花街の隣に建った昭和11年の校舎

墨田区立言問小学校校舎は、東京都墨田区向島五丁目にある昭和11年(1936年)竣工の鉄筋コンクリート造3階建校舎で、令和5年(2023年)2月27日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。

建設の理由は単純で、近隣の学校が足りなくなったからである。この一帯の子どもたちは小梅小学校か、現在の本所高校のあたりにあった牛島小学校へ通っていたが、昭和のはじめには児童数が増えて両校とも教室が不足した。そこで本所区が三校目を建てることを決めた。当時の墨田区域は東京市の本所区と向島区に分かれており、両区が合併して墨田区になるのは昭和22年(1947年)のことである。所有者はその墨田区が引き継いでいる。

敷地は、実業家の和田豊治(1861年生、1924年没)の向島の屋敷跡だった。学校が自ら記す沿革では「カネボウの重役」と紹介される人物で、鐘淵紡績の向島工場に勤めた後、富士瓦斯紡績の社長を務めた。毎春、向島の自邸で観桜の園遊会を開き、当時の財界人が集ったことが記録映像に残る。和田の没後、屋敷は静岡へ移築され、その跡地に十数年を経て校舎が建つことになった。

工事にクレーンはない。作業のほとんどが人力で進められた。

言問小学校が開校したのは昭和12年(1937年)2月1日。牛島小学校と小梅小学校の一部から児童が移り、各学年およそ4学級、全校で1,041人という規模だった。卒業間近の6年生は元の学校に残っている。校内には電動のこぎり、ミシン、グランドピアノがそろい、蒸気を各教室へ送るスチーム暖房も備えていた。校庭は当時の東京市の小学校としては広く、自校で運動会を開けることが評判になり、見学者が集まったという。

地域の人々はこの建物を「白亜の殿堂」と呼んだ。関東大震災(1923年)からわずか13年、焼け野原になった土地に、火にも地震にも強い真っ白な鉄筋コンクリートの校舎が現れたのだから、その呼び名は自然だった。

建物が失われかけた夜がある。昭和20年(1945年)3月9日から10日にかけての東京大空襲では、軍需工場の集まる本所区に爆弾が集中した。学校の沿革によれば、区内の小学校のうち焼失を免れたのは小梅小と言問小だけだったという。言問小の初年度の教室を埋めた牛島小学校は校舎を焼かれ、そのまま廃校となった。焼け残った言問小は授業を続け、校舎を失った他校に教室を貸している。

登録の理由と、この校舎が持つ価値

登録は令和5年2月27日の官報告示による。前年の令和4年11月18日に文化審議会が文部科学大臣へ答申し、告示をもって正式に決まった。登録番号は13-0476、第104回の登録である。文化庁が適用した登録基準は「造形の規範となっているもの」。

制度の位置づけを整理しておきたい。登録有形文化財は、重要文化財とも国宝とも別の枠組みである。平成8年(1996年)に導入された制度で、建築後およそ50年を経て現に使われ続けている建造物を対象とし、所有者は改修や活用の自由を比較的広く残される。重要文化財や国宝の指定は、これに比べてはるかに厳しい現状変更の規制を伴う。言問小学校校舎は登録であって指定ではない。その違いこそが、この建物が今も現役の学校であり続けられる理由である。

意匠はインターナショナルスタイルと呼ばれるもので、装飾を排した白い壁面、水平に連なる大きな窓、歴史様式の引用を一切持たない外観にそれが表れる。鉄筋コンクリート造3階建、建築面積1,554平方メートル。この種の学校建築は大正から昭和初期にかけて各地に建てられたが、その多くはすでに建て替えられた。ここに残るのは、完全な形で、しかも使われ続けている実例である。

より珍しいのは平面のほうだ。この校舎の窓の配置は、当時の地域社会との交渉の記録として読める。昭和初期の向島は花街として賑わっており、周辺住民からは教育の場として不適格だという陳情も出ていた。設計はその指摘に建築で答えている。廊下の窓は高い位置に上げられ、街路側の1階昇降口は目線の高さではなく高窓から採光する。花街に背を向けた校庭側は、逆に大きな窓を並べて開放的につくられた。校門、校庭、校舎の配置も同じ考え方で決められている。社会的な折り合いがこれほどはっきり開口部に残る建物は多くない。

墨田区は希少性についてもう一点を挙げる。現役の小学校が国の登録文化財となったのは都内で2例目であり、当時の東京市域に建つ建造物としては初の登録だという。先に登録された渋谷区立広尾小学校(昭和7年)は、建設当時は東京市の範囲外にあった。

いま、どこを見るか

校庭側から見ると構成がすぐに分かる。長い白い箱が3層、窓帯が端から端まで走り、水平の強調は付け足しの装飾ではなく壁そのものが担っている。街路側へ回ると建物は肩をすくめる。開口は高い位置にあり、昇降口は控えめで、二つの立面を見比べれば設計の主題が一度に理解できる。

