栄花物語 ― 平安宮廷を描いた歴史物語、その最古の写本
東京国立博物館が所蔵する数多の文化財のなかに、鎌倉時代に書写された十七帖の冊子があります。藤原道長を中心に平安宮廷の栄華を描いた長編歴史物語『栄花物語』の、現存最古の写本として知られる国宝です。平安文化に関心を寄せる方、藤原摂関家の歴史に興味のある方、あるいは日本古典文学の源流に触れたい方にとって、本書は千年近くにわたり受け継がれてきた言葉の営みに直接向き合える、またとない文化財です。
歴史的背景
『栄花物語』は平安時代後期に仮名で書かれた編年体の歴史物語です。正編三十巻と続編十巻を合わせて全四十巻に及ぶ大作で、正編の作者は古くから赤染衛門とされてきました。赤染衛門は歌人平兼盛の娘で、当代一流の学者大江匡衡の妻、さらに藤原道長の正室である源倫子に仕えた女性で、宮廷の歴史を間近で見聞きできる立場にありました。続編の作者については出羽弁や周防内侍といった名が挙げられますが確証はなく、宮廷に仕えた複数の女性によって書き継がれたと考える説もあります。
物語は、宇多天皇の治世から堀河天皇の治世に至るおよそ二百年間の宮廷史を扱います。中心に据えられるのは、娘たちを次々に入内させ天皇の外戚として権勢をきわめた藤原道長の姿です。「この世をばわが世とぞ思ふ」と詠んだと伝えられる道長の栄華と、その周辺の貴族社会の営みが、年中行事・儀式・服飾・歌合といった詳細とともに描かれます。正編は道長の没後ほどない一〇三〇年ごろ、続編は一一〇〇年前後の成立と考えられています。
東京国立博物館が所蔵する本書は、そうした『栄花物語』の現存最古の写本です。大型本十帖と枡型本七帖、二種の書写が取り合わされて一部十七帖となっており、大型本は鎌倉時代中期、枡型本は鎌倉時代初期の書写とみられます。両者はいずれも、古典籍の保存と研究に深く関わった三条西家に伝来しました。室町時代の公卿・文化人である三条西実隆は、日記『実隆公記』永正六年(一五〇九)十一月四日・八日の条に、本書十七冊を代金百疋で入手した旨を書き留めており、本写本は五百年以上前から所在が明確に記録された稀有な典籍です。
国宝指定の理由
本書は昭和三十年(一九五五)二月二日に国宝に指定され、わが国最上級の文化財として位置づけられています。その価値は複数の観点から認められています。
第一に、『栄花物語』の現存する写本のなかで最も古いものであるという点です。『栄花物語』の諸本は古本系・流布本系・異本系の三系統に分類されますが、本書はそのうち古本系の最古写本にあたります。原本により近い姿を伝えるという意味で、本文研究の基礎となる存在です。
第二に、本書は鎌倉時代の二時期にわたる書写を一部にまとめた形を取っており、書風や料紙、装訂などの観点から、貴族社会における古典籍の書写と伝来のあり方を複合的に示す資料となっています。大型本と枡型本という二種の形態を一部とする点も、古典籍としてとくに興味深い構成です。
第三に、三条西家伝来という確かな来歴と、『実隆公記』に記録された購入の事実により、五百年以上にわたる所蔵の履歴が明らかな点も評価されています。古典文学の写本でこれほど来歴が追える例は多くありません。
魅力と見どころ
本書の魅力は、古さや格式だけにとどまりません。紙に墨で書かれた流麗な仮名は、平安から鎌倉へと受け継がれた王朝文化の書の美を今に伝え、各丁には写された書写生たちの真摯な姿勢がうかがえます。
大型本は縦三〇・七センチメートル、横二四・五センチメートル前後と、堂々とした寸法を持ち、重厚な読書に供されたことを想わせます。一方、枡型本は縦一六・三センチメートル、横一四・九センチメートル前後と、手に取りやすい親密な大きさです。大きさの異なる二種の写本が一部に組み合わされている点も、中世日本における古典籍の多様な作りを物語る貴重な例です。
『栄花物語』の本文そのものにも見どころがあります。年中行事や宮中儀式、服飾、法会、婚姻、葬送、歌合など、一〇〇〇年前後の貴族社会の日常を生き生きと伝える描写が随所にあり、史実の書き替えや順序の改変を含みながらも、平安宮廷の風俗史資料としてきわめて重要です。道長やその娘たちに関する挿話、人物の容姿や性格の描写など、物語らしい彩りも豊かに盛り込まれています。
なお本書は紙本の文化財であるため、常時展示されているわけではなく、特別な機会に公開されます。ご覧になりたい方は、事前に東京国立博物館の展示スケジュールをご確認ください。
来館のご案内
本書は独立行政法人国立文化財機構の所蔵品として、東京国立博物館に所蔵されています。東京国立博物館は東京都台東区上野公園十三番九号に所在し、日本最古の博物館としても知られます。JR山手線・京浜東北線の上野駅公園口から徒歩約十分、東京メトロ銀座線・日比谷線の上野駅からも徒歩圏内です。京成上野駅からも歩いて訪れることができます。
