八巻のうち、いま伝わるのは二巻のみ

「竹生島経」と通称されるこの写経は、本来は法華経八巻を一巻ごとに書写した一具であった。現在まで残るのは、東京国立博物館が所蔵する「方便品」一巻と、竹生島宝厳寺に伝来した「序品」一帖のみで、いずれももとは巻第一に含まれていた部分である。八巻のうち他の巻はすでに失われ、第一巻も伝来の途次に分断されたと考えられている。

東博本にあたる「方便品」は、序品に続く法華経第二品である。巻末の尾題に「妙法蓮華経巻第一」とあることから、一巻経として巻ごとに分担書写されたことがうかがえる。名称は、琵琶湖に浮かぶ竹生島の宝厳寺に長く伝わったことに由来し、制作地そのものを示すものではない。

素紙に金泥で界線を引き、蝶・鳥・草花のほか宝相華や霊芝雲などの文様を金銀泥で大らかに下絵として描き、その上に経文を墨書する。料紙装飾を主体とする装飾経のなかでも、下絵の意匠には古い特徴がみとめられ、写経料紙の研究上も早い作例として注目されてきた。

国宝としての位置づけ

本品は昭和29年(1954)3月20日に国宝に指定された。指定名称は「法華経方便品〈(竹生島経)〉」、員数は1巻である。装飾経というと平安末期、仁安2年(1167)の平家納経に代表される絢爛な作例が想起されるが、竹生島経はそれに先行し、意匠もはるかに簡素である。

経文には均整のとれた和様完成期の書風がみとめられ、制作は11世紀と考えられている。金銀泥下絵には10世紀に遡りうる類例も指摘され、絹地や綾地に白居易の詩を書写した断簡(宮内庁三の丸尚蔵館の「七徳舞」など)や色紙形との類似が論じられてきた。後世に流行する一品経や中尊寺経の系譜とは別に、装飾経の初期を代表する名品と評価される。

巻末には、寛永の三筆の一人として知られる松花堂昭乗(1584―1639)が、源俊房(1035―1121)の筆と鑑定した識語が加えられている。ただしその確証はなく、筆者の比定は鑑定上の見解として扱うのが穏当である。

見どころ

実見すると、下絵は図様としては大ぶりで、余白を広くとった配置が和歌集の調度手本に近い。金界が経文の行を引き締め、その奥に鳥や草花がゆるやかに散る構成を、料紙の隅々まで追ってみたい。

銀を用いた箇所は経年で酸化し、いまは黒ずんで見える。制作当初は金と同じく銀色に輝き、灯火のもとで料紙全体が照り映えていたはずである。黒く沈んだ銀をかつての銀色に読み替えることが、この経巻を当初の姿で捉える手がかりになる。

紙の作品であるため光に弱く、常設で展示されることはなく、書跡・典籍の展示室で随時公開される。観覧を目的に訪れる場合は、東京国立博物館の展示替え情報を事前に確認しておきたい。

Q&A

Qなぜ「竹生島経」と呼ばれるのですか。
A琵琶湖の竹生島にある宝厳寺に長く伝来したことによる通称です。制作地ではなく伝来地に由来します。
Q残る一巻はどこにありますか。
A宝厳寺所蔵の「序品」一帖で、現在は奈良国立博物館に寄託されています。八巻のうち他の巻は伝わっていません。
Q平家納経などの装飾経とどう違うのですか。
A竹生島経はそれらに先立つ早い作例で、金銀泥の下絵も大ぶりで簡素です。装飾経の初期段階を示す点に価値があります。
Q本当に源俊房の筆ですか。
A巻末の松花堂昭乗の識語による比定で、確証はありません。筆者は未詳とするのが妥当です。
Qいつでも展示されていますか。
A紙の作品で光に弱いため、限られた期間のみ公開されます。東京国立博物館の展示予定をご確認ください。

基本情報

名称法華経方便品〈(竹生島経)〉
所在地東京国立博物館 東京都台東区上野公園13-9
指定区分国宝(書跡・典籍)
国宝指定年月日1954年(昭和29)3月20日
員数1巻
時代平安時代・11世紀
所有者独立行政法人国立文化財機構
公開随時展示(常設ではない)。展示替え情報を要確認

参考文献

e国宝(国立文化財機構) 法華経方便品(竹生島経)
https://emuseum.nich.go.jp/detail?langId=ja&content_base_id=100163&content_part_id=0&content_pict_id=0
文化遺産オンライン(文化庁) 法華経 方便品(竹生島経)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/507004
国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/706

最終更新日: 2026.06.22