一巻の紙の両面に、二つの国宝

東京国立博物館が所蔵する全長約8.4メートルの巻子本「秋萩帖」を裏返すと、もう一つの国宝が現れる。よく知られた表面には、やわらかな草仮名で和歌が連ねられている。一方の裏面には、端正な楷書で漢字の列がびっしりと書写されている。この裏面こそ、ここで取り上げる「准南鴻烈兵略間詁(紙背)」である。しかも裏面の文字は、表の和歌よりも古い。

名称は耳慣れないが、内容を解きほぐすと素性がはっきりしてくる。「准南鴻烈」は、前漢の淮南王劉安のもとで編まれた思想書『淮南子(えなんじ)』の別名にあたる。本作に残るのはその兵略の篇で、本文と古い注釈とがあわせて唐の楷書で写されている。巻末の標題は「第二十」と記され、もとは長い書物の一部であったことを示す。なお正式の指定名称は異体字を用いた「准南」だが、本来の表記は「淮南」である。

中国の兵略の書が、なぜ日本の和歌の裏に置かれているのか。鍵は紙の再利用にある。この唐写本はまず舶載の典籍として日本へもたらされた。時代が下った平安期、ある書き手がこの巻物を裏返し、空いていた面に和歌や臨書を記した。表と裏は、数百年と海を隔てて生まれた別々の作品が、同じ料紙を分け合っているのである。

反故の裏面が国宝となった理由

昭和32年(1957年)、この巻物の表裏は、それぞれ独立した国宝として指定された。和歌の面は冒頭の語をとって「秋萩帖」、唐写本の面は「准南鴻烈兵略間詁(紙背)」として別個に登録されている。一つの物体の表裏に二件の国宝指定がかかる例は、文化財制度のなかでも珍しい。

裏面の価値は、同種の遺品がきわめて少ない点にある。『淮南子』とその注釈を写した唐代の写本は現存が乏しく、伝来の確かな一本が日本の収蔵庫に残っていることは、中国古代思想の研究にとって本国でも得がたい本文資料となる。あわせてこの紙背は、舶載の漢籍が貴重であり、その余白すら粗末にできなかった時代の習いを記録している。

表の和歌もまた、別の観点から指定を受けた。漢字に由来する表音文字を草書化した草仮名の、まとまった早い遺例の一つだからである。和歌に続いて、同じ巻物には書聖と仰がれた王羲之(303?~361?)の尺牘11通の臨書が収められている。このうち7通の内容は本作によってのみ今日に伝わり、表面は王羲之研究の資料としても重んじられている。

見どころ

まず目を引くのは色である。本作は染め分けた料紙を継いだ巻子で、白・藍・茶・黄・緑の濃淡が次々と移り変わる。色は和歌の趣に合わせて選ばれており、長い巻物を繰るうちに、その配色が静かな調子を生んでいく。

表と裏は、まるで異なる見方を求める。日本の表面はのびやかで、筆が字と字のあいだで離れきらない。中国の裏面はその逆で、唐の楷書が一字ずつ同じ落ち着いた重みで据えられている。両面を一つの物に見るとき、書く対象によって筆の動きがこれほど変わるのだということが、わずかな観察からも知れる。

書写から遥か後に加えられた小さな印にも注目したい。裏面の紙継ぎの箇所には、鎌倉期に伏見天皇が花押を据えている。同天皇が手元の別の名巻に行ったのと同じ所作であり、この巻物が皇室の手を渡り歩いた経緯をたどる手がかりとなる。

筆者については慎重でありたい。第一紙の和歌を小野道風、第二紙以下を藤原行成に帰す伝承があるが、いずれも確証はない。平安の書写年代そのものも10世紀から12世紀のあいだとされるにとどまる。これらの名は知っておく値打ちがあるものの、あくまで伝称であって事実とは異なる。

上野で訪ねる

本作は上野公園の東京国立博物館に所蔵されている。光に弱い料紙であるため、常時の展示ではなく、折にふれて公開される。同館は本館2階の専用の一室で国宝を一点ずつ公開し、数週間ごとに展示を替えている。秋萩帖がここに出る機会もそうした公開のなかにある。

訪問時に展示されていない場合でも、同館のデジタルアーカイブには表裏双方の高精細画像が公開されており、細部の筆遣いを見るにはむしろ適している。上野公園そのものも長く過ごすに足る場所で、博物館の他の展示室や、周辺に集まる国立の施設、広い園内の散策路が、いずれも数分の距離に収まっている。

Q&A

Qこの巻物は博物館でいつでも見られますか。
A常時の公開ではありません。傷みやすい紙の巻子のため、通年ではなく短い期間に限って、主に国宝公開の枠で展示されます。来館前に東京国立博物館の展示予定を確認し、実物が出ていない時期は同館の画像アーカイブをご利用ください。
Qなぜ一巻に国宝指定が二つあるのですか。
A表裏が別々の作品だからです。裏面の唐写本と表面の平安期の和歌は、時代も書き手も異なります。昭和32年に、同じ料紙を共有しながらも各面がそれぞれの価値で国宝に指定されました。
Q『淮南子』とはどんな書物で、なぜ兵略なのですか。
A『淮南子』は前漢の淮南王劉安のもとで編まれた、宇宙論から統治・倫理まで幅広く論じる思想書です。そのなかに軍事を扱う篇があり、本作にはその篇の本文と古い注釈の一部が写されています。
Q表面の和歌は誰が書いたのですか。
A筆者は確定していません。第一紙を小野道風、以降を藤原行成とする伝承がありますが、これらは古い伝称であって記録に裏づけられた事実ではなく、平安の書写年代も10~12世紀と広く推定されるにとどまります。
Q表面は中国の書としても重要なのですか。
Aはい。和歌に続いて、東アジアで最も尊ばれる書家・王羲之の尺牘の臨書が収められています。11通のうち7通は本作によってのみ伝わるため、日本の文字史だけでなく王羲之研究にとっても貴重です。

基本情報

名称准南鴻烈兵略間詁(紙背)/秋萩帖の裏面
指定国宝(昭和32年〔1957年〕2月19日指定)
種別書跡・典籍(裏面は中国・唐時代の書写)
形状巻子本1巻、縦約24.0センチ・全長約842.4センチ、染紙を継ぐ
内容裏面:『淮南子』兵略の篇の本文と注釈を写した唐写本/表面:草仮名の和歌約48首と王羲之尺牘11通の臨書
所有者独立行政法人国立文化財機構
所在東京国立博物館(東京都台東区上野公園13-9)
公開随時公開。展示の有無は同館の予定を要確認。画像は同機構のデジタルアーカイブで閲覧可

参考文献

最終更新日: 2026.06.11