元永三年の奥書を持つ和歌集

平安時代のかな書の名品は、書写の年も筆者も記さずに残されたものが多い。この一本は年記を持つ。上巻の末尾に、本文と同じ筆跡で「元永三年七月廿四日」と書き入れられており、これは西暦一一二〇年にあたる。この一行があるために本書は「元永本」と呼ばれ、年記を欠く他の平安朝のかな書を年代づける際の、数少ない定点のひとつとなっている。

本書は『古今和歌集』の写本である。『古今和歌集』は醍醐天皇の命によって延喜五年(九〇五年)に編纂が始まった日本最初の勅撰和歌集で、仮名序と全二十巻にわたり千首あまりの和歌を収める。平安時代の写本は三十数種が現存するが、仮名序と二十巻すべてが完全にそろうのは、この一本だけである。形は上下二帖の冊子本で、当時の上等な書物に用いられた綴葉装(てっちょうそう)で綴じられ、もとの姿をよく保っている。

学者が日々ひもとく実用の本ではない。貴族のあいだで贈答するために作られ、読むと同時に見て味わうことを目的とした調度手本(ちょうどてほん)である。

国宝に指定された理由

本書は昭和二十六年(一九五一年)六月九日に国宝に指定された。その価値は一つではない。本文としては『古今和歌集』の現存最古の完本であり、この歌集はのちの宮廷和歌の語彙や約束事を長く方向づけた。年記を持つ遺品としては、書写年の記されたかな書がきわめて少ない平安書道史のなかで、確かな定点となる。そして書そのものとして、かな書道の頂点に位置する。

誰の筆かという問いは、整った仕上がりの印象ほど明快ではない。古くは、筆者は歌人の源俊頼とされてきた。しかし書風から判断して、現在は藤原定実の筆とする見方が有力である。定実は十一世紀後半から十二世紀初頭に活動した能書で、和様の書を大成した三蹟の一人、藤原行成(こうぜい)の曾孫にあたる。この比定はあくまで有力な推定であって、確定した事実ではない。基本情報には両説を併記した。

歌とともに料紙を見る

まず目を向けたいのは文字ではなく、その下の紙面である。各葉は和製の唐紙(からかみ)、すなわち中国風に装飾した料紙である。地は紫、赤、緑、黄、茶、白に染め分けられ、その上に唐草・七宝(しっぽう)・菱・亀甲といった大陸由来の型文様を、雲母(きら)で摺り出す。雲母の文様は正面からはほとんど見えず、斜めから光が当たったときに、かすかな光沢となって浮かび上がる。

装飾はそれだけにとどまらない。金銀の切箔(きりはく)や砂子(すなご)、細い野毛(のげ)が紙面に撒かれ、紙背にも同じ手が加えられている。和歌はこのすべての上に書かれる。書き手は一首を二、三行に書き、ときに散らし書きとし、流れるかなに漢字を交え、下の文様に応じて筆の太細を変えた。料紙と書とは、一つの意匠としてともに構成されている。

近くで見ると、その効果は華やかというより静かである。金は少しずつ姿を見せ、色は溶いた貝の粉を引いた下地によって抑えられ、目は装飾に止められるのではなく、歌の流れに沿って導かれる。

上野で観るために

本書は上野公園の東京国立博物館が所蔵する。同時代の紙に書かれた墨書と同じく光に弱く、常設では公開されていない。展示は入れ替え制で、年始の前後に出されることが多い。二帖のうち一帖が出され、会期の途中で開く頁が改められる。実際に出ているかどうかは、訪れる前に博物館の展示予定を確かめるのが確実である。

本書が収蔵庫に戻っているときも、本館の日本ギャラリーではかな書や平安期の作品が入れ替えで並び、広い敷地はゆっくり歩く価値がある。上野公園には都内有数の収蔵施設が徒歩圏に集まっており、この一冊を目当てに組んだ一日は、たとえ本書が休んでいても無駄になりにくい。

Q&A

Qいつでも実物を見られますか。
Aいいえ。色を染めた料紙と墨は光に弱いため、公開は限られた期間に限られ、年始の前後に出されることが多くあります。訪問の前に東京国立博物館の予定をご確認ください。
Q上下どちらの帖が展示されますか。
A会期ごとに上帖か下帖のいずれかが選ばれ、開かれた頁も会期の途中で改められるのが通例です。時期を変えて訪ねると、別の見開きに出会えます。
Q実際に書いたのは誰ですか。
A古くは歌人の源俊頼とされてきましたが、書風から、現在は名手藤原行成の子孫にあたる藤原定実の筆とする説が有力です。
Q他の写本より重んじられるのはなぜですか。
A三十数種ある平安期の『古今和歌集』写本のうち、仮名序と二十巻すべてがそろうのは本書だけで、一一二〇年という年記も時代の確かな基準となるためです。
Q周辺に見どころはありますか。
A東京国立博物館は上野公園のなかにあり、都内有数の美術館や博物館が徒歩圏に集まっています。周辺を合わせて一日の予定を組みやすい立地です。

基本情報

名称古今和歌集(彩牋)(元永本)
種別書跡・典籍
指定国宝(昭和二十六年〔一九五一年〕六月九日指定)
時代平安時代・元永三年(一一二〇年)の奥書
形状上下二帖、綴葉装の冊子本、彩牋に墨書
筆者藤原定実とする説が有力(伝称筆者は源俊頼)
所在地東京国立博物館 東京都台東区上野公園13-9
所有者独立行政法人国立文化財機構
公開常設展示はなく、入れ替えで公開。年始の前後が多い

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/558
e国宝 古今和歌集(元永本) 国立文化財機構
https://emuseum.nich.go.jp/detail?langId=ja&content_base_id=100171
文化遺産オンライン(国立情報学研究所) 古今和歌集(元永本)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/439265
東京国立博物館 展示作品ページ
https://www.tnm.jp/modules/r_exhibition/index.php?controller=item&id=7551&lang=ja

最終更新日: 2026.06.13