リベット留めの鉄骨が支える無柱の大空間
墨田区立言問小学校講堂は、東京都墨田区向島五丁目にある昭和11年(1936年)建設の講堂で、令和5年(2023年)2月27日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。
同じ敷地には同年建設の校舎が建ち、こちらも同日に登録されている。地域の人々は二棟を切り離しては見ていなかった。どちらも真っ白に塗られ、下町に鉄筋コンクリートの建物が現れること自体が話題になった時代に、二棟まとめて「白亜の殿堂」と呼ばれるようになった。
文化庁の登録では、構造は鉄筋コンクリート造2階建、建築面積508平方メートルとされる。数字が伝えないのは内部である。講堂の天井は鉄骨トラスで支えられており、その下の床には柱が一本も立たない。開校初年度に1,041人を数えた全校児童を一度に収められる、途切れのない一室がそこにある。
鉄骨はトラスだけではない。溶接ではなくリベットで留められた太い鉄骨柱が、壁の内側に立てられ、外からはほとんど見えない位置に隠されている。この種のリベット留めと重い断面は、関東大震災(1923年)の後に東京が公共建築を建て直したときの技術文化に属するものだ。復興事業そのものは、この講堂が建つころには一区切りついていた。それでも柱はその作法を保っており、文化庁の解説はこの点を震災復興の影響が見て取れる箇所として挙げている。
資料の表記について一点補足しておく。登録データの「構造及び形式等」欄は鉄筋コンクリート造2階建と記す一方、同じ文化庁の解説文は鉄骨造陸屋根と記述している。墨田区の説明は、鉄筋コンクリート造2階建の講堂で天井を鉄骨トラスが支えるという形で両者を整理している。資料を読み比べる際には、この表記の差を念頭に置きたい。
登録の理由
令和4年(2022年)11月18日に文化審議会が登録を答申し、令和5年2月27日の官報告示で正式に決まった。登録番号は13-0477で、校舎の13-0476に続く番号である。第104回の登録。適用された登録基準は「造形の規範となっているもの」。
制度上の位置づけは混同されやすい。登録有形文化財は、重要文化財よりも、国宝よりも下位の枠組みである。平成8年(1996年)に設けられた制度で、建築後およそ50年を経て現に使われている建造物を対象とし、規制は意図的にゆるやかに設計されている。学校の講堂が学校の講堂であり続けられるのは、そのためだ。言問小学校講堂は登録であり、指定ではない。
評価されたのは組み合わせである。外に向けては、インターナショナルスタイルの平明な言葉づかいが見える。陸屋根、装飾のない白い壁面、そして水平に連なる窓、墨田区が校舎と共通する意匠の特徴として挙げる連窓である。同じ建物の内側は、リベット留めの重厚な構造技術の塊で、溶接が普及しつつあった昭和11年の時点ではすでに古びはじめていた工法にあたる。近代的な外皮の下に、震災期の骨組みが入っている。
戦前期のこうした学校講堂はかつて各都市にあり、いまは数少ない。戦後の学校施設の建て替えでその大半が姿を消したからだ。言問小学校の講堂が残ったのには理由がある。昭和20年(1945年)3月の東京大空襲は当時の本所区の小学校の大半を焼いたが、この敷地は焼失を免れ、建物は十分に健全と判断されて使い続けられた。墨田区は、現役の小学校の登録は都内で2例目、当時の東京市域に建つ建造物としては初と説明している。
講堂という部屋と、その見方
内部のあり方はすべてトラスから導かれる。柱を抜けば、全校児童が一度に入れる部屋ができる。講堂とはそのための建物だ。4月の入学式、3月の卒業式、全校集会、校庭が使えない日の屋内活動。同じ鉄骨の下で、90年近くそれが繰り返されてきた。
水平の連窓は光の入り方を変える。開口が個々の穴としてではなく連続した線として並ぶため、午後の日射しは点在する明るみではなく、床を横切る長い縞になって入る。控えめだが意図された効果であり、外観が内部について語っている最も分かりやすい手がかりでもある。
開校当時、この建物は目的にふさわしい設備を備えていた。昭和11年に学校が新たにそろえた道具のなかにはグランドピアノがあり、ほかに電動のこぎり、ミシン、校内に配管された蒸気暖房があった。すべてが残ったわけではない。学校の沿革は、戦時中にスチーム暖房機と階段手すりの飾りが金属として供出されたこと、大きく明るい建物は空襲の目標になりやすいため白い壁が地味な色に塗り替えられたことを記している。開校から15年後の昭和27年(1952年)2月1日、学校は現在も歌い継ぐ校歌を制定した。作詞は勝承夫、作曲は平井保喜による。
実際的な制約は明確である。言問小学校は令和7年(2025年)4月時点で9学級208人が学ぶ現役の公立小学校で、講堂は今も日々使われている。拝観料も公開時間も一般見学の受付もなく、内部と敷地は非公開である。できるのは、敷地周辺の公道から外観を眺めることと、そこから撮影することだけだ。児童が写り込まないよう注意したい。
