十二巻のうち、ただ一巻だけが東京にある
時宗の開祖・一遍の生涯を描いた絵巻「一遍聖絵」は、正安元年(1299年)に全十二巻として完成した。そのうち十一巻と、後に補われた巻第七の絵は、神奈川県藤沢市の清浄光寺(遊行寺)にまとまって所蔵されている。ところが、もともとの巻第七だけは別の場所にある。上野の東京国立博物館である。藤沢の本体から五十キロ以上離れて、この一巻だけが切り離されているのだ。
分かれたのは意図したことではない。全十二巻はもと京都の歓喜光寺に伝わり、そこから清浄光寺へ移った。だが江戸時代後期のどこかで、巻第七が寺の手を離れて流出する。その後の所有者をたどると、京都町奉行をつとめた浅野梅堂、税所子爵、三崎亀之助と続き、最後に横浜の生糸商で三溪園を造営した原三溪の手に渡った。東京国立博物館がこの一巻を原家から購入したのは、三溪の没後五年にあたる昭和25年(1950年)のことである。
本来の巻第七が抜けたため、藤沢の本体にはその欠を補う絵が後から加えられた。東京の原本と、藤沢でそろえられた十二巻は、いずれも昭和27年(1952年)指定の同じ国宝の枠に含まれている。なお東京の一巻は宝暦5年(1755年)に破損を修補した記録を奥書に残しており、当時その絵巻を持っていた寺の三十世が手を入れたことがわかる。
一遍と踊念仏
一遍(1239〜1289)は伊予国、いまの愛媛県に生まれた。浄土の教えを学び、父の死を機にいったん俗世へ戻ったのち、生涯を遊行についやす道を選ぶ。「南無阿弥陀仏」と称えれば、信心の有無にかかわらず誰もが極楽往生できると説き、その教えを全国へ運んだ。
運び方が独特だった。ひとつは賦算で、「南無阿弥陀仏 決定往生 六十万人」と墨摺りした小さな札を、出会う人に次々と手渡していく。もうひとつが踊念仏で、僧も俗も輪になり、鉦を打ちながら称名しつつ踊る。この踊りは行く先々で人を集め、一遍の没後に残った時衆の集団を象徴する光景となった。
絵巻は四国から奥州まで、各地の社寺や名所をめぐる一遍の足跡を追っていく。詞書を撰述したのは聖戒で、一遍の実弟とみるのが通説だが、弟子とも甥とも記す史料がある。絵筆をとったのは法眼の位にあった画僧・円伊で、その人物像はこの作品以外にほとんど知られていない。
絹に描かれたという事実
日本の絵巻物の多くは紙に描かれる。この作品は絹本に描かれており、形式としては珍しい。その選択は画面に表れていて、織られた絹の上では絵具ののり方が違い、細部の輪郭が鋭さを保つ。全十二巻は四十八段からなり、現存する一遍の絵伝としては最古に位置づけられる。
他の高僧伝の絵巻と一線を画すのは、主人公をとりまく世界に多くの紙幅を割いている点である。円伊は視点を高くとり、人物を小さく描いた。そのため山や川、港、社寺の境内、にぎわう市街が画面を満たし、人の営みはそのなかで控えめな縮尺で進んでいく。巻を繰るにつれて季節がうつろい、冬枯れの斜面が夏の野へと変わる。研究者にとっては、十三世紀の日本の景観が、農民の衣服から寺門の構えまで、目で確かめられる稀有な記録となっている。
筆致には二つの系統が読みとれる。基礎にあるのはやまと絵だが、岩や水の表現には宋元画の影響が及んでいる。この組み合わせをこれだけ統御した点が、国宝に位置づけられた理由のひとつである。
巻第七を読む
巻第七は、一遍の遊行のうち特定の道のりを描く。近江国の関寺、琵琶湖南端に近い大津のあたりから始まり、京都での布教へと進む。詞書は、都での教化が大きな盛り上がりをみせたと記し、絵もそのとおりに描く。
この巻の軸となるのは二つの踊りの場面である。ひとつは関寺の踊念仏、もうひとつは京の市屋道場での踊りだ。いずれも高床の櫓がその場のために組まれ、なかでは大勢の僧が一遍とともに輪をつくって称えながら踊っている。一遍は周囲よりやや大きく、櫓の正面寄りに、真剣な面持ちで描かれる。舞台のまわりには見物の群衆が押し寄せ、その一人ひとりが型をなぞらず、別々の顔と姿勢で描き分けられている。