博物館は複数の展示館で構成されており、日本の美術・考古資料は主に本館で紹介されます。書跡・古筆などの紙本資料は、損傷を防ぐため温湿度管理の行き届いた展示ケースで公開されます。本館・東洋館・法隆寺宝物館・平成館などを合わせて巡るには、半日から一日をかけてゆっくりと鑑賞されることをおすすめします。
多言語対応の解説や音声ガイドも整備されており、ミュージアムショップでは『栄花物語』をはじめ古典文学に関する書籍も取り扱っていますので、ご関心のある方はぜひお立ち寄りください。
周辺情報
東京国立博物館を擁する上野公園は、都心屈指の文化的エリアです。周辺には見応えのある施設が集まっており、一日を通じて豊かな時間を過ごすことができます。
- 国立西洋美術館:モネやロダンなどヨーロッパ近代美術の名品が揃います。世界遺産にも登録されています。
- 国立科学博物館:日本列島の自然史を中心とした展示が充実し、幅広い世代が楽しめます。
- 上野東照宮:徳川家康公を祀る江戸時代初期の神社で、金色の唐門など華麗な社殿が見どころです。
- 寛永寺:徳川将軍家ゆかりの天台宗寺院で、江戸の宗教文化を今に伝えています。
- 不忍池:夏には蓮の花が咲き、散策に最適な静かな憩いの場となります。
- アメヤ横丁:上野駅南側に広がる商店街で、食べ歩きや土産物探しを気軽に楽しめます。
平安時代の宮廷文化により深く触れたい方は、物語の舞台となった京都を併せて訪れるのもおすすめです。東京で本書に対面し、京都で物語の舞台を歩く旅は、平安の世界を立体的に体感できる、またとない機会となることでしょう。
Q&A
- 『栄花物語』とはどのような作品ですか。
- 平安時代後期に仮名で書かれた編年体の歴史物語で、宇多天皇から堀河天皇までおよそ二百年間の宮廷史を描いた作品です。藤原道長の栄華を中心に据える点に特色があり、正編三十巻と続編十巻、計四十巻からなります。
- 『栄花物語』の作者は誰ですか。
- 正編三十巻は、古くから歌人の赤染衛門が著したと伝えられています。続編十巻については、出羽弁や周防内侍など複数の女房の名が挙げられていますが確定しておらず、宮廷に仕えた複数の女性によって書き継がれた可能性も指摘されています。
- 本書はいつも見学できますか。
- いいえ、紙本の文化財のため、保存の観点から常設展示ではなく、特別展や企画展などの機会に公開されます。ご来館の際は、東京国立博物館の展示スケジュールを事前にご確認ください。
- なぜ「最古の写本」と呼ばれるのですか。
- 『栄花物語』の原本は現存しておらず、中世以降に数多くの写本が作られてきました。そのなかで、鎌倉時代前期から中期にかけて書写された本書は、現存する写本のうち最も古いものと位置づけられています。
- 見学前に何を知っておくと良いですか。
- 『栄花物語』の抜粋現代語訳や、平安貴族社会の概説書を一読しておくと理解が深まります。特に藤原道長とその娘たち、摂関政治の仕組みについてのごく簡単な知識があると、物語の魅力がより鮮やかに感じられるでしょう。
基本情報
| 名称 | 栄花物語(えいがものがたり) |
|---|---|
| 指定区分 | 国宝(美術工芸品・書跡典籍) |
| 指定年月日 | 昭和三十年(一九五五)二月二日 |
| 員数 | 十七帖(大型本十帖、枡型本七帖) |
| 法量 | 大型本:各縦約三〇・七センチメートル、横約二四・五センチメートル/枡型本:各縦約一六・三センチメートル、横約一四・九センチメートル |
| 材質・技法 | 紙本墨書 |
| 時代 | 鎌倉時代(大型本は鎌倉中期、枡型本は鎌倉初期の書写) |
| 伝来 | 三条西家伝来。永正六年(一五〇九)に三条西実隆が入手した記録あり(『実隆公記』による) |
| 所有者 | 独立行政法人国立文化財機構 |
| 所在地 | 東京国立博物館 東京都台東区上野公園十三番九号 |
参考文献
- 栄花物語 — 文化遺産オンライン(文化庁)
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/192943
- e国宝:栄花物語(国立文化財機構)
- https://emuseum.nich.go.jp/detail?langId=ja&content_base_id=100010&content_part_id=000&content_pict_id=0
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/719
- 東京国立博物館 公式サイト
- https://www.tnm.jp/
最終更新日: 2026.04.23