もう無い土手の名を負う店

伊勢屋店舗兼主屋は、東京都台東区日本堤にある昭和2年(1927年)建築の木造二階建店舗兼住宅で、平成22年(2010年)9月10日に国の登録有形文化財に登録された。通称は「土手の伊勢屋」。

建物は小さい。間口4.6メートル、奥行10メートル、建築面積は44平方メートル。土手通りに西面して店を開き、東と南も街路に面するので、四面のうち三面が外にさらされている。面白いのは、この狭い間口の使い方だ。屋根は入母屋造の桟瓦葺で、向きは妻入。つまり街路に妻面を向けている。結果として正面は、下見板張の水平な帯の上に漆喰仕上げの高い三角形が載る姿になる。軒下も漆喰で揃う。実際の高さより背が高く見える。

隣と見比べると、この選択の意味が立ち上がる。隣接する馬肉料理の中江店舗は大正13年(1924年)の建築で、伊勢屋と同じ日に登録された。建築面積55平方メートル、桁行5.9メートル梁間10メートル。こちらは南北棟の切妻造で、街路と平行に棟が走る。つまり平入である。軒側を通りに向け、熨斗瓦を高く積んで建ちの高い表構えをつくる。二軒の店が並び、どちらも木造、どちらも戦間期、どちらも平成22年の登録で、同じ課題に正反対の解を出している。吉原大門の交差点に立てば、両方が一度に目に入る。

内部は一階が店舗、二階が住居という構成である。一階の正面に据えられたカウンターは、天麩羅屋としての営みのなかで使われてきたもので、店内は昭和初期の食堂の骨格を保ったまま今に至る。

昭和2年、土手が消えた年

商いは建物より古い。伊勢屋の創業は明治22年(1889年)、初代は若林儀三郎。屋号は初代の出身地である伊勢に由来する。通称のもう半分、「土手の」が指すものは、今はもう見ることができない。

日本堤は実在の堤防だった。十七世紀前半に築かれた治水のための土手で、明暦の大火の後に江戸の北東へ移された新吉原へ向かう道が、この堤の上を通った。堤上の往来は茶屋や船宿、料理屋を支えた。伊勢屋はその長い時代の末期に、遊廓の唯一の出入口である大門の近くで店を開いている。創業当初の建物は土手に引っ掛けるように建てられ、土手側から見れば二階建、裏から見れば三階建のように映ったと伝わる。

大正12年(1923年)の関東大震災が店を倒し、土手も損なった。そして昭和2年、日本堤は全面的に切り崩され、跡地に現在の土手通りが敷かれる。今の建物が建ったのは、その同じ年である。名の由来となった地形が消えるその瞬間に建てられた建物、と言い換えてもいい。名前は残り、土手は残らなかった。

登録が評価したのは、この経緯を含んだ景観である。登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」、登録番号は13-0262、第68回登録。区分については明確にしておきたい。登録有形文化財は、国宝や重要文化財の「指定」とは別の制度である。平成8年(1996年)に始まった届出制の枠組みで、指導・助言と限定的な税制優遇を柱とし、評価される前に消えていく近代建築の膨大な蓄積を受け止めるために設けられた。この一帯の木造店舗は、そのなかでも残存例がとりわけ少ない。昭和20年(1945年)3月の空襲が周辺を焼き払ったからである。伊勢屋は焼け残った。店の伝えるところでは、風向きが変わったのだという。

見学の実際、ここは今も営業中の店である

美術館ではないので、文化財としての内部公開はない。現役の天麩羅屋であり、中を見る方法は食べに行くことである。看板は天丼。濃い口のタレは代替わりのたびに入れ替えるのではなく、継ぎ足して守られてきた。主役は穴子で、店外に専用の水槽を設け、朝に〆ている。天丼は数段階の品書きがあり、一杯おおむね2,000円から3,000円台を見ておくとよい。近年は数度の価格改定があるため、訪問前に最新の価格を確認してほしい。

営業時間は11時から14時、売り切れ次第終了。定休日は火曜日と水曜日。行列は早い時間からできる。店内メンテナンスによる臨時休業も折々あり、公式サイトやSNSで告知されるので、出かける前に一度見ておくと空振りを避けられる。

アクセスは、東京メトロ日比谷線の三ノ輪駅から約720メートル、徒歩10分ほど。JRと日比谷線の南千住駅からは徒歩17分程度である。浅草からは南へ30分ほど歩ける距離で、道筋は暗渠となった山谷堀の跡をたどる細長い公園に沿う。

席に着いてから目を向けたい細部が二つある。窓のすりガラスには伊勢海老の意匠が入っているといい、初代の出身地である伊勢にかけた洒落と説明される。奥の小上がりの床下は戦時中の防空壕だったと店は語る。いずれも公的な記録には現れないので、店に伝わる話として受け取るのがよい。一方、用材については登録側の評価と重なる。檜、欅、桜、日本杉が使われており、44平方メートルの小さな店が守るに値すると判断された理由の一端は、この材の質にある。

Q&A

Q伊勢屋店舗兼主屋の内部は見学できますか?営業時間は?
A現役の天麩羅屋なので、客として利用する形で内部に入れます。営業時間は11時から14時、売り切れ次第終了で、火曜日と水曜日が定休日です。文化財としての見学専用の公開は行っていません。
Q伊勢屋店舗兼主屋へのアクセスと最寄り駅からの所要時間は?
A東京メトロ日比谷線の三ノ輪駅から約720メートル、徒歩約10分です。南千住駅からは徒歩17分ほど、浅草からは徒歩30分ほどで歩けます。
Q伊勢屋店舗兼主屋はなぜ「土手の伊勢屋」と呼ばれるのですか?
A吉原へ向かう日本堤という土手に接して建っていたためです。堤は関東大震災で損壊し、昭和2年に切り崩されました。跡地に敷かれたのが現在の土手通りで、現在の建物も同じ昭和2年の建築です。
Q伊勢屋店舗兼主屋は重要文化財ですか?
Aいいえ。登録有形文化財(建造物)です。国宝・重要文化財の指定制度とは別枠で、平成22年9月10日に「国土の歴史的景観に寄与しているもの」として登録されました。
Q伊勢屋店舗兼主屋の近くに他の登録有形文化財はありますか?
Aすぐ隣の馬肉料理店・中江店舗が大正13年の建築で、伊勢屋と同じ平成22年9月10日に登録されています。中江は棟を街路と平行に置く平入、伊勢屋は妻入で、見比べると対照が分かります。

基本情報

名称伊勢屋店舗兼主屋(いせやてんぽけんしゅおく)/通称 土手の伊勢屋
所在地東京都台東区日本堤1-208(店舗の案内住所は日本堤1-9-2)
指定区分登録有形文化財(建造物)/登録番号 13-0262
指定年平成22年(2010年)9月10日登録
員数1棟
寸法木造2階建、入母屋造妻入桟瓦葺、建築面積44平方メートル(間口4.6メートル、奥行10メートル)
所有者個人
公開状況営業中の飲食店として利用可(11時から14時、火・水曜定休)。外観は土手通りから常時見学可

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース ― 伊勢屋店舗兼主屋
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00008263
文化庁 国指定文化財等データベース ― 中江店舗
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00008264
文化遺産オンライン ― 中江店舗
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/209136
文化庁 ― 登録有形文化財(建造物)制度の解説
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/yukei_kenzobutsu/toroku_yukei.html

最終更新日: 2026.08.22