最寄りは東武スカイツリーライン曳舟駅から徒歩約10分、京成押上線京成曳舟駅から徒歩約15分。周辺を歩くこと自体に価値がある。この講堂が建った当時の向島は現役の花街で、その一部はいまも続いている。数分西へ行けば隅田川と言問橋。向島二丁目のすみだ郷土文化資料館では、この建物を形づくった復興期を含め、地域の歴史をきちんと追える。南に立つ東京スカイツリーは方角の目印になる。
校名の由来は、在原業平に帰される和歌にある。隅田川のほとりで旅人が都鳥に、思う人の消息を尋ねるという歌だ。昭和37年(1962年)制定の校章は、隅田川堤の桜にその鳥を配している。鉄骨トラスの下で、子どもたちは長いあいだその鳥のことを歌ってきた。
Q&A
- 墨田区立言問小学校講堂は見学できますか。内部を見ることはできますか。
- 内部は見学できません。墨田区立言問小学校講堂は現役の公立小学校の施設で、児童が日常的に使用しています。拝観料や公開時間、一般見学の受付はなく、内部と敷地は非公開です。敷地周辺の公道から外観を眺めることはできます。
- 墨田区立言問小学校講堂の構造はどうなっていますか。
- 文化庁の登録では鉄筋コンクリート造2階建、建築面積508平方メートルとされています。講堂の天井は鉄骨トラスで支えられ、床面に柱が立たない大空間になっており、壁の内側にはリベット留めの太い鉄骨柱があります。なお文化庁の解説文は鉄骨造陸屋根と記述しており、登録欄と解説文とで表記が異なります。
- 墨田区立言問小学校講堂に震災復興の影響が見られるのはなぜですか。
- リベット留めの太い鉄骨柱が、関東大震災(1923年)の後に東京の公共建築で採られた工法を引き継いでいるためです。この講堂が建った昭和11年は復興事業が一区切りついた後にあたり、文化庁は柱を、その方法が後の建物にも受け継がれたことを示す箇所として解説しています。
- 墨田区立言問小学校講堂は重要文化財ですか。
- 重要文化財ではありません。登録有形文化財(建造物)です。国宝、重要文化財、登録有形文化財という三つの区分のうち最も規制のゆるやかな枠組みで、建築後およそ50年を経て使われ続けている建物を対象とし、所有者に修理や活用の自由を広く残します。
- 墨田区立言問小学校講堂の所在地と行き方を教えてください。
- 東京都墨田区向島五丁目40、同じく登録有形文化財である校舎と同一の敷地内にあります。東武スカイツリーライン曳舟駅から徒歩約10分、京成押上線京成曳舟駅から徒歩約15分です。
基本情報
| 名称 | 墨田区立言問小学校講堂(すみだくりつことといしょうがっこうこうどう) |
|---|---|
| 所在地 | 東京都墨田区向島五丁目40 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物)/登録基準「造形の規範となっているもの」/登録番号 13-0477 |
| 指定年 | 令和5年(2023年)2月27日登録(第104回登録) |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 鉄筋コンクリート造2階建、建築面積508平方メートル。昭和11年(1936年)建設。天井は鉄骨トラス |
| 所有者 | 墨田区 |
| 公開状況 | 非公開。現役の小学校が日常的に使用中。内部および敷地は一般公開なし。外観は周辺公道から見学可 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)/墨田区立言問小学校講堂
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00014461
- 文化遺産オンライン/墨田区立言問小学校講堂
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/558065
- 墨田区/墨田区立言問小学校の校舎と講堂が国の登録文化財になりました
- https://www.city.sumida.lg.jp/kosodate_kyouiku/tiiki_kyouiku_shien/bunkazai_hogo/bunkazai_itiran/new_shoukai/kototoishou_toushin.html
- 言問小学校ホームページ/言問小歴史絵巻
- https://www.sumida.ed.jp/kototoisho/shokai/rekishi.html
- 言問小学校ホームページ/交通アクセス
- https://www.sumida.ed.jp/kototoisho/shokai/access.html
最終更新日: 2026.08.22