近づいて見るほど発見がある。群衆は小さな縮尺ながら没個性ではなく、画家は身分や年齢、表情のちがいを、装いと姿勢のわずかな差で描き分けている。同じ注意は風景の場面にも貫かれ、移りゆく地形と庶民の日々の動きが、円伊という画家の確かな力量を感じさせる丁寧さで写しとられている。
実物を見る、そして上野のまわり
この一巻は、日本で最も古い博物館である東京国立博物館の所蔵で、上野公園のなかに建つ。常設展示ではない。絹と古い顔料は光に弱いため、公開は限られた期間に限られ、多くは館内の国宝室か特別展のなかで姿をみせる。近年は数年おきの公開が続いており、訪れる前に博物館の展示予定を確かめておくのが安全だ。展示されていない時期でも、館のコレクションデータベースで全巻の高精細画像を見ることができる。
この巻が壁になくとも、館には時宗にかかわる作品が他にもあり、後代の遊行上人を描いた重要文化財の絵巻なども収められている。上野公園そのものも一日を費やすに足り、複数の国立博物館が集まり、動物園があり、桜の木立のあいだに静かな寺域がある。この絵の最後の個人所有者である原三溪に興味を引かれた人なら、横浜の三溪園は手近な小旅行となり、かつてこの絵を持っていた収集家たちの世界をのぞく窓になる。
Q&A
- なぜ巻第七だけが東京にあり、残りは藤沢にあるのですか。
- 本来の巻第七は江戸後期に寺を離れて流出し、いくつかの個人所蔵を経て、昭和25年(1950年)に東京国立博物館が入手しました。藤沢の本体には補いの絵が加えられたため、巻第七は事実上二か所に存在します。
- いつ行っても実物を見られますか。
- いいえ。光に弱い絹本のため、公開は短い期間に限られ、多くは国宝室か特別展でのみ展示されます。事前に博物館の展示予定を確認し、非公開期間はオンラインの画像をご覧ください。
- 巻第七には具体的に何が描かれていますか。
- 琵琶湖近くの関寺から京都へ向かう一遍の歩みを描き、中心となるのは関寺と京の市屋道場での二つの踊念仏の場面です。周囲には個性豊かな群衆が密に描かれています。
- この絵巻は誰の手によるものですか。
- 詞書は一遍の実弟とされる聖戒、絵は法眼の位にあった画僧・円伊によります。全十二巻は一遍の没後十年にあたる正安元年(1299年)に完成しました。
- なぜそれほど高く評価されるのですか。
- 現存最古の一遍の絵伝であり、絵巻には珍しい絹本である点、そして十三世紀の日本を細やかに写した風景や市街の描写が評価されています。昭和27年(1952年)に国宝へ指定されました。
基本情報
| 指定名称 | 絹本著色一遍上人絵伝〈法眼円伊筆/巻第七〉 |
|---|---|
| 通称 | 一遍聖絵 巻第七 |
| 種別 | 絵画 |
| 指定区分 | 国宝(昭和27年〔1952年〕3月29日指定) |
| 年代 | 鎌倉時代・正安元年(1299年) |
| 作者 | 法眼円伊(詞書:聖戒) |
| 員数・寸法 | 1巻/縦37.8cm、全長802.0cm |
| 品質 | 絹本著色 |
| 所有者 | 独立行政法人国立文化財機構 |
| 所在地 | 東京国立博物館 東京都台東区上野公園13-9 |
| 公開 | 期間限定の展示のみ。博物館の展示予定を要確認 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/32
- 文化遺産オンライン(国立情報学研究所)
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/149621
- e国宝(国立文化財機構)
- https://emuseum.nich.go.jp/detail?langId=ja&content_base_id=100156
- ColBase(国立文化財機構)
- https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-10944?locale=ja
最終更新日: 2026.06.12