消し跡を残したまま国宝となった草稿
全長は約11.3メートル、縦はわずか28センチほど。絵も金銀の装飾もなく、墨書の仮名が連綿と続くだけの巻物である。ところどころに墨で消した跡があり、書き直しや未完のまま放置された箇所も見える。この未整理の状態こそが、本作を国宝たらしめている。編纂の現場がそのまま紙面に残っているのである。
巻物が写しとめているのは「寛平御時后宮歌合(かんぴょうのおんとききさいのみやうたあわせ)」。宇多天皇の母である皇太后・班子女王が主催した歌合で、開催は寛平年間、おおむね889年から893年頃とされる。ただし東京国立博物館が所蔵するこの写本そのものは、歌合から150年以上のちの11世紀に書写されたものである。過去の歌合の記録を一書にまとめようとした、大がかりな編纂事業の一部であった。
歌合とは、左右二方に分かれて和歌を出し合い、判者が一番ごとに優劣を競う宮廷の遊びをいう。本作に収められた歌合は、春・夏・秋・冬・恋の五題について各20番、計200首を競う構成をとる。詠者には紀貫之・紀友則のほか、藤原興風や僧の素性など、当代を代表する歌人の名が並ぶ。
国宝指定の理由と価値
指定は昭和27年(1952年)3月29日。その価値は、まず記録されている歌合そのものの古さにある。寛平御時后宮歌合は、記録の残る歌合としては在民部卿家歌合に次いで古い部類に入る。この時期の和歌資料がまとまった形で残ること自体まれであり、貫之らの名を含む200首の歌合は、最初の勅撰集が編まれる以前の宮廷和歌のありようを知る一次資料となっている。
内容は文学史の結節点にも位置する。所収歌のうちおよそ170首が『新撰万葉集』に採録されており、両者の編纂が密接に関わっていたことが指摘されてきた。歌合の各歌が、和漢の歌を対置するこの異色の歌集とどう連動したのか。寛平御時后宮歌合は、古典和歌の骨格が形づくられていく過程に深く食い込んでいる。
本巻は「十巻本歌合」の巻四に属していた。十巻本歌合とは、過去46度の歌合の記録を十巻に集成しようとした編纂物である。企図したのは平等院鳳凰堂を造営した関白・藤原頼通(992〜1074)で、完成を見ぬまま没したため清書本は作られず、草稿のまま後世に残された。収録された歌合の最も新しいものが天喜4年(1056)であることから、本作の書写は11世紀半ばに置かれる。
筆致もまた評価を支える。本作の仮名は、和様書道の到達点と仰がれる「高野切」につらなる格調をそなえ、十巻本歌合のうちには高野切の筆者の手による箇所もあるとされる。校訂の書き入れがありながら、線は終始ゆるまず、流麗で品位を失わない。
巻物の見どころ
まず目をひくのは仮名そのものである。歌はほぼすべて、丸みをおびた草体の女手で書かれている。字形はやや縦長に引き締まり、同じ文字や連綿の繰り返しが随所にあらわれる。線は細いが筆力があり、運びの呼吸が乱れない。
そして、いわば欠点が見どころに転じる。清書ではなく草稿であるがゆえに、書き手の校訂作業が紙面にむき出しのまま残されている。墨で消された箇所がある。上の句だけを記して下の句を欠いた歌がある。一番のうち右の歌だけがあって左の歌が抜けている所もある。巻を追って読み進めると、異本を見比べ、判断を保留したままの編者の手つきが見えてくる。
歌は一首を二行に分けて書く体裁をとり、その整然とした並びが、かえって訂正の跡をきわだたせる。伝称筆者をめぐる謎も興味深い。慣例として筆者は宗尊親王(1242〜74)に擬せられているが、鎌倉時代の人であるこの親王より、本作は二世紀近く古い。この名は、後世に付された敬称的な伝えと見るのが穏当だろう。
鑑賞と周辺の楽しみ
本作は上野公園の東京国立博物館が所蔵する。料紙の傷みを避けるため常設展示はされず、数年に一度ほど同館の国宝室に姿を見せる。2022年の開館150年記念特別展にも出品された。原本を目当てに訪ねる場合は、展示替えの間隔が長いため、事前に展示スケジュールを確認しておきたい。
展示されていない時期でも、同館の収蔵品は豊かである。本館では平安期の仮名や古筆、絵巻が随時入れ替えで公開されており、書の展示室はこうした筆致に目を慣らすのに適している。国立文化財機構は本作の高精細画像をe国宝で公開しており、一行ごとの細部を手元で精読することもできる。
上野公園そのものも、ゆっくり歩く値打ちがある。東京国立博物館を起点に、国立科学博物館や東京都美術館といった施設が集まり、園内の小道や池、季節の桜が、周辺一帯を独立した目的地にしている。
Q&A
- 東京国立博物館に行けば必ず見られますか。
- いいえ。光に弱い紙の写本のため公開はまれで、数年に一度ほど国宝室に展示される程度です。来館前に展示予定をご確認のうえ、展示がない時期はe国宝の高精細画像をご利用ください。
- この巻物は歌合と同じ時代のものですか。
- いいえ。歌合の開催は889〜893年頃ですが、この写本が書かれたのは11世紀半ば、約150年のちです。過去の歌合を集成する編纂事業のなかで、後世に書き写された記録にあたります。
- 本当に宗尊親王が書いたのですか。
- その可能性は低いとされます。筆者は慣例で宗尊親王(1242〜74)に擬せられますが、本作は11世紀の制作で、親王より前のものです。伝称筆者は後世に付された伝えと理解されています。
- なぜ消し跡や未完の箇所があるのですか。
- 清書ではなく草稿だからです。属していた十巻本歌合は清書本が作られないまま伝わったため、編者の訂正や書き落とし、欠落がそのまま残りました。その未整理ぶりが、かえって本作の価値の一部となっています。
- そもそも歌合とは何ですか。
- 左右二方に分かれて和歌を出し合い、判者が一番ごとに優劣を比べる宮廷の遊びです。本作の歌合は春・夏・秋・冬・恋の五題にわたり、計200首が競われました。
基本情報
| 名称 | 寛平御時后宮歌合(十巻本)/かんぴょうのおんとききさいのみやうたあわせ |
|---|---|
| 種別 | 書跡・典籍(国宝) |
| 指定年月日 | 昭和27年(1952年)3月29日 |
| 員数 | 1巻(巻子本) |
| 品質・形状 | 紙本墨書 |
| 寸法 | 約28.0×1133.2センチ |
| 時代 | 平安時代・11世紀 |
| 伝称筆者 | 伝・宗尊親王(1242〜1274) |
| 所在地 | 東京国立博物館 東京都台東区上野公園13-9 |
| 所有者 | 独立行政法人国立文化財機構 |
| 公開状況 | 常設展示なし。国宝室などで数年に一度ほど公開 |
References
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/599
- e国宝(国立文化財機構) 寛平御時后宮歌合(十巻本)
- https://emuseum.nich.go.jp/detail?langId=ja&content_base_id=100161&content_part_id=0&content_pict_id=0
- 文化遺産オンライン(NII) 寛平御時后宮歌合
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/419955
最終更新日: 2026.06.12