内部には入れないが、文化庁が南面外観と並べて写真に収めた見どころがある。中央階段だ。階段に立つと上下階の廊下が見通せるように組まれており、昭和初期の学校としては進歩的な発想だった。学校は、震災級の地震に耐えるよう造られた鉄筋の躯体の内側に、木のぬくもりのある階段と廊下があると紹介している。

失われたものもあり、それも記録の一部である。階段手すりの飾りとスチーム暖房機は、戦時中に金属として供出された。白い壁は空襲の目標になることを恐れて地味な色に塗り替えられている。平成に入ってから壁は開校当時の白へ戻され、窓はアルミサッシに交換され、教室の床も張り替えられた。文化庁の記録には平成23年(2011年)の改修も記載されている。

実用的な話をしておく。言問小学校は現役の学校で、令和7年(2025年)4月時点の在籍は9学級208人。聴覚と言語の通級指導教室を併設し、「きこえの教室」は墨田区内で本校にのみ置かれている。校舎内部および敷地は一般公開されていない。見学は周辺の道路からの外観に限られ、撮影も同様である。児童が写り込まないよう配慮したい。拝観料や公開時間という概念自体が存在しない建物だと考えてよい。

行き方は、東武スカイツリーライン曳舟駅から徒歩約10分、京成押上線京成曳舟駅から徒歩約15分。着いてしまえば、周囲を歩くこと自体が目的になる。西へ進めば隅田川と言問橋があり、学校と川のあいだには現在も向島の花街が続く。向島二丁目のすみだ郷土文化資料館では、この地域の歴史を詳しく追える。南には東京スカイツリーが立ち、この界隈のたいていの角から姿が見える。

校名にも触れておきたい。「言問」は在原業平に帰される和歌に由来する。隅田川のほとりで、旅人が都鳥と呼ばれる鳥に、思う人の消息を尋ねるという歌である。昭和37年(1962年)に制定された校章は、隅田川堤の桜の花にその都鳥を配したものだ。東京がもっとも激しく焼かれた夜を生き延びた建物が、鳥への問いかけを校章に掲げている。

Q&A

Q墨田区立言問小学校校舎は見学できますか。内部に入れますか。
A内部には入れません。墨田区立言問小学校校舎は現役の公立小学校で、校舎内も敷地内も一般には公開されていません。拝観時間や拝観料の設定もありません。周辺の公道から外観を眺めることはでき、見学はその範囲に限られます。
Q墨田区立言問小学校校舎への行き方と最寄り駅を教えてください。
A所在地は東京都墨田区向島五丁目40です。東武スカイツリーライン曳舟駅から徒歩約10分、京成押上線京成曳舟駅から徒歩約15分。南側には東京スカイツリーがあり、目印になります。
Q墨田区立言問小学校校舎は国宝や重要文化財ですか。
Aどちらでもありません。墨田区立言問小学校校舎は登録有形文化財(建造物)です。建築後およそ50年を経て使われ続けている建物を対象とする制度で、重要文化財や国宝の指定に比べて規制がゆるやかです。この校舎は「登録」であって「指定」ではありません。
Q墨田区立言問小学校校舎が「白亜の殿堂」と呼ばれるのはなぜですか。
A昭和初期の地域住民がそう呼んだと伝わります。関東大震災から13年後の下町に、火にも地震にも強い真っ白な鉄筋コンクリートの校舎が現れたことは当時としては際立った出来事でした。戦時中は空襲の目標になることを避けるため壁を地味な色に塗り替え、平成になって白く塗り直されています。
Q墨田区立言問小学校校舎は東京大空襲で焼けなかったのですか。
A焼失を免れました。学校の沿革によれば、昭和20年3月9日から10日の空襲で本所区のほとんどが焼け野原になったなかで、区内の小学校で残ったのは小梅小学校と言問小学校だけだったとされます。戦後も授業が続けられ、校舎を失った学校へ教室を貸しています。

基本情報

名称墨田区立言問小学校校舎(すみだくりつことといしょうがっこうこうしゃ)
所在地東京都墨田区向島五丁目40
指定区分登録有形文化財(建造物)/登録基準「造形の規範となっているもの」/登録番号 13-0476
指定年令和5年(2023年)2月27日登録(第104回登録)
員数1棟
寸法鉄筋コンクリート造3階建、建築面積1,554平方メートル。昭和11年(1936年)建設、平成23年(2011年)改修
所有者墨田区
公開状況非公開。現役の小学校のため内部および敷地は一般公開なし。外観は周辺公道から見学可

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)/墨田区立言問小学校校舎
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00014460
文化遺産オンライン/墨田区立言問小学校校舎
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/524334
墨田区/墨田区立言問小学校の校舎と講堂が国の登録文化財になりました
https://www.city.sumida.lg.jp/kosodate_kyouiku/tiiki_kyouiku_shien/bunkazai_hogo/bunkazai_itiran/new_shoukai/kototoishou_toushin.html
言問小学校ホームページ/言問小歴史絵巻
https://www.sumida.ed.jp/kototoisho/shokai/rekishi.html
言問小学校ホームページ/学校案内
https://www.sumida.ed.jp/kototoisho/shokai/annai.html

最終更新日: 2026.08.22