023年)の一件 |
| 公開状況 | 交替展示(常設展示ではない)。画像はe国宝サイトで閲覧可。 |
参考文献
- e国宝(国立文化財機構)「円珍贈法印大和尚位並智証大師諡号勅書」
- https://emuseum.nich.go.jp/detail?langId=ja&content_base_id=100165&content_part_id=0&content_pict_id=0
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/780
- 三井寺(園城寺)「智証大師円珍関係文書典籍 ユネスコ世界の記憶」
- https://miidera1200.jp/unesco/
- カレントアウェアネス・ポータル(国立国会図書館)「円珍関係文書がユネスコの世界の記憶に登録」
- https://current.ndl.go.jp/car/182246
最終更新日: 2026.06.12